ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

点頭録 / 夏目漱石

点頭録

 年頭よりコツコツと続けてまいりました漱石大全読破プロジェクトもついに最終年である大正五年(1916年)です。漱石四十九歳、この年の十一月に胃潰瘍が再発、二十八日大出血、十二月二日に再度の大出血があり、十二月九日午後六時五十分に永遠の眠りにつきました。
 遺体は妻鏡子の希望もあり、長年の主治医であった長与又郎の執刀により東京帝国大学医科大学で解剖されました。余談ですが長与教授は私どもの世界ではとても有名な方で、当時世界的にも有名な病理学研究の第一人者であり、後に日本癌研究の父と呼ばれるほどの人物でした。
 そして十二日青山斎場で葬儀が執り行われました。戒名は「文献院古道漱石 居士」。

 そのため、この年の連載小説「明暗」は連載された分だけでも相当の大作なのですが、惜しいことに未完に終わっています。その他には一月に東京朝日新聞に連載された「点頭録」が大全には収載されているのみです。

 ただし、年代不明の「その他の作品」も最後に収録されており、題名を列挙しますと「倫敦消息」「岡本一平著並画『探訪画趣』序」「虚子君へ」「コンラッドの描きたる自然について」「写生文」「僕の昔」の六編です。いずれも漱石ファンには興味深いもの(ロンドンで自転車の練習をするあたりなどは笑ってしまいますし、さすがの漱石コックニー訛はさっぱりわからなかったようです)もありますが、あえてレビューするほどでもないので割愛します。

 そこで、今回は「点頭録」をレビューします。内容は年頭所感に始まり、続いて漱石にしては珍しく第一次世界大戦におけるドイツの「軍国主義」について徹底的に批判しています。まず第一回はこの一文から始まります。

『 また正月が来た。振り返ると過去が丸で夢のやうに見える。何時の間に斯うも年齢をとったものか不思議な位である。 』

 そして「過去は一の仮象(かしょう)に過ぎず、一生は夢よりも不確実であり、正月が来たからと言って年齢を取る筈がない」と語るその一方で、現在自分が存在していることは事実であり「一挙手一投足を認識しつつ絶えず過去へ繰越してゐる」のだから、自分はやはり「世間並みに年齢を取って老い朽ちていかなければならなくなる」とも考えています。この二種の見解を抱いて

『 天が自分に又一年の寿命を貸して呉れた事は(中略)何(ど)の位の幸福になるか分からない。自分は出来る丈余命のあらん限りを最善に利用したいと心掛けてゐる。 』

と抱負を述べています。漱石の運命を知って読むと大変切ないですが、一方でその強い覚悟に感嘆もしてしまいます。

 次章からは一転して、その当時起こっていた第一次世界大戦に話題が移ります。この連載時はドイツが優勢な時期であったようですが、世界にどんな影響が出るかという質問に対して、漱石の冷徹な目からみて「何方(どっち)が勝った所で、善が栄えるといふ訳でもない」し、負けたとて「真が勢を失ふという事にもならず」、哲学的にも宗教的にも影響はないだろう、と述べています。

 随分観念的なものの見方だなと思ってしまいますが、実際は地に足の着いた考え方であり、漱石はちゃんと欧州の情勢を把握しています。そして英国ではたびたびニイチェの名前が出てくるが、彼の思想がこの戦争に影響しているとは思えない、むしろ問題はトライチだと喝破しています。

 トライチは当時のドイツの政治思想家で軍国主義愛国主義を提唱、対外的には強硬外交を主張した人物です。かれの排他思想(ユダヤ人、カトリック社会主義を排斥)は後のナチスドイツにも利用されることになります。

 漱石トライチケの理念なき軍国主義、強硬外交を明快に否定します。

『 個人の場合でも唯喧嘩に強いのは自慢にならない。徒らに他を傷(あや)める丈である。国と国とも同じ事で、単に勝つ見込があるからと云つて、妄りに干戈(かんか)を動かされては近所が迷惑する丈である。文明を破壊する以外に何の効果もない。

 子供の頃やんちゃ坊主だった江戸っ子漱石らしい物言いが痛快です。続けて曰く、「勝ったものは勝った後でその損害を償う以上の貢献を文明に対してせねばならないが、自分は今の独乙にそれ丈の事を仕終せる精神と実力があるかどうかを危ぶまざるを得ない」。
 この戦争の結果は我々の今知る通り、漱石の予言通りでした。その上で覇権主義の行き着くところをこう表現してこの連載を終えています。

『 独乙が全欧のみならず、全世界を征服する迄、此軍国主義国家主義で押し通す積(つもり)だつたかも知れない。然しながら、我々人類が悉く独乙に征服された時、我々は其報酬として独乙から果して何を給与されるのだらう。独乙もトライチケもまづ其所そこから説明してかゝらなければならない。 

 哲学なき軍国主義国家主義はいつか破綻する、という究極の真理は今の時代にも十分通用するものであり、日清日露第一次世界大戦と見てきた学者肌の江戸っ子漱石の面目躍如たる名文だと思います。

 さて、いよいよ次回がプロジェクト・ファイナルです。実は漱石好きの私も長い間未読の中長編小説が二作ありました。「坑夫」と「明暗」です。「坑夫」は以前のレビューで書いたように村上春樹の「海辺のカフカ」に出てきたので読みましたが「明暗」は全くの未読です。理由はいろいろとあるのですが、まあ「未完」だから、というのが一番の理由でした。

 ということで、しばらくは「明暗」をじっくりと楽しみながら読んだ上で、このプロジェクトの完結編としたいと考えています。随分お目汚しをしてきましたが、あと一作だけですのでよろしければ最後までお付き合いくださいませ。