ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

道草 / 夏目漱石

道草

【 「猫」の裏にあった「闇」: 漱石が人間の業を徹底的に抉り出した「自然主義」的小説 】

 漱石大全読破プロジェクト、今回の作品は「道草」です。丁度100年前の今頃の季節である六月から九月まで朝日新聞に連載されました。完結した小説としては漱石最後の作品なのですが、最後を飾るのに相応しいかというと、これが頭を抱えてしまうような、これまでの漱石らしくない「自然主義」でどこにも「浪漫」的要素のない、ぎすぎすとして殺伐たる小説です。

 簡単に言ってしまえば、神経衰弱の夫とヒステリーの妻という最悪な組み合わせの、既に修復不可能なまでに仲の悪くなった夫婦がいて、その男の元へ養父母、兄姉、義父がひたすら金をせびりに来る話です。驚くことには、本当にそれだけで話が終わってしまいます。何しろ主人公が

「 みんな金が欲しいのだ。そうして金より外には何にも欲しくないのだ。 

と頭を抱え、「もう自分が何をしてきたかわからなくなる」のですから。

 まずこの小説の背景ですが、「硝子戸の中」のレビューでも書いたように自伝的要素の強い小説とされています。実際、主人公健三は、実父母に嫌われ、必要も無いのに養子にやられた過去を持つ洋行帰りの英語教師で神経衰弱気味、明らかに漱石そのものです。後半何か創作を始めてそれがまとまった金になって驚くというところあたりから類推すると、「吾輩は猫である」執筆開始当時の生活状況をもとにしていると思われます。
 妻は夫との仲が険悪で多産なところから当然ながら鏡子を連想させますし、義父は当然ながら昔は裕福でありながら零落した鏡子の父重一がモデルでしょう。
 そしてこの小説において最も漱石が描きたかった人物、ねちっこく狡猾に金をせびりに来る養父島田は、漱石の幼少時代の養父で後年漱石が最も悩まされた塩原昌之助そのものです。

 それまで評論や講演でひたすら自然主義を批判していた漱石が、何故こうもあからさまに「自然主義的小説」を著したのか、当時の弟子たちの間にも疑問と不満があったようですが、逆に自然派の小説家たちからは好意的に受け取られるという皮肉な結果となりました。
 もちろん漱石に彼らに迎合するつもりも、自然派に鞍替えする気も毛頭無かったでしょう。前後期三部作を書き終え、何度もの胃潰瘍による生命の危機を乗り越え(実際この小説を書く前にも漱石は吐血しています)、この辺りで過去の自分に訣別すべく清算をつけるつもりで書いた作品ではなかったかと思います。そして大事なことはこれは「硝子戸の中」と違ってこれはあくまでも「小説」だということです。
 小説として読むとさすがに漱石、人間の「業」を(自らを含めて)容赦無しに抉り出しつつ、様々な登場人物への複雑な愛憎を描写し、最後まで読者を引っ張っていくその筆力には脱帽せざるを得ません。

 物語は洋行帰りの主人公健三が散歩中に、もう十数年会っていない養父に似た男が自分が通り過ぎるのを凝視していた、というぞっとするような暗い出だしで始まります。そして予想通り、その男が養父島田であることが明らかとなり、狡猾にねっちりと金をせびりに現れ、それが頻繁となって堪忍袋の緒が切れた健三にもう来るなと絶交されてからも、代理人を立て、昔の書付けの事までほのめかして金をせびる様がこの小説の根幹を成しています。
 そして、それとは別に養母もチミチミと金をせびります。兄も姉もいつの間にか自分より貧乏になっており、免職寸前の兄は健三の着古したコートを喜んでもらって帰り、僅かばかりのお金を毎月援助してやっている姉はひどい喘息持ちなのですがその夫は愛情の片鱗も見せず、損得勘定ばかりにあくせくしています。義父にいたっては元官僚でありながら貴族院議員になり損ねた挙句、相場に失敗して零落し、あろうことか健三に借金の保証人になってくれとせがみに来る有様です。

 その健三でさえ、あくせく働きつつもかつかつの生活をしているのです。もう完全に嫌気がさした健三が街をさ迷い歩くシーンが印象的です。

『「御前は必竟何をしに世の中に生れて来たのだ
 彼の頭のどこかでこういう質問を彼に掛けるものがあった。(中略)
 「分らない
 その声は忽たちまちせせら笑った。
分らないのじゃあるまい。分っていても、其所(そこ)へ行けないのだろう。途中で引懸っているのだろう
己のせいじゃない。己のせいじゃない
 健三は逃げるようにずんずん歩いた。』

 そして最後の最後に百円の金を工面して、島田とはっきり縁を切りますが健三はそれでも終わったとは思っていません。ようやく片付いたわね、と語り掛ける妻に、健三はにべもなくこう答えます。

『 「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」 』

 妻は黙って赤んぼを抱き上げ、こうつぶやいて、小説は幕を閉じます。

『 「おお好い子だ好い子だ。御父さまの仰しゃる事は何だかちっとも分りゃしないわね」
 細君はこういい、幾度か赤い頬に接吻した。 』

 この夫婦仲の悪さが、この小説の第二軸となっています。もう最初から最後まで『二人は二人同士で軽蔑し』あいながら言い合いを続けているのです。
 理が勝ち過ぎて融通が利かず世間的には偏屈ものとしか思えない夫。その夫に眼下に見下す態度で理論的な「罵倒」や「軽蔑」の言葉を浴びせられ続ける妻は、一時は世間的な成功者であった父を何かにつけて標準に置きたがり、口では敵わないものだから心の中で否定し、夫を認めない態度で反抗する。挙句の果ては「歇私的里(ヒステリー)」発作を起こして夫に世話させるという手段でかろうじて夫婦の絆をつないでいるという有様です。この発作の後は束の間

『 不愉快な場面の後には大抵仲裁者としての自然が二人の間に這入って来た。二人は何時となく普通夫婦の利くような口を利き出した。 』

という時期が訪れます。そのような時があればこそなのか、修復不可能な夫婦関係のはずなのに、妻は三人目の子供を身篭り、そして予定日より早く産まれてしまいます。しかし健三はそれを喜ぶ風もありません。

『「また女か」
 健三にも多少失望の色が見えた。一番目が女、二番目が女、今度生れたのもまた女、都合三人の娘の父になった彼は、そう同じものばかり生んでどうする気だろうと、心の中で暗に細君を非難した。しかしそれを生ませた自分の責任には思い到らなかった。 』
『 赤ん坊はまだ眼鼻立ちさえ判明(はっきり)していなかった。頭には何時まで待っても殆ど毛らしい毛が生えて来なかった。公平な眼から見ると、どうしても一個の怪物であった。』

 自分の子をこれほどまでに冷酷にしか見られない健三。それは自らの不幸な生い立ちに起因するのかもしれないし、あるいは持って生まれてしまった性質によるものかもしれません。
 
 以上のような状況を「自然主義的」として現実の漱石に置き換えてみれば、なんと冷酷な夫であり父であったのかと思ってしまいます。実際そのような言動をして窘められたこともあったようです。しかし、五女の死に衝撃を受けて「彼岸過迄」を著したくらいですから、決して理智だけで動く、全く非情な人でもなかったのでしょう。

 そして、このような状況下で彼の創作活動が始まったのであるとすれば、処女作であるユーモア小説「吾輩は猫である」の裏に隠された闇の深さに震撼させられます。そして、あの終章の一節がより重みをもって思い出されます。

『 呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。(中略)死ぬのが万物の定業で、生きていてもあんまり役に立たないなら、早く死ぬだけが賢いかもしれない。 』

 このプロジェクトの始まりであった「吾輩は猫である」からの引用ですが、思えば随分遠いところまで来てしまいました。残る長篇小説は未完の大作「明暗」のみです。