ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

坑夫 / 夏目漱石

坑夫

 漱石大全読破プロジェクトも、4年目の1908年(明治41年)に入りました。前年から朝日新聞社に入社した漱石はいよいよ職業作家として述作が本格化し、初期の代表作でその後の「大小説群」の端緒となった「三四郎」を書いています。

 大全にはこの年「坑夫」「創作家の態度」「文鳥」「夢十夜」「三四郎』予告」「三四郎」「正岡子規」「田山花袋君に答う」の8編が収められています。

 個人的は私の最も好きな「夢十夜」の書かれた記念すべき年、ということになります。その幻想性は読む者を惹きつけて止まず、魅入られたものは何度も読み返すことになる傑作だと私は思うのですが、このような漱石の作風に反論する勢力も当然ありました。例えば19世紀末のフランスの小説家ゾラに端を発し、この頃日本でも勃興しつつあった田山花袋島崎藤村らの自然主義文学派がそうです。
 この年に収められている「田山花袋君に答う」という一編があります。漱石が自作に対する批評を気にかけて反論することはまず無かったのですが、田山花袋の批評によほど腹を据えかねたのか、その批評で使われた「拵えもの」という言葉をそのまま返して田山花袋の作品を痛罵しています。また、「創作家の態度」という講演集ではゾラまで遡って自然主義に対しても異議を唱えています。

 このような漱石反自然主義の態度が明確に見て取れる作品の一つが「坑夫」です。皮肉なことにこの作品はこの年の元日から朝日新聞に掲載予定だった自然主義派の島崎藤村の「」の執筆が遅れ、穴埋めの依頼を受けた漱石が引き受けて書かれたものなのです。漱石プロレタリア文学などという評もあるようですが、実情はそうではありません。これはある青年が漱石

「自分の身の上にこういう材料があるが小説に書いて下さらんか。その報酬を頂いて実は信州へ行きたいのです」

という話を持ちかけられたところに端を発しています。漱石は「それなら君自身が小説化したらよかろう」と乗り気ではなかったのですが、藤村の代打で至急に書かないといけないという事情ができたために自らが筆をとったわけです。
 いわば代打・代筆の作品であり、従来の漱石のどれとも似ておらず、その後の作品群にも似たようなものはない、云わば鬼っ子的作品で、漱石の著作の中でも「最も人気のない作品」の一つでしょう。
 文体・会話・構成・思想的に極限まで粋を凝らせた前作「虞美人草」から一転して、この作品には何の工夫もありません。一直線に話は進んでいき驚くべきことに章立てさえ無いのです。

 話は至って単純で、一言で言えば裕福な家庭の19歳の青年がこの世の地獄の銅山で働くことになる、という話です。彼は二人の女性の板挟みになって苦悩し自殺しようと旅に出て、世間知らずと自暴自棄からポン引きにいとも簡単にだまされ坑夫として銅鉱山で働くことを承諾してしまいます。一泊のひどい旅を終えて辿り着いたのはどこか北関東あたりの山奥深い鉱山町の飯場。そこで知ったのはここはあぶれもの、身を持ち崩したものが奴隷のように働き体の弱いものは死んでいく場所だということ。殆どの者が少年を侮蔑する中、少年は半ば自殺願望でここで働く決心をしますが、翌日坑道深くまで案内係の初さんに半ば軽蔑されながらも降りてゆき、そこが死ぬより辛い地獄だと体感します。帰る途中では初さんを怒らせて置いてきぼりを喰らいますが、偶然出会った坑夫の安さんが学と情がある男で、親身になって東京に帰った方がいいという忠告してくれ、道案内もしてくれました。その忠告を涙が出るほどありがたいと感じつつ、ある情動から少年はそこで生きていく決心をします。が、翌日運命は一転し。。。。。
 ちなみに自殺願望の少年は坑道の中で、出たら華厳の滝で自殺しようと想像をたくましくしています。藤村操の影がまだこの小説にも見られるところをみると、漱石は本当に彼の自殺が心に引っかかっていたようです。

 それはともかく鉱山のリアルな描写、南京米に南京虫、半分冗談のような不埒な「ジャンギー」という葬送、最後まで意味の分からない「シキ」という言葉。この題材をもちこんだ青年が自ら小説化した作品だとすれば、「ルポルタージュ」として第一級のものではないでしょうか。この7年前には日本初の公害事件とされる足尾銅山事件田中正造明治天皇に直訴状を提出しようとしてさえぎられています。おそらくはそのあたりの銅山の実情そのものだったのでしょう。
 しかし漱石が小説として描けば全く別物となります。「創作家の態度」で徹底的に自然主義を吟味しつくした漱石が「反小説」として書き上げた、実験小説的な摩訶不思議な味わいのある作品となっています。
 
 と訳知り顔でレビューしてきましたが、私も実はある小説を読むまでは未読でした。そのある小説とは村上春樹の「海辺のカフカ」です。家出したカフカ少年が四国のある図書館の司書大島とこの「坑夫」について語り合っているのです。この小説には「なにか教訓を得たとか、そこで生き方が変わったとか、人生について深く考えたとか、社会のありかたについて疑問を持ったとか、そういうことはとくには書かれていない」けれども「なにを言いたいのかわからない」ところに惹かれています。大島さんはそれに答えて「不完全であるが故に人間の心を強く引きつける。少なくともある種の人間の心を強く引きつける」と答えています。

 敢えてレアで見逃されがちな作品や音楽を取り上げる村上春樹の炯眼には恐れ入りますが、不完全なのはこの作品が素人の叙述(あるいは記述)を下書きにして代打で書き上げたという実際的な事情と「反小説」的試みの双方の相互作用によるものでしょう。

 それは自然主義派への敢然たる挑戦であったかもしれないし、小説としての完成度を極限にまで高めながらも気に入らなかった「虞美人草」の反動であったかもしれません。いずれにせよ漱石の作品としては評価が低くても仕方のない作品だと思います。知っていると漱石マニアだと自慢できるかもしれませんけどね。