ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

その日東京駅五時二十五分発 / 西川美和

その日東京駅五時二十五分発 (新潮文庫)

 現在は一昔前では考えられなかったほど、女性の映画監督が活躍する時代となりました。思いつくままにあげても、河瀨直美呉美保タナダユキ横浜聡子、そして西川美和。そんな中でも西川美和の実力は一頭地を抜いている、と私は思います。

 その西川美和が、多忙な映画製作の合間の2011年に伯父の手記をもとに終戦日の混乱の中での東京から広島までの列車帰省行を綴った短編小説がこの作品です。

『 終戦の日の朝、19歳のぼくは東京から故郷・広島へ向かう。通信兵としての任務は戦場の過酷さからは程遠く、故郷の悲劇からも断絶され、ただ虚しく時代に流されて生きるばかりだった。淡々と、だがありありと「あの戦争」が蘇る。広島出身の著者が挑んだ入魂の物語。

AMAZON解説より) 』

 ひ弱で飛行機好きな広島の少年にも戦争末期には召集令状が来る。配属されたのは「特殊情報部」。戦の最前線に立つこともなく、ひたすら敵の電波を傍受する日々。それ故に誰よりも早くポツダム宣言受諾を知り、温厚聡明な上官の判断でいち早く軍備を解き、証拠を隠滅し、タイは解散。帰省できるだけのお金を与えられて、大阪の友人とともに8月15日東京駅午後五時二十五分発の列車に乗り込む。

 そして彼が広島に降り立って見たものは。。。何もかもがなくなった世界。宇品港まで見通せるほどの。。。

 戦争にも原爆にも、すべてに乗り遅れたがゆえに真っ先に帰省することができた幸運な少年を待ち受けていた現実と無力感を、西川美和は伯父の簡素で淡々とした手記をもとに、ある程度脚色しつつも抑制のきいた文章で綴っていきます。

 一流の監督は絵コンテが上手いものですが、西川美和は文章もうまい。冒頭の数ページなどは、先日まで読んでいた漱石を髣髴とさせるような文体で家族(特に厳格な祖父)を描写していますし、壊滅してなおまだ山手に火の残る広島の情景は彼女の脳裏にある映像を見るがごとくに痛々しいほど鮮明です。そして次の一文が涙を誘います。

何もかも、ぼくのほんの少しの間に、変わり果ててしまった。けれどこの街が目撃したというそのおそろしい光を、ぼくは知らない。溶鉱炉のようになった街で身体を煮られた人々の叫び声も聞いてはいない。遅れて帰ってきたお前になど、何もわからないし、何もわかってもらいたくもない、と、街から完全に背を向けられているような気がした。

 西川美和は、あとがきで「戦争のことを知っとかなきゃいけない」という教育が「頭が割れるほど嫌だった、と述懐しています。その点、伯父の手記は「完全なるコミットを果たせぬまま宙ぶらりんな少年」の記憶に基づいており、その不思議な体験をほかの人にも読んでもらいたいとこの小説を書いたそうです。

 このような8・6の小説があってもよいのだ、と思います。あとがきにはさらに衝撃的な事実が書かれていますが、それは読んでのお楽しみとしておきます。