ゆうけいの月夜のラプソディ

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満韓ところどころ / 夏目漱石

満韓ところどころ

 漱石大全読破プロジェクト、5年目の1909年(明治四十二年)に入ります。この年の漱石も「満韓ところどころ」に頻繁に記してあるように相変わらず胃病に悩まされながらも創作活動は活発でした。大全には「私の経過した学生時代」「永日小品」「予の描かんと欲する作品」「『それから』予告」「それから」「長谷川君と余」「「額の男」を読む」「満韓ところどころ」「『煤煙』の序」の9編が収められています。
 このうち広く知られている作品は「永日小品」「それから」の二作で、これらは個別にレビューしたいと思います。

 その他の作品を簡単に紹介します。

 「私の経過した学生時代」は自らの学生時代の進学の課程を簡潔かつユーモラスに紹介した随筆です。最初は随分不真面目な生徒だったようでカンニングで予備門に合格したが、させてもらった相手は落第したなどと正直に描いています。その人物については後述します。

 「予の描かんと欲する作品」はインタビュー形式の自己作品論で主に「虞美人草」について語っています。特に藤尾と糸公の二人の女性についての見解が面白いです。

 「長谷川君と余」はこの年5月にインド洋上で客死した二葉亭四迷を悼んで8月に朝日新聞に掲載した追悼文です。二葉亭四迷は「浮雲」「其面影」などで言文一致体を確立した明治文学の大物ですが、本名は長谷川辰之助漱石より先に朝日新聞に入社しており、特派員としてロシアに赴任しその帰途に残念ながら肺炎で亡くなりました。この文章を読むと同社に在籍しながらあまり会う機会はなかったようです。しかし彼の人柄、そして「虞美人草」の前に朝日新聞に連載されていた「其面影」を高く評価しています。

 「「額の男」を読む」は長谷川如是閑の「額の男」の批評で、最初は貶していながら、文章の色彩は美しいと褒め、一転してここはこうしたほうが良いなどと、相変わらずの遠慮ない率直な意見を述べる漱石先生流を貫いています。

 「『煤煙』の序」は弟子森田草平の作品の序文です。森田草平漱石の弟子の一人ですが、「三四郎」のヒロイン美禰子のモデルと言われている平塚雷鳥と心中未遂を起こし「塩原事件」として世間を騒がせました。
 漱石は彼にこれを題材として小説を書かせて朝日新聞に連載しました。その単行本の序を漱石が書いているわけですが、官憲と相談したところこれは出版すべきでないと言われ、知恵を絞った挙句前半だけを出版したと経緯を述べています。その上でですが、後半の出来はよくない、前半はまずまずだ、と序文にしては辛辣なことを書いています。ちなみに「それから」の文中でも「あまりよくない」と書いています。漱石先生厳しい!
 ちなみに平塚らいてうはその後女性解放運動の象徴ともいえる「元始、女性は太陽であつた」でこの事件を描いています。

 さて、「満韓ところどころ」ですが、先の「私の経過した学生時代」や「永日小品」にも顔を出している親友で当時満州鉄道総裁であった中村是公に誘われて八九月に旅行した満州紀行文です。
 私も今回はじめて読んだのですが、イギリス留学以外の紀行文と言うのはおそらくこれだけで、漱石ファンには貴重な資料と言えます。
 とは言うものの始終ぶつくさぼやいている感じで、おまけに最後は「年を越して連載するのもなんだから」という理由で突然終了してしまうという、随分おかしな旅行記となっています。まあ漱石先生にもこういう作品があるのだということと、そして直後に彼の地で大変な事件が起こるので、少し詳細に紹介したいと思います。

 満鉄本社のある大連に始まり、旅順、奉天、ハルピンなどを訪れていますが、渡航時より最後まで胃病に悩まされていたためか、あまり愉快に旅しているという感じはしません。胃薬ゼムを常用しつつ勧められるまま仕方なくあちこち行かされている感じで、やれ馬車が無茶な運転するの、トロは気分が悪くなるの、力車は日本の発明だが運転手が満韓のやつらになると荒っぽくてかなわないのと文句ばっかり言ってます。風景やホテル、施設などに感動している場面もありますが、水が汚いとか、サービスがひどいとか、遠慮なく文句をつけています。

 その一方で彼がこの地で再会する人たちの多さにも驚かされます。一足先に戻った是公はもちろんのこと、先ほどカンニングをさせてもらって自分は合格しその人は落ちたと書いた、当時北海道の農学部教授だった橋本佐五郎、英文科で一緒だった立花政樹、成立学舎寄宿仲間の当時旅順警視総長だった佐藤友熊、「猫」の多々良三平君のモデルとされて迷惑し漱石に抗議しきりだった股野義郎等々。
 当時の漱石は彼の地の日本人にも知られる有名人ではあり方々で歓待を受けていますが、当の漱石はそれらの友人たちが出世していることに今ひとつピンと来ていなかったようです。特に是公については「満鉄総裁がこんなに偉い立場だとは思わなかった、気軽に是公と呼べないじゃないか」とぼやいたりしていて笑いを誘います。

 読んでいてひっかかるところは満韓の現地の人々の描写です。日清日露戦争戦勝後の時代の日本人としては普通の見方であったのでしょうけれども、かの地の人に対する見方や表現は今の時代の人間からすると随分差別的、蔑視的ではあります。
 実は漱石が帰国したわずか一ヵ月後の十月に伊藤博文がハルピンで暗殺され、世間が騒然となりました。この事件には漱石も驚いたようで、満洲日日新聞に「韓満所感」という記事を寄せています。「この間訪れたばかりの地で起こった希有の兇変」と驚きながらも

余の如き政治上の門外漢は遺憾ながら其辺の消息を報道するの資格がない

と記し、政治とは距離を置いていた漱石らしく、積極的な政治的意見は述べていません。しかし今の時代から見ると、漱石のようなニュートラルな知識人が「満韓ところどころ」で図らずも見せている無意識の蔑視の積み重ねが今の中韓反日的言動の下地になっているのかもしれないな、と思わせないでもありません。

 ではこの辺で今回は終了、次回は「永日小品」の予定です。