ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

永日小品 / 夏目漱石

永日小品

 漱石大全読破プロジェクト、今回は「永日小品」です。25本の掌編からなる作品ですが、大好評だった「三四郎」の後を受け、読みやすい小品を連載してほしいとの依頼が朝日新聞よりあり、「元日」が朝日新聞に掲載され、1月14日より3月14日まで大阪朝日新聞に24篇が掲載されました。うち14篇は東京朝日にも掲載されています。
 題名を列挙しますと

「元日」「蛇」「泥棒」「柿」「火鉢」「下宿」「過去の匂い」「猫の墓」「暖かい夢」「印象」「人間」「山鳥」「モナリサ」「火事」「霧」「懸物」「紀元節」「儲口」「行列」「昔」「声」「金」「心」「変化」「クレイグ先生」

となります。

 あきらかに近辺雑事録・少年時代の思い出・倫敦留学記と思われるものから、「夢十夜」を髣髴とさせる掌編小説まで、漱石の筆は相変わらず闊達です。
 「夢十夜」は多くの章が「こんな夢を見た。」で始まるところがとても印象的な作品です。そうすることで、一定のリズムを作るとともに作品全体に統一性を持たせているわけですが、逆に考えるとそれが一種の制約になっています。この十のお話は全部夢ですから現実とは一切関わりがありませんよと断わりを入れているわけです。

 その点、「永日小品」はそういう前置きがないので、どこまでが本当でどこからが非現実なのかわからない虚実の境を揺蕩う世界を味わえるのが一つの楽しみとなっています。巧まずしてそうなったのか、或いは漱石が当初より目論んでいたのかは分かりませんが、結果的に全体として、卑近な日常から徐々に幽玄の世界へ読者を引きずりこむことに成功している作品となっています。では大体の傾向別にいくつかの作品を概観して見ましょう。

  元日のめでたい雰囲気の中高浜虚子の鼓で漱石が謡う、その情けない顛末が笑いを誘う「元日」、「吾輩は猫である」の泥棒事件やネズミ事件のネタ元を明かした「泥棒」、その猫の死を悼む「猫の墓」は当時の読者には親しみやすい話だったでしょう。ちなみにその猫は「三四郎」執筆中の前年9月に亡くなり、漱石は「猫の死亡通知」を友に出しています。
 また処々に出てくる金の無心の話も現実味があります。その中でも「山鳥」という作品における、窮乏し借りた金を返せない貧乏青年への漱石

先年の金子(きんす)の件御介意に及ばずと云う一句を添えた。

という最後の文章は漱石の人柄を偲ばせる貴重な記録であると思います。

 また今はルネサンス時代の傑作中の傑作とされるレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリサ」が当時の一般人には「この女は何をするか分からない人相だ。見ていると変な心持になる」と気味悪がられていたことなど、時代とともに変わる価値観の一端を覗くことができて面白いです。

 さて、ここからが漱石の真髄。先ずは自然描写の妙を読める傑作が「」。以前紹介した「自然を写す文章」で自らの自然描写の手法を明かし、「草枕」「二百十日」などで披露したその技術を惜しみなく投入し、スコットランドピトロクリという渓谷を描写しています。冒頭の一節を紹介しましょう。

『 ピトロクリの谷は秋の真下にある。十月の日が、眼に入る野と林を暖かい色に染めた中に、人は寝たり起きたりしている。十月の日は静かな谷の空気を空の半途で包(くる)んで、じかには地にも落ちて来ぬ。と云って、山向へ逃げても行かぬ。風のない村の上に、いつでも落ちついて、じっと動かずに靄んでいる。その間に野と林の色がしだいに変って来る。酸いものがいつの間にか甘くなるように、谷全体に時代がつく。ピトロクリの谷は、この時百年の昔、二百年の昔にかえって、やすやすと寂びてしまう。人は世に熟れた顔を揃えて、山の背を渡る雲を見る。その雲は或時は白くなり、或時は灰色になる。折々は薄い底から山の地を透かせて見せる。いつ見ても古い雲の心地がする。』

 お見事としか言いようのない文章です。スコットランドがはるか遠い世界であった明治の読者にはこの世のものとは思えない風景描写であったでしょう。
 そしていにしえのハイランダーとローランダーの壮絶な戦いに思いを馳せた漱石の足元に「美しい薔薇の花弁が二三片散っていた。」という終文の鮮やかなイメージも深い余韻を残します。

 このような読み物に混じって漱石独特の幻想的な文章が読めるのがこの作品の醍醐味です。
 濁流から叔父がすくい上げた蛇に「覚えていろ」と言われてしまう少年時代の思い出を描いた「」、倫敦の霧の凄さを「軽い葛湯を呼吸する」ようだと活写する「」、寒い倫敦の街を吹きぬける風に煽られて家のなかに逃げ込むと極彩色の多くの人々がひしめいていて、一転暗くなると闇の中で皆が暖かいギリシャを夢見ている、実はそこは、という「暖かい夢」、異国の町で大群衆に押されて家の方角さえ見失ってしまい、最後に振り返ると竿のような細い柱の上に小さい人間がたった一人で立っていた、という不思議極まりない描写の中に倫敦時代の漱石の孤独を感じさせる「印象」、幻想的な色彩の行列が廊下を通っていく様を描写し最後ににやりとさせる種明かしを用意した「行列」等々。先ほども述べたように虚実の境を測りかねるような、漱石のにやりとする表情が目に浮かぶような作品群です。

 そしてその白眉が「」。そう、あの傑作「こころ」の前に漱石は既に「心」という小説を書いていたのです。
 ある春の日にどこかの二階の手摺に湯上りの手拭を懸けて町を見下ろしていると一羽の小鳥が飛んできて、しばらく見ているとやがて手摺にとまり、手を差し出すと向こうから手の中に飛び移ってきたので、鳥を籠の中にいれて夕方まで眺めている、という前置きのようなエピソードが語られます。
 やがて散歩にでてあてもなく町を歩き回ると小路の入口に女が立っていて、自分はその女にひきつけられて、路地の奥に女の後を跟(つ)いていくことになってしまいます。
 まるで小鳥が自分に惹かれて籠の中に入ってしまったように、自分はその女に魅入られてその町を逃れられなくなってしまったように受け取れる文章です。そしてその女の描写にはっとする一文があります。

『 その顔は、眼と云い、口と云い、鼻と云って、離れ離れに叙述する事のむずかしい――否、眼と口と鼻と眉まゆと額といっしょになって、たった一つ自分のために作り上げられた顔である。百年の昔からここに立って、眼も鼻も口もひとしく自分を待っていた顔である。百年の後のちまで自分を従えてどこまでも行く顔である。黙って物を云う顔である。 』

 「百年」、そう、夢十夜の第一章で死んだ女が百合となって主人公の元に帰ってくるまでの年月と同じなのです。この作品の文章には主語がなく、途中で「自分」という言葉が出てくる程度なので、現実の漱石の体験とも全くのフィクションとも分かりません。
 その様な虚実の境の作品にあえて「心」という題名をつけたのは何故なのか?現実の漱石の心の中にそういう女性は存在したのか?

 現実の漱石は妻鏡子との仲はお世辞にも良いとは言えませんでした。彼の想像中での理想の女性像が「夢十夜」第一章で夢幻として語られ、「心」である程度具現化し、「こころ」で先生に自死を選ばせるほどの女性像として結実して行ったのだとすれば、などと、いくらでも深読みのできる興味の尽きない作品です。