ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

高村薫「戦後70年」特別寄稿を「写経」する

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 土曜日の昼下がり、久しぶりにゆっくりとした時間を過ごしています。こんな時にやっておくべきことがありました。9月2日の神戸新聞に掲載された高村薫女史の寄稿を「写経」することです。

 戦後70年の日本を冷徹に容赦なく看破する高村薫女史の明晰な解説は、やはり他の追随を許さないものがあります。

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戦後70年」特別寄稿 作家 高村薫さん

「 自分の足で立つほかない ~社会に広かる沈滞と貧困の中で~ 

  日本人はいま、4年前の東日本大震災の未曾有の津波被害の記憶に深く浸食されたまま、生活全般において明るく開けない未来に怯えているかのようである。地震の活動期に入ったとされる人智を超えた不気味さや無力感とともに、足下にひそかに蔓延しているのは、一抹の滅びの予感だろうか。

 2015年現在、1億2千万人のなかには、かの太平洋戦争を生き延び、戦後の高度成長と今日のゆるやかな後退の両方を目の当たりにし、いわば近代日本の繁栄とその終わりを現在進行形で生きている人が少なからずいる。今日、たとえばこの国が日中戦争に突入していった1930年代の空気と、自民党政権衆議院での圧倒的多数の力を背景に集団的自衛権行使容認に踏み出した2015年の空気がよく似ていると呟くのは、そういう人々である。

 一方戦前を知らない世代は、この国や社会のありようの、70年、80年という一続きの物語を今に浮き上がらせるものとして彼らの呟きに耳をそばだて、自身がまだ生まれていない過去の空白を埋めるピースにする。そうして自身の時間軸を拡張することで、私たちはそこはかとない不安や戸惑いがどこから来るのかを知るために、時代や社会のより大きな変化を捉えようとするのである。

 また戦前まで遡らずとも、たとえば戦後民主主義社会の、何かしらてのひらを返したような明るさの下で、広島と長崎の原爆の記憶は原子力の平和利用という魔法によって中和されてゆき、気がつけば日本人は北海道から九州まで50基以上の商業原発が立ち並ぶ風景に馴染んでいた。そうして安全神話に安住していた2011年3月、東日本大震災の巨大津波が福島第1原発を襲った。ライブカメラの映像を通して、私たちは安全なはずの日本の原発が、チェルノブイリ級の重大事故を起こした瞬間を目の当たりにしたのである。
 科学技術の輝かしい未来としての希望の原子力から、現在の技術力では人間に制御できるものではなかった絶望の原子力へ。1957年、茨城県東海村に初めて原子の火がともった日の晴れやかさを記憶している世代ーおおむね60代以上の日本人のなかには、これを書いている私も含まれる。

 ひるがえって足下の暮らしも、20年前に比べると一変した。バブル崩壊からの「失われた20年」は、2015年のいまから振り返れば、たんなる景気循環の底などではなかったことは明らかである。1980年代にはすでに戦後経済成長を牽引した産業構造の改革が求められていたが、いまに至っても果たせず、新興国市場の発展により製造業の海外移転が進んで国内は空洞化した。

 農・畜産業も長年改革が叫ばれながら、これも疲弊がやまない。労働力人口がすでに減少に転じたこの国で、将来にわたって社会インフラや十分な教育、医療制度を維持してゆくためには、生産性の高い産業を新たに生み出してゆくほかないのだが、国はなお公共事業と金融緩和による景気刺激しか打つ手をもたない。

 2012年に始まったアベノミクスは、日銀による大量の国債購入で金利を下げ、円安を誘導して一部製造業の株価を上昇させたが、当然ながら金融緩和政策だけでは輸出は伸びず、労働生産力は上がらず、新しいサービス産業が生まれてゆく息吹もない。一部の資産バブルとは裏腹に、多くの労働者の給与は上がらず、あまつさえ全労働力人口の4割弱が非正規雇用の今日、貧困の拡大は子どもの学校生活の風景すら変えてしまった。
 思えば70代以上の日本人は敗戦直後の窮乏を知っているが、70年前のそれは未来に向かって開けていたのに対して、今日の貧困は先々よくなってゆく可能性のない、抜け出すのがきわめて難しい牢獄である。2010年代の日本社会に広がるこの沈滞と貧困は、ゆるやかな衰退期にさしかかった社会のそれだという意味では、私たち日本人が初めて目の当たりにする未知の風景なのである。

 そして海外に目を転じれば、いつの間にか世界第2位の経済大国になっていた中国の姿も、近現代の日本人が初めて見る風景である。また中国の大国化は相対的にアメリカを縮ませ、ロシアはウクライナクリミア半島を一方的に編入し、イスラム国の台頭で中東各国は崩壊の危機にある。

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 こうして私たちは20世紀の欧米の秩序が終わろうとしていることに戸惑い、為すすべもなく立ちすくんでいるのだが、勇ましい言葉を弄して民衆を扇動する歴史修正主義者はこういう時代に登場してくることを、歴史は教えている。歴史はまた、310万人が犠牲になったかの戦争の責任を日本人は自ら追求しなかったこと、はたまた福島第1原発の事故でも誰も責任を取っていないことを教えている。この国では最終的な責任を取る者はいないのである。

 

 だから、何物にも踊らされてはならないと思う。戦後70年の己が足元を見つめ、持続可能な社会のために産業や経済をいかにして新しい座標軸で捉え直すか、縮小する社会をいかに再構築するか、私たち一人一人が知恵を絞り、天変地異をなんとかやり過ごしながら自分の足で立つのみである。