ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

明暗 / 夏目漱石

明暗

 漱石大全読破プロジェクト、ついに最終回、作品は「明暗」です。漱石死去のため、未完に終わった最後の小説であり、私が彼の中長編小説の中で唯一未読であった作品です。極論を言えば、この小説を読むために「漱石大全」を買ったようなもので、読了した時は感無量、、、と言いたいところでしたが、

「やはり未完は未完だな」

というのが正直な感想でした。もし漱石がこの小説を完成させていたら、分量的には(中断時点で過去最長であったわけですから)過去最高の大作となったことは間違いありません。しかし、はたして最高の傑作となり得ていたのかどうか、彼の当時の理想である「即天去私」の境地を描けていたのかどうか、分からないまま(当然ですが)唐突に終わっています。

 さて、本作は朝日新聞に大正五年(1916年)5月26日から同年12月14日まで、計188回連載されました。それだけでも過去最長の長編で、大正六年(1917年)に岩波書店から単行本として刊行されています。

 主人公は津田由雄という新婚六か月の会社員です。妻を愛してはいますが、ある過去の出来事がまだ彼を引っ張っており妻の愛を全面的に受け入れられず夫婦関係はどことなくぎくしゃくしています(今の時代なら何ということもないことなのですが)。おまけに親への不義理から月々の仕送りを止められて経済的にも困っています。
 で、ストーリーをさくっとまとめますと、その津田が痔の再手術で入院して身動きの取れない間に、彼をめぐって三人の女性が凄まじい心理戦を繰り広げ、さらに厄介なことに津田の過去を知る貧乏が故に卑屈になった男が金目当てで介入してきて、津田はひたすらおろおろし続ける。
 というような、まとめてみると笑ってしまうような展開ですが、これがひたすら大真面目に延々と描かれ続け、全体のほぼ七、八割を占めています。率直なところ、今までの漱石にはないくどさと間延び感が否めません。

 今までの漱石にない点としてはもう一つ、主人公のみならず、複数の女性の視点から物語が語られます。過去の作品はすべて男の視点で語られ、女性心理は男が類推する程度でしたので、その点斬新ではあります。
 おもな女性は上に述べたように三人。 
 一人は妻のお延。育ちの良い女性で夫を愛しているのみならず、夫からも全面的に愛されたいと願い努力していますが、夫には他に愛する女がいるのではとの疑念を持ちその秘密を解き明かすべく動きます。
 二人目は小姑で津田の妹のお秀。既婚で容貌美しい女性ですが何かと津田家に干渉したがり、特にお延の贅沢に不満を持ち彼女を嫌っています。
 そして三人目が一番老獪な女性、吉川夫人。津田とお延の結婚を仲介した上司吉川の妻で、津田の過去をよく知る人物です。

 この三人と主人公津田の視点で彼と彼をめぐる女性陣の丁々発止の駆け引きが描かれるわけですが、やはり人生経験の豊富さと津田の過去をよく知るという点において吉川夫人が頭一つ抜けている感があります。
 そしてこの吉川夫人の策略と入れ知恵でやっと膠着していたストーリーは進みだし、退院した津田は静養と称して伊豆湯河原温泉のとある宿に逗留することになります。その宿で、津田は因縁浅からぬ女性と邂逅しますが、、、

 さてこれからどうなるのか、と期待が膨らむ本当にいいところで突然物語は中断してしまい、ご存知の通り、漱石のその後の構想を知る機会は永久に失われました。個人的な想像ですが、上中下の上が終わって中が始まったばかり、というあたりで終わったのではないでしょうか。

 それだけでも漱石の新境地を示し、様々な人間のエゴイズムを抉り出した傑作と評価する旨もありますが、ここまでの段階とその内容でそこまでの評価をするのは却って漱石に失礼でしょう。
 「行人」のように劇的な展開で心理描写の粋を尽くしつつ人間関係の崩壊を冷徹に描き切ってみせたのか、あるいは冗長なままだらだらと続いて尻すぼみになってしまったのか、私はどちらの可能性もあったと思います。もちろん前者を望むもので、「即天去私」の境地に最後に津田が達したのならそれを見届けたかったですね。

 しかし、それはもう叶わぬ夢です。お節介にも続編を書いて完結させようとした小説家もいましたが、私は余計なお世話だと思います。

 ほぼ七か月かかりましたが、以上で「漱石大全読破プロジェクト」完結です。日本語による本格小説の文体を完成させ、その深い思想性で死後百年を経てもいまだにこれだけの感動を与え続け、意図したことではないにせよ、最後の最後に想像の余地を残してこの世を去った偉大な小説家にあらためて敬意を表します。

 長のおつきあいありがとうございました。