ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

虞美人草 / 夏目漱石

虞美人草

 漱石大全読破プロジェクト明治四十年、「野分」に次いでのもう一作はこの「虞美人草」です。では、ちょっと漱石先生風に書いてみたブクレコレビューをどうぞ。残念ながら分析は「島崎藤村」タイプでした...orz

 流麗典雅にして錦絵を見るが如くの豪華絢爛たる漱石先生流近代的恋愛小説である。漱石先生にそんな作品があるのかと訝しむ方もあるやも知れぬ。「虞美人草」は失敗作であると物知顔に貶す輩もあらう。では百説は一文に如かずで三名の妙齢「女子」の描写を読んで頂こうではないか。主人公のひとり外交官浪人宗近一(むねちかはじめ)君の評によると一に藤野、二に京女(小夜子)、三に妹である糸公(糸子)だそうである。


甲野藤野: 紅を弥生に包む昼酣(たけなわ)なるに、春を抽(ぬ)きんずる紫の濃き一点を、天地の眠れるなかに、鮮やかに滴たらしたるがごとき女である。夢の世を夢よりも艶に眺めしむる黒髪を、(中略)、春にいて春を制する深き眼(まなこ)である。

上小夜子: 色白く、傾く月の影に生れて小夜と云う。母なきを、つづまやかに暮らす親一人子一人の京の住居に、盂蘭盆の灯籠を掛けてより五遍になる。(中略)長袖の右左に開くなかから、白い手を尋常に重ねている。物の憐れは小さき人の肩にあつまる。乗し掛かかる怒は、撫で下す絹しなやかに情の裾に滑すべり込む。

宗近糸子: 丸顔に愁(うれい)少し、颯(さっ)と映る襟地の中から薄鶯の蘭の花が、幽(かすか)なる香を肌に吐いて、着けたる人の胸の上にこぼれかかる。糸子はこんな女である。


 典雅で古風な漢文調にして各々の女子の魅力を一瞬にして感得せしむる見事な表現、漱石先生は女子を描かせても第一等である。藤野には相当苦しまれたそうであるが。

 如何せん男尊女卑の時代、漱石先生も当時の常識から大きく外れてはいないが、甲野藤野は近代的自我の目覚めを持った勁い女性として描かれている。周囲は宗近君との縁談を進めているが御本人は「趣味のない人」とにべもない。それよりは銀時計を陛下より賜つた秀才で英語の家庭教師の小野清三君に気のあるそぶり。父の形見の赤い石榴石(ガーネット)のついた金時計を大切にしているが、差し上げるのなら宗近君でなく彼にと思つている。
 藤野の腹違いの兄の甲野欽吾は卒業して二年、哲学を志すも鬱々として家に引きこもつてゐる。外交官の父が欧州で客死するも家を継ぎたがらず、糸子と添わせて甲野家を守りたい義母(ただし腹の内はなかなか見せない)を苛々させるばかりである。その義母の策略で親友の宗近君が京都へ彼を引張りだしたところからこの話は始まる。
 その京の地で二人が偶然にも三回も遭遇した美女がこれまた偶然にも小野君の恩人である井上孤道先生の娘で許婚の小夜こと上小夜子であった。許婚と言っても孤道先生が決めた五年前の話である。小夜は五年を一日の如く小野君を思い続けているが、小野君はもう五年前の小野君ではない。彼の心はもう小夜にはなく、藤野の「指す指は針の如く人を刺す」魅力の虜となっているのである。

 男子三人女子三人の関係は大体かくの如くである。

 さて東京へ帰る宗近・甲野両名と京を離れ小野君の待つ(と思っている)東京へ立つこの父娘は偶然にも同じ夜行列車に乗り合わせる。漱石先生のその描写がまた凄い。


『 一人(いちにん)の一生には百の世界がある。ある時は土の世界に入り、ある時は風の世界に動く。またある時は血の世界に腥(なまぐさ)き雨を浴びる。一人の世界を方寸に纏めたる団子(だんし)と、他の清濁を混じたる団子と、層々相連って千人に千個の実世界を活現する。個々の世界は個々の中心を因果の交叉点に据えて分相応の円周を右に劃(か)くし左に劃す。怒の中心より画がき去る円は飛ぶがごとくに速かに、恋の中心より振り来たる円周は焔の痕を空裏(くうり)に焼く。あるものは道義の糸を引いて動き、あるものは奸譎(かんきつの)圜(かん)をほのめかして回(めぐ)る。縦横に、前後に、上下(しょうか)四方に、乱れ飛ぶ世界と世界が喰い違うとき秦越の客ここに舟を同じゅうす。甲野さんと宗近君は、三春行楽の興尽きて東に帰る。孤堂先生と小夜子は、眠れる過去を振り起して東に行く。二個の別世界は八時発の夜汽車で端なくも喰い違った。』


 もうルビ無くしては何のことか判らない。昔学生時代に読んだ時にはこの大仰さに面喰らつてしまい、この小説のよさがさつぱり理解できなかつた。今回は漱石大全を始めから順番に読んで来たのではたと腑に落ちるところがあつた。
  「草枕」の流麗たる漢文調文体、「二百十日」の軽妙で長い会話文、そして「野分」でみせた構成の妙、それらを統合させて述作を生涯の仕事とした決意の程を世間に提示してみせたのがこの「虞美人草」なのだらうと思う。

 
 漱石先生文中に曰く「この作者は趣なき会話を嫌う。」と。四名の乗り合わせた列車が新橋へ着いてからの成行を滔々と語っては趣のない書評になるであらう。あたかも時は明治四十年、上野で開催された東京勧業博覧会が後半の読みどころの一つである。よつて時代が大正昭和平成と移った今の時代に読み下すのは容易ではない。加へて後年の更なる進化がこの作品の評価を低くしていること、後年先生自身も女性の表現に苦しみ抜いたせいか本作を嫌つていたらしいことは誠に皮肉であるが、初めてものした本格長編であることに違いはない。やたら無粋な評論に惑わされず読むが得策である。


 ちなみに「虞美人草」とはヒナゲシの別名。項羽の愛人で絶世の美女虞美人が自害して果て、彼女を埋めた塚に咲いた花である。