ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

わたしを離さないで@梅田芸術劇場

Neverletmego

 以前拙ブログで、カズオ・イシグロ原作土屋政雄氏の邦訳、そしてマーク・ロマネクによる映画化を絶賛した「Never Let Me Go(わたしを離さないで)」が蜷川幸雄の手で舞台化されました。 半年前から楽しみにしていたのですが、ついに梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで観てきました。心から感動できる素晴らしい公演でした。

『 カズオ・イシグロvs蜷川幸雄
―「世界のNINAGAWA」の、新たな伝説が始まる。

 シェイクスピアギリシア悲劇から現代劇に至るまで、毎年10本を超える作品を演出し、そのいずれもが大きな話題となっている蜷川幸雄。文字通り、日本演劇界のトップランナーである蜷川が、来春、新たな話題作を手がける。

 原作は世界が今、最も注目している作家のひとりであるカズオ・イシグロの傑作長編小説「Never Let Me Go(邦題;わたしを離さないで)」。

 世界的なベストセラーとなっただけでなく、2010年にはキャリー・マリガン(映画「17歳の肖像」「華麗なるギャッツビー」など)、アンドリュー・ガーフィールド(映画「ソーシャル・ネットワーク」など)、キーラ・ナイトレイ(映画「スターウォーズ エピソード1/ファントム・メナス」「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」など)といった今をときめく若手俳優たちの出演で映画化され、話題となった作品だ。

 日本語版の脚本を執筆するのは、2004年に『ワンマン・ショー』で第48回岸田國士戯曲を受賞した、若手劇作家随一の実力派・倉持裕

 キャストにも日本演劇界注目の若手が顔を揃える。
 主役八尋(原作ではキャシー)に多部未華子。近年は映像のみならず舞台へも活躍の場を広げ、2010年には野田秀樹作、松尾スズキ演出の『農業少女』の演技で第18回読売演劇大賞優秀女優賞および杉村春子賞を受賞している。もとむ役(同・トミー)には2012年の蜷川演出『ボクの四谷怪談』でフレッシュな魅力を印象づけた三浦涼介。鈴役(同・ルース)ではNHKの大ヒット連続テレビ小説梅ちゃん先生」に出演し、目下数々のテレビドラマに引っ張りだこの木村文乃が、初舞台を踏む。

 痛ましい運命を背負い、希望や不安に揺れながら成長していく若者たちの姿を鋭く描いた「わたしを離さないで」。演劇界注目の表現者たちの集結した本作品を、どうぞご期待ください。 (梅田芸術劇場公式HPより) 』

 劇場に入ったら、

「開演: 13:00 終演:16:45」

とあり、途中二回の休憩を挟むものの、3時間半もあるのか!とビックリ。娘から蜷川演劇は長いよ、とは聞かされていたのですが、予想を超える時間にビビッてしまいました。

 しかしさすが蜷川幸雄の演出です。倉持裕のオーソドックスでツボを押さえた脚本、多部未華子三浦涼介木村文乃の熱のこもった好演もあり、長丁場をいささかのたるみもない高い緊張感を維持したまま、原作の特異な世界を忠実に再現してくれました。

 本作は冒頭でもリンクしていますように、旧友に紹介されて以来、カズオ・イシグロの原著で一回、土屋政雄氏の邦訳で二回、そして映画で二回体験しているので、これが六回目の体験になります。ここまでのめりこんだ作品は少々本好きの私でも他に例がありません。そこまで知り尽くしている「わたしを離さないで」ですが、この舞台は十分に納得し感動できました。

 ストーリーについては何度も紹介しているので端折りますが、臓器提供のために生まれてきたクローン人間たちの学生時代からモラトリアム期、そして従容と提供という運命を受け入れていくまでを、寒色系の抑制の効いた文章とストーリーで描いたカズオ・イシグロの傑作中の傑作です。もちろんそんな彼らにもかすかな願望があります。ヘイルシャムという学校を卒業した、真に愛し合うカップルは提供を3年間猶予してもらえ、その間二人で幸せに暮らすことができるという噂がありました。主人公の二人はその噂を信じ、最後に学校の出資者であったマダムの元を訪れますが、そこで知り得た真実は残酷なものでした。

 この小説自体、三部に分けられており、この舞台も二回の休憩が示すとおり、それを忠実に守っていました。ここだけは見たい、という場面もきっちりと押さえられており、舞台美術もさすが一流の演劇は違うな、と感心するものでした。映画では少し改変され不満の残っていた部分も、3時間半という時間を使ってきっちりと描かれていました。

 特にヘイルシャムでキャシー・H(舞台では八尋)が「Never let me go」に合わせて踊るところをマダムが覗き見している場面の設定、ノーフォーク(舞台では宝岬)の海岸の堤防のセット、モラトリアム期の宿舎のセット、第三部のハイライトであるうち捨てられた漁船のある海岸のセットなどは素晴らしかったです。

 また、音楽も抑制の効いた静かな演奏で、主題歌の「Never let Me Go」を際立たせており、このあたりも上手いなと思いました。ただ、冒頭のピアノの旋律がSigur Rosの「Varúð」にとても似ており、Sigur RosをBGMに使うのか!と期待してしまったのは、残念ながら当てが外れてしまいましたが。。。

 唯一の不満は、舞台が日本に置き換えられ、登場人物が日本人名になってしまっていたことで、これには最初のうちかなり違和感がありましたが、出演者の熱演と見事な舞台演出がそれを補って余りあり、最後の三浦涼介の慟哭の場面では分かっていてもやはり涙をこらえることができませんでした。

 特筆すべきはこの三浦涼介多部未華子の演技でしょう。木村文乃の高い演技力は想像通りだったのですが、子役上がりの未華ちゃんの成長、知らなかった三浦涼介君(三浦浩一の息子さんだそうです)の予想外の公演には舌を巻きました。

 蜷川幸雄の舞台は実はこれが初めてだったのですが、スパルタ指導と強烈なビジュアルというイメージからはかけ離れた意外にオーソドックスな演出で、ちょっと肩透かしを食らった感じでしたが、とにもかくにも一流の演劇というものがどのようなものなのかを教えていただきました。

 ラスト・シーンで紙くずが舞い散りますが、あれは原作を知るものにとってはとても印象的でした。できればそれが鉄条網に引っかかり、八尋がモノローグで原作の最後の文章を台詞として語ってほしかったとは思いますが。。。

 とにもかくにも時間を感じさせない素晴らしい、感動的な舞台でした。カーテンコールも三回、最後はオール・スタンディングでのオベーション、万雷の拍手が鳴り止みませんでした。この作品に出会えて、本で、映画で、そして舞台で感動させてもらった私は本当に幸せです。