ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

こころ / 夏目漱石

こころ

 漱石大全読破プロジェクトも「『心』自序」をプロローグとしてついに「こころ」に辿り着きました。漱石大小説群の中でももっとも人口に膾炙した傑作です。
 と言っても個人的には前作の「行人」の方が好きではあるのですが、「それから」「」と同じように、「行人」「こころ」も動と静の対比が鮮やかな兄弟作品と言えます。

 この作品の最大の特徴としてまず挙げたいのは、これ以上ないというほどの文章の簡潔さと美しさの両立です。以前「三四郎」のレビューにおいて、何故「こころ」は今でも高校生の課題図書として選ばれ続けるのか、それは漱石

「平易な文章で深い思想と確固たる構成を持つ長編小説を確立した作品であり、その文章形式が現代日本にも引き継がれているので誰もが百年経った今でも読める」

からである、という意味のことを書きました。漱石が口語体の小説をほぼ完成させたのはその「三四郎」あたりからだと思いますが、後期三部作の掉尾を飾るこの作品において、その平易さと端正さが両立した口語体は頂点に達した感があります。だからこそ、「こころ」は誰もがその文章と内容に「こころ」打たれ、日本人の素養となり、長く読み継がれているのではないでしょうか。漱石大全には

「内容的には苦しい心の葛藤が描かれるが、全体を通して心の嵐を突き抜けて来た清冽さが感じられる」

とあります。その清冽さはこの作品の語り口、文体の完成度から来るものも大きいと私は思います。
 ただ、一つだけ気をつけておかなければいけないのは漱石が「当て字の天才」であることです。漱石の小説には自分勝手な漢字の当て字が結構あります。「八釜しい(やかましい)」なんてその典型でしょうか。本作でも本来は叱りごとで「叱言(こごと)」なのに「小言」と書いてあります。「小言」は今では誤用のまますっかり定着してしまいましたが、それを「漱石が使っていたのだから昔から正しかったのだ」という強弁には私は反対です。

 さて、「私はその人を常に先生と呼んでいた。」という有名かつ簡潔な一文で始まるこの小説、そのあらすじはもう大抵の方がご存知でしょうけれど、印象的な文章を引用しつつ簡単に振り返ってみます。

 ある学生「」が「先生」と夏の鎌倉の海岸で知りあい慕うようになり、東京に帰ってからも頻繁に「先生」の家に出入りするようになる。先生はそれを拒みはしないが「近づきがたい」雰囲気をいつも漂わせ「私はあなたが思うような尊敬に値する人間ではありません」と積極的には主人公を受け入れようとはしない。先生には「」という美しい妻がいるし仲も大変良いが、どうも先生には妻にも話せない過去があってそれが暗い影をこの家庭に落としている。そのうち主人公の父の尿毒症が悪化し、やむを得ず帰省することになるが、先生は「どんな善人でもいざという時は悪人になる。それは金だ。親がなくなる前に財産分与についてはしっかりと話し合って貰える分はしっかり貰いなさい。田舎者は善人だなどと実家の人たちを信用してはいけない、私がその様に欺かれたのです。」と諭す。しかし、私が一番知りたくて、奥さんさえ知らない「自分自身を信用しないし人も信用しない、自分を呪うより仕方ないのです」「私は世間的に活動する資格のない人間です」という謎を真剣に問い詰めると、分かったいずれ話すがそれは今ではないと約束して、主人公を帰省させる。(「先生と私」)

 東北の片田舎の実家へ帰省した私を待っていたのは比較的元気な父と、それに安心している母であった。二人は私が大学を無事卒業したことを大層喜ぶが自分はそう大層なこととは思っていない。しかし父から「せっかく丹精した息子が、自分のいなくなった後で卒業してくれるよりも、丈夫なうちに学校を出てくれる方が親の身になれば嬉しいだろうじゃないか」と言う言葉を聞かされて一言もなく恐縮してしまう。しかし近所のものを呼んでの大宴会と言うしきたりを執り行うことには苦々しい思いしかない。幸い宴会は明治天皇のご病気で取りやめになった(これが後の重要な伏線になります)。そうこうするうちに徐々に父の病状は進んでいく。実家を継ぎたがらない私、既に離れて遠方にいる兄のことを「小共に学問させるのも、好し悪しだね。せっかく修行をさせると、その小共は決して宅(うち)へ帰って来ない。これじゃ手もなく親子を隔離させるために学問させるようなものだ。」とこぼすようになる。そして仕事の口がないのならその「先生」に頼んでみてはどうかとせっつく。やむなく先生に手紙を出す私だが先生がそんな世話など焼いてくれるはずもないことを私は知っている。いよいよ父が危なくなってきた頃に私の知らせで兄と義弟が帰省する。先生の言葉を思い出しそれとなく兄と財産について相談する私だが、父がまだ意識があるので分与の話まではできない。そんな折り、先生から常識外れの分厚い封筒に入った手紙が届く。(「両親と私」)

 第三章「先生の遺書」は先生の手紙であるため語り手である「私」が先生に入れ替わっており、文体もですます調の丁寧で丹精な文章に置き換わります。内容は殆どの方がご存知で詳細を述べるまでもないでしょう。先生の学生時代の「静」さんとの馴れ初めと、友人Kの自殺の経緯を語ったありえないほど長い手紙です。(「先生の遺書」)

 表面上は恋愛と友情と裏切りと後悔を第一軸、親子の愛情と世代間の考え方の齟齬と、金銭欲で意図も簡単に崩れる親族の信頼を第二軸とした、主人公「私」と「先生」、「私」と「両親」の「こころ」の葛藤の物語と言えます。私も最初に読んだときは友情と裏切りが、後年「小共」が成長してから読んだ時には親子の、とくに主人公の父母の心情が身に沁みました。
 しかし、そのストーリーだけでこの作品が傑作になりえたかと言うとそうではありません。その深層に漱石の「こころ」が横たわっているからこそこの作品は深い物語になっているのだと思います。それを二つのテーマに絞って検討したいと思います。

1: 「こころ」の無名性と抽象性

 この小説は抽象性と具象のバランスが絶妙に取れた小説であると言えます。まず無名性。主人公の「私」、そして「先生」は最後までそのままで、名前は出てきません。そういう意味では、冒頭の「私はその人を常に先生と呼んでいた。」と言う一文は暗示的です。名前の出てくるのは先生の奥さんだけで、「」と言う名前です。この名前には次のテーマに関しては非常に重要なのですが、敢えて言えば奥さんの名前を書かずに「奥さん」とだけしておいても「先生と私」の章は十分成り立ちますし、実際「先生の遺書」の章ではお嬢さん、妻(さい)としか書かれていません。
 その他、私の両親、兄の名前もありませんし、先生の親、裏切った叔父の名前もありません。更に最も重要な登場人物である先生の友達は、アルファベット一文字「K」としか書かれていません。

 そしてそのKと先生と「静」の恋愛模様プラトニックに徹しています。Kが自殺してから結婚した先生と奥さんの間には子が無い事より、先生が奥さんとセックスできたかどうかさえも怪しいものです。

 このように敢えて匿名性とプラトニックを貫いたことにより、この小説は静謐さと透明感を得、時代を超えて通用する思想性を持ちました。具体名を記して多彩な登場人物を縦横無尽に動かし、性についても大胆に踏み込んで、原色の激しさで塗りこめたかのような「行人」とは好対照を成しています。
 私は嵐のような激しさを持つ「行人」を好むものですが、一方で誰もがどの登場人物にも感情移入しやすくなり、読むたびに新たな見方ができるようになるのは無名性の利点でしょうし、一般教養として学生が勉強するには抽象的でプラトニックな愛が描かれるという点において「こころ」の方が確かに適しているでしょう。

2: 明治と言う時代への訣別

 ごく普通に読めば、Kの自殺は先生の裏切りによる失恋、先生の自殺はその悔恨の末の絶望がその理由と解釈されるでしょう。しかし、実はこの小説にはそんなことは一言も書いていないのです。Kの遺書には

自分は薄志弱行で到底行先の望みがないから、自殺する

としか書かれていませんでした。それでも先生は本当の理由は自分の裏切りに違いないと当初は思い込みますが、その後その理由について「そう容易くは解決が着かない」と思い始め、「たった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に所決した」のではないか、そして自分もそうなるのではないかと恐れ始めます。

 その先生も、当初は母をなくし「私にはもうあなたしか頼る人がいなくなった」と言う妻を残して死ぬつもりはありませんでした。その先生をして、決断させた切っ掛けは実は明治天皇崩御だったのです。

夏の暑い盛りに明治天皇崩御になりました。(中略)最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟時勢遅れだという感じが烈しく私の胸を打ちました。

 そして一ヵ月後大葬の日に乃木大将が殉死します。これが先生の「こころ」を決定的に定めた事件となりました。先生は「明治の精神に殉死する」道を選んだのです。
 漱石がこの小説を書いたのは大正三年でしたが、「模倣と独立」のレビューでも述べたように漱石は乃木大将の殉死に衝撃を受けた上で肯定的な発言をしています。森鴎外もこの事件に影響を受け「興津弥五右衛門の遺書」「阿部一族」の二作を著しますが、漱石とは対照的に、

『 「殉死」とは主君の許可を必要とするものであって、そういう意味では乃木希典自死は「殉死」ではなく「犬死」である。 』

と否定的に捉えています。感覚派の漱石、理論派の鴎外といったところでしょうか。いずれにせよ、明治天皇崩御と乃木大将の殉死をもって明治時代が終わったという思いは両者に共通し、更には明治と言う時代を生きて来た人々の心に痛切な影響を及ぼしたことは想像に難くありません。
 そういう意味において、「こころ」は深層的には「明治という時代への挽歌」であった、と思います。

 最後に唯一名前の出てくる「先生」の奥さんの名前「」に関して、乃木希典大将とともに殉死された奥様の名前が「静子」であったことを申し添えてレビューを終えたいと思います。