ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

きみはいい子

Kimihaiiko

 久々の邦画レビューとなります。公開されたばかりの「きみはいい子」を早速見てきました。

 題名の「きみはいい子」って何か平凡な恋愛あるいは家族映画のように思えますが、そうではなく、教育現場や子育ての諸相を描いた群像劇です。
 トレイラーが面白そうでしたし、「そこのみにて光り輝く 」を撮って、昨年度の様々な監督賞を総ナメにした呉美保監督の作品なので、期待していました。とか何とかいいながら「そこのみ」のレビューでは中だるみで長回しの呉監督の演出だけが気に入らなかった、なんて書いてましたけどね(大汗。

 冗談抜きで、今回の呉監督の演出はよく出来ていてほど良いカタルシスと重い課題の両方のバランスを上手くとった映画となっていましたし、映画ならではの面白い実験シーンを見ることも出きました。

『 2015年 日本映画  配給: アークエンタテインメント 

スタッフ:

監督: 呉美保
原作: 中脇初枝
脚本: 高田亮
プロデューサー: 星野秀樹
撮影: 月永雄太
音楽: 田中拓人
メインテーマ:ヴァスコ・ヴァッシレフ(vn) "circles"

キャスト:

高良健吾尾野真千子池脇千鶴高橋和也喜多道枝富田靖子加部亜門、他

(映画.comより) 』

『 監督第3作目となる『そこのみにて光輝く』(14)でモントリオール世界映画祭最優秀監督賞をはじめキネマ旬報ベストテン監督賞など昨年度の日本映画賞を総なめにした気鋭の映画監督・呉美保。デビュー作『酒井家のしあわせ』(06)以来、『オカンの嫁入り』(10)、『そこのみにて光輝く』と、一貫してひとつの家族を描いてきた呉監督が本作では、3人のおとなと彼らをとりまく子どもたちによる群像劇に初挑戦し、これまで以上に成熟した演出力で見る者を圧倒する。

 原作は、おとなも子どもも共有できる優れた作品に贈られる文学賞「第28回坪田譲治文学賞」、2013年本屋大賞第4位に輝いた「きみはいい子」(著:中脇初枝ポプラ社刊〉)。脚本は、『そこのみにて光輝く』に続く呉美保作品参加となる高田亮。原作の空気感そのままに、「とある町で起こるひとつの物語」として、人と人とが響きあいながら生きていくさまを活き活きと紡ぎだした。

 出演は、現在放映中のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」で高杉晋作役を演じ、いま最も注目を集める俳優・高良健吾。『そして父になる』でわが子をとり違えられた母親の戸惑いと苦悩を繊細に表現した尾野真千子。さらに『そこのみにて光輝く』での演技が高く評価された池脇千鶴高橋和也が揃って出演し、前作とは打って変わった役柄に挑戦。「フランダースの犬」などの名作アニメで親しまれたベテラン・喜多道枝が、その優しさあふれる声で作品にあたたかみを与えるほか、あきこと交流する児童の母親役を演技派・富田靖子が演じ、不安を抱えながら子育てする親の脆さと強さを圧倒的な説得力で体現している。NHK「ぼんくら」、『おおかみこどもの雨と雪』の加部亜門が、自閉症をもつ児童という難役を演じているのも見どころとなっている。 (公式HPより) 』

 「そこのみ」と同様に映画が始まると同時にスクリーンは暗転し、うっすらと見えてくるのは今度は綾野剛の裸ではなく、仏壇の写真。そこからカメラは老婦人の視線を追って庭に移り一片の花びらが縁側へ舞い落ちるまでを丁寧に追っていきます。ちなみに仏壇の写真は第二次世界大戦東京大空襲で亡くなった弟で、この老婦人にも老いと認知症の影が忍び寄ってきています。
 その後カメラは海と観覧車の見える美しい街、その老婦人が住む坂道の上にある小学校、ママ友の集まる公園と彼女たちが住むマンションなどを映し出していきます。そこを舞台として散漫に思えるほど色々なエピソードが次々と語られていきますが、後半に入り、丁寧に一つずつ伏線は回収されていきます。

 その回収の仕方はうまいとは思うけれど全て浅い。しかし「そこのみ」の救い様のないぬかるみの深さに比してその浅さが今回は程良いカタルシスを生んでいたと思います。原作を知らないので断定はできませんが、群像劇だから一つ一つのエピソードが浅くなるのではなく、監督が故意に抑え気味にした印象を受けました。例えば

老婦人(喜多道枝)は自閉症の母親の暗く沈みこんだ心を癒すけれど、彼女の認知症はやがては進んでいき、自閉症の子もその親のこともやがては分からなくなっていくでしょう。

救われた母親(冨田靖子)だって、これからの長い人生、この自閉症の子を育てていく苦労に変わりはありません。

自閉症の子(加部亜門)も、観客の見方は変わりますが本人の症状が何か改善したわけではありません。

過去の辛い体験を忘れられず自分が制御できずに娘に当たってしまってはトイレに引きこもってしまう母親(尾野真知子)も、同様の過去を持つママ友(池脇千鶴)に抱きしめられて涙しますが、その後彼女が虐待をやめたかどうかまでは描かれません。

夜尿症の生徒がその後学校でお漏らしをしなくなったのかどうかも描かれていません。

いじめで登校しなくなった女生徒の問題は親のクレームの段階までしか描かれていません。

手のつけられない学級一の問題児がある「宿題」を実はやっていたことがわかっても、彼が問題児であることに変わりはありません。

この映画一番の問題である、義父に虐待されている生徒は「必ず宿題をやってきます」とはっきりと言って帰宅した次の日から登校してこなくなります。

そして学級崩壊と親のクレームと学年指導の上司からのプレッシャーに悩む新米教師(高良健吾)。彼の出した「今晩家族の誰かにぎゅっと抱きしめてもらうこと」という宿題は秀逸ではありましたが、それで彼のクラスが良くなったのかどうかは分からない。

 そんな浅さが観るものにとってはちょうどよいカタルシスを与えるのだ、という観客との駆け引きのようなものを呉監督は掴んだのかもしれません。

 そして一番心配される被虐待児。登校しなくなった彼の状況について知るのが怖くなっていた高良健吾が彼が好きだと言っていた揚げパンを見、障害学級の授業参観を見て何か吹っ切れて、走り出す。良い演出です。
 件の義父に凄まれ、捨て台詞を吐かれた安アパートのドアの前まで走り続けてゼイゼイハーハーの息をようやく整え、扉をノックする。三度ノックして、もう一度三度ノックして、、、

 そこで彼が見たものはなんだったのか、それは見てのお楽しみです。ヴァスコ・ヴァッシレフの奏でるメインテーマ「circles」の美しいヴァイオリンの調べが印象的です。

 原作者、あるいは呉監督は主人公の先生(高良健吾)がどんな結末でも受け入れる覚悟が出来たからこそ、彼を走らせたのでしょう。この映画はそれでいいのではないでしょうか。

 もう一つ呉監督の演出の上手さが光ったのは、「家族に抱きしめてもらう」宿題の発表シーン。あの雰囲気は、おそらく現実に出演子役たちにその宿題を課して、高良健吾ともども完全アドリブで撮ったんじゃないかと思いました。それくらい自然で、子供たちの反応が面白かったです。

 大脳生理学的にいえば、誰か愛する人に抱きしめてもらうと、そのスキンコンタクトの心地よさと安心感から、脳内でPOMC(副腎皮質刺激ホルモン-βリポトロンピン前駆体)が合成され、それがエンドルフィンとACTH(副腎皮質刺激ホルモン)に分解され、エンドルフィンが脳に快感をもたらすドーパミンの働きを促し、所謂A10神経を活性化します。その状態を子供達がどう感じどう表現したか、とても面白い実験ではありました。

 これを見て分かるように、誰か愛する人、信頼する人に抱きしめてもらうこと、愛する子供を抱きしめることはとっても大事なことなんです。

 さて、俳優の皆さんはそれぞれに頑張っておられました。「悼む人」がズッコケて悩んでいるという噂の高良健吾君も新米教師役を活き活きと演じていましたし、「そして父になる」で共演した真木洋子日本アカデミー賞の主演も助演も掻っ攫われた尾野真知子もなかなか頑張っていて、でもやっぱり「そこのみ」に続いて起用された池脇千鶴には敵わなくって、老夫人役の喜多道枝さんは自然体で上手くって、でも結局子役の健気さにはみんな食われちゃったりして、とか色々と楽しませていただきました。

 特に自閉症役を演じた加部亜門君は上手かったですねえ。医師の私から見ても完璧でした。

 というわけで、やっぱり呉美保監督、注目に値する人ですね。よい映画だったと思います。

評価: C: 佳作
(A: 傑作、B: 秀作、C: 佳作、D: イマイチ、E: トホホ)