ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア - 序章 - / J.D.サリンジャー、野崎孝、井上謙二訳

大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 (新潮文庫)

【 この二つの物語の「記述者」「作者」とされているグラース家の次兄バディ・グラースに敬意をこめて 】

 あなたが私の書いたひたすら饒舌で未完成な - ちなみにこのレビュアーは私の作品「テディ」をナイン・ストーリーズ中最大の問題作と書いているが、間違っている、私に言わせれば「完全な失敗作」なのだ - 二作品を読もうとする前に言っておく事がある。これは私が小説そのものを解体しようという試みであって、それは少なくともあなたの実生活には何の役にも立たない - どころか、おそらく読書人生にも寄与するところはほぼ0%と私は予言しよう - ということだ。

 「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」という題名は私が考えたものではない。Sへのはなむけの言葉として、我が妹ブーブー・タンネンバウムが鏡に書き残したサッフォーの詩の一節だ(私がもしSについて語りつくすことが出来ていれば、このブーブーのことも分析しなければならなかっただろう)。このはなむけの言葉からわかるように(このレビュアーは分からなかったそうだが)、この短編の内容はSの結婚式の(個人的には悲惨の一言に尽きる)一日を記した雑文に過ぎない。陸軍病院に入院し肋膜炎治療中の私が、妹ブーブーの命令で親族代表としてたった一人(両親と七人の兄弟姉妹全員が存命にもかかわらずだ、なおウォルトが日本で死んだことはこの時は知る由もなかった)親族代表として、グラース家長兄のSの結婚式に出かけてみれば、彼は「幸福すぎて」失踪 - なんたることだ、Sの真骨頂ではないか - し、花嫁Mの関係者に散々厭味を言われるという貴重な経験ではあったが。
 あのくそ暑い日中にタクシーが立ち往生し、涼みに「シュラフツ」へ行ってみれば「本日閉店」、というやむない(というかとってつけたような)事情から私たちのNYにあったアパートへ彼らを招きいれてほっとしたのも束の間、Sの日記を見つけたときは、Mの関係者に見られたら大変だと - 私もそれくらいの社会的常識はわきまえている - 肝を冷やした。しかし、Sが自分のことを「パラノイア」だと書いているのを読んだ時、この騒動の全てを私は理解した。私以外にはまず無理だろう(と思うとまあ多少は自分のことを誇らしげに思ったものだ)。そんなくだらない騒動記をよんであなたに何の益があるというのだろう?

 「シーモア - 序章 -」は、「大工よ」にましてあなたにとって無益だろう。大体が私が40歳になった節目にSについての短編小説「シーモア 第一部」を書く予定だったのだが、饒舌になりすぎて本質の周りをぐるぐると回るだけに終わってしまったために「序章」と書かざるを得なかった、これもまあ失敗作と呼ばれても仕方のない作品(私としてはうるさ型サマセット・モームが拘った発端・展開・結末という形式を徹底的に破壊してやったという痛快な思いはある)なので、このレビュアーの言葉を借りれば - この程度のレビュアーの言葉を借りるのもバカバカしいものだが - あなたにとっては「饒舌が辟易を背負ってやってきた」ようなものだろう。
 と言っても私にも多少のファン、というか読者がいる。その読者の多くが神聖視し過ぎて迷惑している(実を言うと私もその信者の一人なのかもしれないが)Sこと、長兄シーモア・グラースについて(一番彼を知っていると世間が誤解している)次兄として、書かざるを得なかったのだ。

 おそらくは誰もが皆Sが結婚6年目にして、よりにもよってヴァカンスの最中という、隠遁者でありながら教壇に立たねばならないという義務を負った私から見れば羨ましいような状況下で、それも親しくなった少女 - 彼は決してロリコンではない、彼は子供の中に神の摂理を見ることができる人物だったのだと私は信じて止まない - との楽しい海水浴の後という、おそらくは心地よい幸福感の中で何故ピストル自殺できたのか、を知りたいに違いない。私だってそうだ。
 だが、私がそのことについて言及しているのはただ一箇所、彼が自殺した日の午後、ホテルの彼の部屋の備えつけ吸取り紙にきちんと古典様式の俳句を書いていた(私は字句どおりに翻訳するのを好まないので書かないが、Sはきちんと日本語で書いていた、その点日本語を解するあなたたちに対しては多少の慙愧の念はある)ということだけだ。

 180以上もあるSの詩を発表する権利がM未亡人に握られている以上、私が彼について書けたことといえば、彼が - あなた方が私の小説から勝手に思いこんでいたよりは - 意外に醜男で鼻が右に曲がっており、天才的に服の着こなしが悪く、スポーツにしてもゲームにしても天才的に上手いか下手かの両極端だったという程度の思い出、彼の東洋思想への造詣の深さ(一茶を尊敬し日本語と中国語を解したとか、泣き止まない幼いラニ道教の話をしてあげたとか)について、そしていくつかの私に宛てたメモの断片だけだ。最後までいつ自殺の話が出るか出るかと期待して読んだであろう私の読者には気の毒だとは思うが所詮まだ「序章」だ。

 S中毒の方のために、では続きがあるのかという辛辣な質問には答える義務があるだろう。この後私は(現在アメリカでは読めないが、日本では中古市場に出回っているだろう)「ハプワース16、一九二四」という、7歳の時に私に宛てたSの手紙を発表した。それが全てだ。
 
 Sが何故自殺したのか。もうこれ以上語ることもないだろう(何も語っていないと言われれば甘んじてその言葉は受けよう、しかしこの小説を読んでわからないあなたの感受性の鈍さも一応は指摘させてもらおう)。これだけは言わせていただきたいが、バナナフィッシュについて嘘をついたあの少女に罪はない。おそらくだが。
 思えば、私の完全な失敗作「テディ」において神童テディが予言したこと、そして彼が「逆パラノイア」であったこと、それについて私がペンを走らせた瞬間、私は最もその解答に近づいたのかもしれない。というようなことを書くと、Sがあの少し口元を歪めた微笑を湛えつつ、こう言っているようで(ちなみにバナナフィッシュの少女が彼をこう呼んでいたのだが)私はまた落ち込むのだ。

'See More Glass!' (もっと鏡を良く見なさいよ)