ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

怒り

Ikari

 もし「オーバー・フェンス」が期待はずれだったら、この映画を観るしかないと思っていました。映画も原作も素晴らしかった傑作「悪人」の吉田修一李相日監督が再びタッグを組んだ映画「怒り」です。連休を利用して今日観てきました。

圧倒されました。

傑作、という言葉しか出てきません。

本格映画というものを斜に見ていた自分が恥ずかしくなるほどです。

 今年は本格邦画を観る機会に恵まれていませんでしたが、ようやくめぐり合えました。洋画邦画などという垣根を飛びこえた、真の傑作でしょう。それにしても今年の東宝は「シン・ゴジラ」「君の名は。」そしてこの「怒り」と当たりまくってますね。

『 2016年 日本映画 配給:東宝 PG12

スタッフ
監督・脚本: 李相日
原作: 吉田修一
撮影: 笠松則通
音楽: 坂本龍一
製作: 市川南

キャスト
渡辺謙妻夫木聡森山未來松山ケンイチ綾野剛広瀬すず池脇千鶴宮崎あおい三浦貴大ピエール瀧、佐久本宝 他

吉田修一の原作を映画化した「悪人」で国内外で高い評価を得た李相日監督が、再び吉田原作の小説を映画化した群像ミステリードラマ。名実ともに日本を代表する名優・渡辺謙を主演に、森山未來松山ケンイチ広瀬すず綾野剛宮崎あおい妻夫木聡と日本映画界トップクラスの俳優たちが共演。犯人未逮捕の殺人事件から1年後、千葉、東京、沖縄という3つの場所に、それぞれ前歴不詳の男が現れたことから巻き起こるドラマを描いた。東京・八王子で起こった残忍な殺人事件。犯人は現場に「怒」という血文字を残し、顔を整形してどこかへ逃亡した。それから1年後、千葉の漁港で暮らす洋平と娘の愛子の前に田代という青年が現れ、東京で大手企業に勤める優馬は街で直人という青年と知り合い、親の事情で沖縄に転校してきた女子高生・泉は、無人島で田中という男と遭遇するが……。
(映画.com より) 』 

 八王子の住宅街の真上からの俯瞰から映画は始まります。ある一軒の住宅にパンしていき、いきなり風呂場での夫婦惨殺死体。うわっ、李監督最初からやってくれるな、という凄惨な場面。そこへ現れるのはすっかり堅実な中堅俳優の座を確立した三浦貴大。捜査陣の一人ですが、ドアの裏に隠れた血で描かれた「」の文字に愕然とします。

 犯人はすぐに割れたものの、整形して逃走しているのか、手配書が全国にばら撒かれ、たびたびTV番組でも取り上げられるのに1年以上つかまらない。どこかで聞いた話ですが、実際吉田修一市橋達也事件を念頭において構想を練ったそうです。

 そして吉田修一は三人の容疑者を用意します。

 千葉県房総のとある漁港にふらりとやってきた、どこか影のある若者松山ケンイチ。東京の風俗店から娘宮崎あおいを取り戻した渡辺謙の口利きで、漁協でバイト生活をしています。彼が第一の容疑者。

 大都会東京、何でもありのこの街で末期癌の母をホスピスに預けて働く一般社会人妻夫木聡。しかし彼の夜の顔は狂騒的なゲイ世界に入り浸る同性愛者。新宿のホモ専のサウナで出会った綾野剛と無理やりなセックスをした後、彼を家に招き、そのうち同居させるようになります。その綾野剛が第二の容疑者。

 場面が一転して目も眩むような陽光の元、真っ青な珊瑚礁の海を無人島に向かうボートに乗る少年と少女。万能鑑定士Qの凛田莉子の故郷の設定で有名になった波照間島がモデルとなっていますが、見事なカメラワークです。少年佐久本宝は地元の旅館の息子で父親は辺野古移設反対デモの熱心な参加者。少女広瀬すずはだらしない母親のせいで流れ流れて沖縄へやってきたばかり。少女は無人島の廃墟となった家で暮らす森山未來と出会います。この気のいい明るい男が第三の容疑者。

 小気味良く三つのロケ地は入れ替わっていき、最初はどちらかといえばほのぼのとした雰囲気が漂い、三人の容疑者いずれもがそうでないといいな、と思わせます。しかし少しずつ疑惑の影が漂い始め、不穏な空気が流れ始めます。

 そして三者に共通しているのが言いようのない怒り。

 狭い港町という閉鎖的コミュニティに暮らす渡辺謙は娘の不行跡を町中に知られていることに怒りを感じながらも耐え続けている。

 ゲイの二人は当然ながら、性的マイノリティに対する世間の無理解に怒りを感じながらも、それを隠して平然と暮らそうとする。

 沖縄はやはり特別で複雑。基地問題の怒りが充満している。しかし地元の少年はせっかくのデートをデモの騒音と喧騒にぶち壊された思いがし、こんなことしても何にもならないのに、と内地から来た少女に遠慮しつつデモにうつつを抜かす父親に怒りを抱いている。その夜沖縄の現実が我が身に降りかかるとは思いもしないで。

 最後まで分からないのが「犯人の怒り」。これは公開されたばかりなので伏せておきます。

 このような言いようのない怒りと容疑者に対する疑惑がじわじわと熱を帯び、三ヶ所で沸点に達した時、何が起こり、誰が犯人で、結末はどう迎えるのか。これは是非映画を観て下さい。

 とにかく、3年という歳月をかけた李相日組の仕事は凄かったです。

 日本人ではありながらも、やはり日本という国に某かの「怒り」を感じているという李相日吉田修一が文字に書き下ろした「怒り」という感情を完璧に映像に写し取りました。「悪人」も凄い映画でしたが、今回ははるかにそれを凌ぐスケールとエネルギーでした。

 そして今回特筆すべきは、各配役を担当された俳優陣が完璧に近い演技をみせた事です。
 李相日の煮えたぎるようなエネルギーで徹底的に演技指導され演出された俳優陣はどれほど辛かっただろう、と空恐ろしいほどですが、その成果が見事に出ています。

 あえて個性を押し殺した演技で渡辺謙は年長者の貫禄を見せます。

 一番驚いたのは、蒼井優とともに最近目立った活躍がなく燻っていた宮﨑あおいが完全に蘇ったことです。本当の演技とは決してオーバーアクションではない。横顔一つでこちらをはっとさせる演技には、昨日オーバーフェンスを見た後だけに蒼井優ファンとしてはうらやましい限りでした。

 李相日には「悪人」で日本アカデミー賞をとらせてもらった恩のある妻夫木聡。ある意味「悪人」以上のえげつない演技(何しろPG12のラブシーン連発です)を強要されながら平然と演じきりました。

 そして彼との絡みを含めて思わぬ柔和な面を見せた綾野剛。しかしその裏では、実際撮影中二人は同棲生活していたというほど入れ込んでいたようです。さすが役者はそこまでするのかと、プロ根性を見せてもらった気がします。

 さてさて、今回数多い名男優群の中でも突き抜けていたのは森山未來。海外留学はダテではなかったですね、特に体を使った表現が段違いに上手くなっており、一挙手一投足、どれを取ってみても他の役者とレベルが違いました。もう何と言っていいかわからないほど最高の演技を見せてくれました。

 この映画での演技がトラウマにならないか心配なほどの演出に耐え切った広瀬すず。カワイコちゃん若手女優のイメージしかなかったですが、ラストの海で叫ぶシーンまで見事にやりきりましたね。そして新人の佐久本宝。地味な感じでしたが最後の最後にふつふつと怒りがこみ上げてくるシーンでは鳥肌が立ちました。

 独特の暗い目、根暗な演技が観る人をぞっとさせる、そんな自分の個性を活かしきった松山ケンイチ

 「そこのみにて光り輝く」では綾野剛との大胆なラブシーンを演じきった池脇千鶴。今回は地味なら地味なりに役を演じきっているところはさすがベテラン。
 
 そして捜査陣という地味ながら大切な役を堅実に演じた三浦貴大ピエール瀧

 そして李相日組。東京、千葉、沖縄での見事なカメラワーク、美術、衣装、そして何よりも片時も退屈させず三箇所を切り替えていく編集が今回は光っていました。編集担当は今井剛。「フラガール」「悪人」「許されざる者」と李相日監督とは長く付き合っていますから、今回ももう阿吽の呼吸だったでしょう。

 最後にこの映画に相応しい重厚なチェロのテーマ曲を用意した坂本龍一

 敢えて言えばホスピスでの原日出子の、癌末期とは思えない非現実的に健康的な顔身体で出演したのが瑕疵と言えば瑕疵でしょうか。

 とにかく良いものを見せてもらいました。はっきり言って昨日の「オーバー・フェンス」は何だったんだと腹立たしくさえなってきます。

 一言、観るべし、です。今年初めての邦画Aです。

評価: A: 傑作
(A: 傑作、B: 秀作、C: 佳作、D: イマイチ、E: トホホ)