ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

わたしを離さないで

Neverletmego
 2006年に紹介したカズオ・イシグロの小説「Never Let Me Go (邦題:私を離さないで)」の映画化です。去年この傑作がついに映画化されることを知り心待ちにしておりましたが、先月末に公開され、先日ようやく観ることができました。
 ちなみにこのブログのサイドバーに「ココログブックス」という欄があり、そこで「限られた人生を限られた環境の中で育ち生きていく人々の哀しみを一本のカセットテープに託して淡々と描いていく儚くも美しい作品」と紹介しておりますが、その通りの儚くもとても美しい映画でした。

『2010年 イギリス/アメリカ映画

監督 マーク・ロマネク   
脚本 アレックス・ガーランド 
原作/製作総指揮 カズオ・イシグロ 

キャスト
キャリー・マリガン
アンドリュー・ガーフィールド
キーラ・ナイトレイ
シャーロット・ランプリング

 寄宿学校「ヘイルシャム」で学ぶキャシー、ルース、トミーの3人は、小さい頃からずっと一緒に暮らしている。外界と隔絶したこの学校では、保護官と呼ばれる先生の元で子供たちは絵や詩の創作をしていた。18歳になり寄宿学校を出て農場のコテージで共同生活を始めた彼ら。やがてルースとトミーが恋を育むようになり、キャシーは孤立していく。その後、コテージを出て離れ離れになった3人は、逃れられようのない運命に直面する事に…。(シネマ・トゥデイ等より)』

 レビューするにあたって少々悩んだのですが、やはり主人公たちの正体を明らかにしないわけにいきません。ここから先はネタバレになりますのでご注意ください。まずこの作品世界のバックグラウンドを説明します。
 主人公たちは、おそらく下層階級の人間が金のために自らの体の一部を提供して作られたクローン人間です。目的は大人になってから人間に健康な臓器を提供すること。よって生徒たちは厳重に健康を管理され、18歳になるとコテージで共同生活を送るようになり、やがて来たりくる「提供」に備えます。また、希望すれば提供の前に提供者たち専任の「介護人」を勤めることもできます。いずれにせよ、通常は3回までの提供で彼らはその「使命」を終えます。

 このような臓器提供のためのクローン人間を描いた映画としては、スカーレット・ヨハンソンが主演した映画「アイランド」がありました。あちらはハリウッドらしくクローン人間が反乱を起こす結構派手なアクション映画となっていましたが、この映画ではクローンは唯々諾々と運命を受け入れていきます。このあたり、権利を堂々と主張するアメリカ人と、日本人の血が流れるカズオ・イシグロの諦観にも似た世界観との違いがよく出ていて面白いと思います。監督であるアメリカン人のマーク・ロマネクも日本映画ファンだそうで、原作の持つ世界観を忠実に映像化していました。

 そんなクローンたちのせめてもの願いは少しでも提供を執行猶予してもらうこと。そこから一つの伝説がまことしやかに語られることになります。それは、ヘイルシャム出身の心から愛し合う男女は経営者であるマダムに申告すれば3~4年間の猶予をもらえる、というもの。
 もちろんヘイルシャム以外の施設で語られる単なる噂であって、ヘイルシャム出身の3人は、コテージに来て初めて他の施設出身者のカップルからその真偽を問われ驚く始末。特に奥手のキャシーと癇癪持ちながら心優しいトミーが実は本当に愛し合うべきカップルであることを知りつつトミーを横取りしているルースの胸中は複雑でした。
 このルースを演じるキーラ・ナイトレイの抑制の効いた演技は見応えがありました。「パイレーツ・オブ・カリビアン」や「プライドと偏見」で見せた堂々たる主演振りとは打って変わった憎まれ役の助演ですが、自分が小説を読んで描いていたイメージとなんのブレも無い演技で感嘆しました。
 特に仲間が噂で聞きつけた彼女の「ポシブル」(クローンのオリジナルの可能性のある人)をノーフォークという街で探す彼女の、ほぼありえないと理解しつつもわずかな可能性を捨てきれない憂愁に満ちた表情の演技は印象に残りました。

 もちろん主演の二人も見事な演技を見せます。特に3部構成の終章「終末(Completion)」。2回の提供を終え、次が最期と覚悟しているトミーを演じるアンドリュー・ガーフィールドと、図らずも長年介護人を務めることになり、ルースとトミーのCompletionを見届ける運命が待っていたキャシー演じるキャリー・マリガン、この二人の体現する悲哀は観る者の心に深く突き刺さり、そして静かな余韻を残します。
 特にこの二人に加えてもう体力が極限まで衰えているルースと3人で、浜辺に打ち捨てられた船を見に行く場面での三者三様の表情。
 そしてルースの最後の好意でマダムの住所を知り、猶予期間を懇願に二人で訪ねていくシーン。そしてやはりそれは単なる噂に過ぎなかったことをマダムとエミリ元ヘイルシャム校長から聞かされた際の二人の落胆の反応。
 そして帰路で大声をあげ子供時代以来の癇癪をおこすトミーと必死で抱きかかえるキャシー。どれもとても見応えのあるシーンでした。

 そしてもう一人語っておかなければならない名優がヘイルシャムの校長ミス・エミリを演じるシャーロット・ランプリング。第一部での矍鑠とした振る舞いと第三部での車椅子で二人にヘイルシャムの秘密を悲しげに語る場面の演じ分けは見事でした。それにしてもお年をとられましたね。自分の頭の中ではまだ「愛の嵐」の美貌と見事な肉体美のままだったので驚きました。

 そして、見逃せないのがこの主人公たちの演技を活かす見事な美術、カメラワークとその色彩。映画館で予告編を見た時その抑制の効いた色彩の美しさに期待感が膨らみましたが、今回全編を通してその期待が間違っていなかったことに深い感動を覚えました。
 第一部でのヘイルシャム寄宿学校の一見見事な建築であるけれども、それが内包する暗さ、第二部でのコテージのやや明るい色調と、ノーフォークの海(冒頭写真)のイギリスならではの彩度の低い冷感。そして第三部での浜辺に打ち捨てられた船のある海辺の美しさと、臓器提供の施設の無機質さ。

 ただ一点、個人的にこれは残念と思えたのが題名にもなっているジュディ・ブリッジウォーターの「私を離さないで」のカセットテープにまつわるエピソードの扱い。原作ではこの曲を聴きながら枕を抱えて踊る(ヘイルシャムでの子供時代の)キャシーを見つめて涙したのはマダムでした。映画ではトミーが買ってくれたことになっており、嫉妬心を抱きつつルースが見る設定になっています。三角関係の方を重視したのだと思いますが、原作では最後の猶予を求めてマダム宅を訪ねるところでの大事な伏線になっておりましたので、個人的にはその方がよかったと思います。また、キャシーは一旦このカセットをなくし、ある場所でトミーと一緒に探し出してあらためて購入するのですがその設定もばっさりとカットされたのも残念でした。

 先程も述べたようにハリウッド的劇的展開は無く、淡々と運命を受け入れていくクローンたちが原作通りに描かれていく、諦観に満ちた、ある意味日本的な映画です。できれば原作をお読みになってから観られた方が理解しやすいですし、感情移入も容易だと思います。

評価: B: 秀作
(A: 傑作、B: 秀作、C: 佳作、D: イマイチ、E: トホホ)