ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

カルメン・マキ@旧グッゲンハイム邸

Carmenmakiguggenheim
 60年代の寺山修司ファン、70年代のロックファンにとって「カルメン・マキ」は特別な感傷を呼び起こす名前だと思います。彼女が「時には母の無い子のように」で鮮烈にデビューしたのが丁度40年前、1969年のことでした。現在も精力的に活動を続ける彼女は現在40周年記念ツアー中で、7月4、5日と神戸でのライブでしたので昨日行ってきました。
 アイルランドユダヤの血をひく父と日本人の母から生まれた彼女の若い頃は当時の日本にあっては、とびきりのクール・ビューティでしたが、さすがに40年の歳月は彼女の容姿に刻み込まれていました。しかしあの突き刺すような独特の声と強い意思を秘めた眼は40年の時を超えて健在であり、表現力は恐ろしくらいに成熟していました。

Carmen Maki Persona Tour

『瞬きひとつで10年が過ぎ、瞬き四つが川のように流れて道ができた。
1969年、17歳の少女が「時には母のない子のように」で鮮烈デヴューした。
40周年の今、原点に立ち返り「ペルソナ(仮面)」を剥ぐ!!

異能の歌人であり詩人だった寺山修司
「戦争は知らない」という幾多の人に歌い継がれた佳曲がある。
原曲を歌って四十年を経たカルメン・マキが、
今原点に返って新たに旅立つ!!』

Date: July 4th, 2009
Place: Guggenheim House, Shioya, Kobe City

Carmen Maki (vo, poem reading)

Kyoko Kuroda (p)
Keisuke Ohta (vn)

Setlist:

Part 1:
1: 箱舟の歌
2: にぎわい
3: 北の海 ~人魚
4: 街角
5: 真夜中の花 ~ふしあわせという名の猫
6: 戦争は知らない

Part 2:
7: Monday Blue Song
8: Wate Is Wide
9: 海の詩学 ~ かもめ
10: Vn Solo ~ ペルソナ
11: 友だち ~ てっぺん
12: ジェルソミーナ

EC
1: 時には母の無い子のように including Summertime

Guggenheim_3  ライブについてレポートする前に今回はまず会場について話しておかなければなりません。神戸で異人館と言うと大抵の皆さんは北野坂あたりを思い浮かべられると思いますが、けっしてあのあたりだけではありません。特に夏の避暑地に利用されたのが須磨区塩屋のジェームス山と呼ばれる地域でした。神戸の背後にそびえ立つ六甲山系が最も海に近づくのがこのあたりで、平地は国道2号線山陽電鉄、JRが辛うじて走れる程度の幅しかありません。

 その山陽電鉄の踏切を挟んで海がすぐそこ、という高台に旧グッゲンハイム邸と言う建物があります。 コロニアル・スタイルの洋館でもう100年を経過していますが、この建物を保存すべく努力が続けられ、今でもアパート兼イベント会場として使われています。何度か関西ではニュースにも登場しましたし、一度ナイトスクープでも「開かずの金庫」が放映された事があります。

Guggenheimhall_2  この洋館でライブは行われました。会場はリンク先の見取り図の1階の半円形ホール、床は木張り、空調は扇風機、照明は白熱電球、ひっきりなしに電車の通過音が聞こえます。また会場には蚊取り線香の匂いも漂ってきます。ちなみにグランドピアノもこの洋館備え付けのもので、珍しくDIAPASON製でした。

 さてこのような滅多にお目にかかれない珍しい会場ではありましたが、心配は杞憂で、とびきり素晴らしいライブでした。

 前日に新アルバム「ペルソナ」が発売され、そこからの選曲が中心となっていましたが、このアルバムの曲の殆どに寺山修司の名前が刻まれており、彼がマキに与えた影響が如何に強いものであったかが分かります。他ならぬその寺山が彼女に歌の道を勧めカルメン・マキという歌手が誕生したわけですが、今回の彼女は詩の朗読を多用し、まさに詩劇を演じているかのようでした。

 彼女が朗読した詩をあげてみますと

北の海: 中原中也 → カルメン・マキの「人魚」へ
真夜中の花: カルメン・マキ → 寺山修司の「ふしあわせな猫」へ
海の詩学: 寺山修司 
友だち: 寺山修司 → 今回唯一の新曲「てっぺん」へ

 これを見ると、70年代にジャニス・ジョプリンの影響を受けて突然ロック・クイーンに変身した彼女ですが、一番深い所ではやはり寺山修司に憧れ続け慕い続けていたんだなと感じます。どれも見事な朗読で、彼女の表現力の豊かさに圧倒されました。例えば序盤、

「 海にいるのは あれは人魚ではないのです
 海にいるのは あれは浪ばかり 」

と言うあまりにも有名な中原中也の詩が彼女の口からこぼれ出るとぞくっと鳥肌が立ちました。その後に彼女の90年代の代表曲の一つ「人魚」が滑りこんでくると、もう完全に彼女がその空間を支配してしまいました。彼女の一挙手一投足に劇団天井桟敷寺山修司の影が寄り添っているような錯覚にとらわれました。
 また、「海の詩学」の後には、往年のファンには懐かしい浅川マキの「かもめ」が続きます。これも嬉しいサービスでしたね。

 そして忘れてはならないのは彼女が長く封印していた「戦争は知らない」です。寺山修司の代表作でフォーク・クルセダーズを始め多くのアーチストが取り上げたこの曲ですが、やはりカルメン・マキの歌唱には誰もかなわないでしょう。
 この曲を封印した理由についてを彼女は多くを語りませんでしたが、封印を説いた理由については

「娘が20歳になったから」

とポツリと漏らしていました。その心は歌詞の中にあり、というところですね。そして「この曲の持つ普遍的な力は今の時代でも十分通用すると思う」と話されていよいよ歌が始まりました。

「野に咲く花の名前は知らない」

というこのワン・フレーズを聴いただけでもう心と体が震えました。40年近い時を超えてこの曲を彼女の圧倒的な表現力で聴ける日が来ようとは。。。生きていれば何かいい事があるものですね。以前山崎ハコライブで「飛びます」を聴いて以来の感激でした。

 さて、その彼女をサポートするピアノの黒田京子さん、ヴァイオリンの太田惠資さんについても一言。

凄い

それだけかよ、と言われそうですが、本当に凄い。

 黒田さんのピアニッシモからフォルテッシモに至るまでの自由自在な表現力、完全にグランド・ピアノを鳴らしきる圧倒的で鬼気迫るソロ。
 軽妙洒脱な雰囲気で場を和ませつつ、エレクトリック・ヴァイオリンを含む3台のヴァイオリンで独特の世界を築き上げ、「戦争は知らない」ではなんとユダヤ語でのボーカルも披露した太田さん。

 どれだけのキャリアのある方か全然知らなかったのですが、漠然とお二人ともフリー・ジャズ、或いは現在音楽畑の方かなと思いましたが、帰ってネットで調べてそのキャリアの凄さに納得しました。

 そしてもちろん、アンコールはあの曲です。今回は曲中で見事なピアノ・ソロ、ヴァイオリン・ソロを挟んで彼女が敬愛するジャニスのあの曲まで飛び出しました。

 この三人と約30人程度の観客で醸し出された極めて親密で濃密な音楽空間に2時間半もいられた事が、一晩経った今ではまるで夢だったかのように思います。今は新譜「ペルソナ」を聴いています。やっぱり「戦争は知らない」を聴くと目頭が熱くなります。
 ツアーはまだ続きます。機会があれば是非どうぞ。

遠い日の幻を
さがし求めて
あの道を この道を
さまよう旅路

愛の幸せに満ちあふれている
喜びの微笑みはどこに
(ジェルソミーナより)

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