ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

行人 / 夏目漱石 (下) エピローグ; 個人的に思うことなど

 「行人」のレビュー、最終回です。(前)(中)でこの痛切な物語の解説は終えました。それで満足か、と問われたなら、まだまだ語りたいことはある、と答えます。一郎≒漱石の「神経衰弱」と、「一郎と直」≒「漱石と鏡子」の関係について個人的な見解をこの終章で少し述べてみたいと思います。

 まず、医療に携わる者として、病気のことから語りたいと思います。この漱石大全を年代順に読んできて常に思うことは、漱石が現代に生きていたらこれほど胃潰瘍神経衰弱に悩まされ続けたろうか?ということです。

 胃潰瘍に関しては神経衰弱の漱石ですから「心身症」であった可能性も否定はできませんが、それにしても初期の段階で現代医学の適切な治療を受けていれば、まず間違いなく早々に完治していたでしょう。

 あと一つの病「神経衰弱」はどうでしょうか?歴史を紐解くと、1880年ごろ都市化工業化が急速に進み労働者の間で精神的な疲弊とともに極度の疲労感・衰弱をきたす疾患として米国の医師が「Neurasthenia」と命名したのがこの病気の始まりです。日本でも近代化社会がもたらす文明病としてこの概念が輸入され「神経衰弱」と訳されてあっという間にポピュラーな病名になりました。
 本小説においても、長野一郎の不安が文明の発達から来ていると話していることをHさんが書いていました。

 トランプゲームにも名を残すこの有名な病気ですが、実は現代ではこの病名は使用されていません。殆どの精神的な疾患が脳生理学的に解明された現代では、「神経衰弱」という多岐に渡る症候をごちゃ混ぜにしたような曖昧な病名は不適切なのです。

 ちなみに私が診断するなら、長野一郎は不安障害、とりわけ「強迫性障害」という病気であった可能性が高いと思います。漱石自身がこの病気なのであったのなら、現在はSSRIという系統の抗鬱剤をはじめ種々の良薬があり、おそらく早々に軽快していたものと思われます。

 この二つの漱石にとって宿痾の病が比較的容易に改善してしまったと仮定すれば、この小説も随分変わっていたでしょう。胃潰瘍に関しては漱石が関西講演旅行中に倒れて運ばれた大阪の湯川胃腸科病院と思われる病院の情景描写や二郎の友人三沢と芸者の話もなかったかもしれません。神経衰弱に関しては最終章の深刻な内容も随分軽くなっていたかもしれませんし、一郎があっけらかんとよくなっていくストーリーになったかもしれません。どちらが小説として優れているだろうかと問えば、それは火を見るより明らかです。

 学生時代に読んだ時もそれなりに感銘を受けましたが、あくまでも明治大正時代随一の知識人の苦悩、という風にしか捉えていませんでした。医師として読むことの出来た今回は、強迫性障害患者漱石が身を削り塗炭の苦しみを味わってこその作品であったのだな、と深い感慨を覚えるとともに、心して読まねばという気持ちが読んでいて常にありました。

 そしてもう一つのテーマ、男女の間に横たわる深淵。それに関し「夏目鏡子悪妻説」というのが漱石ファンには定着していますが、果たして本当はどうだったのでしょうか?確かに本作の一郎の関係がそうだったように、漱石鏡子の仲は随分以前より悪く、漱石は結婚をずっと後悔し続けていました。
 そして鏡子曰く、漱石の「頭が悪く」(神経衰弱)なった時には彼女が奇妙な行動をしていたことも確かなようです。毒を盛ったとかいう極端な説もありますが、漱石の門下生から譲り受けたヴェロナール(フェノバルビタールのことで今も抗痙攣剤、鎮静剤として使われてはいますが向精神薬としては殆ど用いられることはありません)という薬をやや過剰投与したというのが真相のようです。激しい病状を抑えるために已むに已まれずと言ったところだったのかもしれません。

 一方の漱石もこの当時精神変調が激しく、怒鳴り散らしたりひどい時には鏡子に暴力をふるったこともあったようです。本作で一郎が妻直(なお)の頭をぶったことがあると告白していることからも、真実だったのでしょう。今なら

流行作家はDV夫?

とマスコミを賑わしてしまい、漱石の大作家としての立場も危うくなってしまっていたかもしれません。

 とにかく、どちらにも言い分があり、どちらにも非があることは確かだと思います。その不幸がこの傑作を産み出したと考えると複雑な気分にさせられます。

 そして思い返してみると「」「坊ちゃん」のイメージが強すぎて漱石には「恋愛小説家」というイメージには乏しいのですが、「草枕」「虞美人草」そして前後期三部作いずれもが、必ず男女の関係を中心軸としており、彼の生涯追い続けたテーマが

男と女の倫理を超えた結びつきと、どうしても相容れない深淵な溝

であった事がわかります。彼の結婚生活の不幸もまた彼をして明治大正を代表する偉大な作家にしてしまったのでしょう。そういう意味では鏡子は「ソクラテスの妻」だったのかもしれません。

 そしてそのテーマが頂点に達した作品は倫理観を重視した端整な作品である「こころ」ではなく、一人の男の精神変調が嵐を起こす「行人」だったと私は思っています。

 以上、三回にも渡ってしまった大変な長文をお読みいただき、ありがとうございました。