ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

野分 / 夏目漱石

野分

 「漱石大全」読破プロジェクトも三年目の1907年明治40年)に入りました。この年には「野分(のわき)」「文芸の哲学的基礎」「入社の辞」「虞美人草」「高浜虚子著『鶏頭』序」の五編が収められています。講演や挨拶、序文などを除けば実質「野分」「虞美人草」の二編がこの年の収穫であり、漱石の著作活動の中でも特に重要な位置を占めています。
 
 そしてこの年は漱石にとっては大きな転換点でした。上記「入社の辞」にありますように、ついに漱石は教職を辞し、請われて5月に朝日新聞社に入社、本格的に文芸の述作に従事する決意を明らかにしています。その朝日新聞入社第一作が「虞美人草」であり、「初の」と言っていい長編大作となりました。

 ではまず「野分」を取り上げます。同じ台風を連想させる「二百十日」と兄弟のような小説ですが、より思想を深化させ、構成も今までになく複雑なものとなり、漱石の創作活動がいよいよ本格化したことを示す重要な作品です。

 先にその構成について考察してみたいと思います。この物語は三人の作家にまつわる物語です。
 一人は白井道也先生。「白井道也は文学者である。」という文章でこの小説は幕を開けます。三人のうち一番年上で、大学卒業後田舎の中学校の教師を三箇所でしていましたが、どこでも金持と権力者への無礼な態度が原因で、村人と生徒によってその職を追われ、東京に戻ってきました。そして教職にはつかず、編集者、及び作家としての仕事に携わり、なんとか生計を立てている。もちろん貧乏で借金にあえいでおり、細君は不満と不安でいっぱいですが本人は気にもしていません。
 二人目は高柳周作君。彼は大学を卒業したばかりの青年で、文学をやりたいがために就職活動を行わなかったために、今は「地理学教授法」の訳で得たわずかな収入で糊口を凌いでいます。彼は偶然にも田舎で白井道也先生を追い出した学生の一人で、そのことを今でも悔やんでいます。彼は貧乏が故に結核を患ってしまいます。
 三人目は中野輝一君。彼は高柳君の同級生で親友、そしてやはり文学に志し「僕の恋愛観」などいろいろなことを書いては同人雑誌に発表しています。そして彼にはほかの二人と決定的に違う点があります。彼は華族の一員なのです。彼の一族には莫大な財産があり、彼の家も立派なもので、美しい恋人もいます。

 この三人が各章ごとに一人、乃至は二人で登場し、三人が一堂に会する章はありません。絶妙な章毎の人間描写が三人の境遇を見事に浮かび上がらせつつ物語は進んでいきます。そしてクライマックスの白井道也先生の大演説のあと、「百円」(大体当時の教職員一か月分の給料)を媒介としてついに中野君→高柳君→道也先生の三人がつながり物語は幕を閉じます。

 富豪・家族への対抗心は「二百十日」と共通するものの、それとは比べものにならないほどの巧妙かつ練りに練られた構成とその分量は漱石の小説家としての成長を如実に示しています。「吾輩は猫である」はもっと長いと言われるかも知れませんが、あれは好評につき後から後から書き足していってあの長さになったわけで、一方この「野分」は始めからこれだけの分量を想定して構成されており、当時の漱石としては最大級の作品を見事に描ききったわけです。

 そしてその思想の深化。「二百十日」は落語的な一直線な作品で金持・華族を罵倒して終わっていました。それはそれで面白かったのですが、「野分」は文学者の存在価値を高らかに主張する一方で、現実世界の厳しさをも描き、漱石自身の矜持と現実の間で揺れる葛藤が手に取るように理解できる作品となっています。

 まずは高柳君の苦悩。

 「僕なんか書きたいことはいくらでもあるんだけれども落ち付いて述作なぞをする暇はとてもない。実に残念でたまらない。(中略)せめて、何でもいいから、月々きまって六十円ばかり取れる口があるといいのだけれども、卒業前から自活はしていたのだが、卒業してもやっぱりこんなに困難するだろうとは思わなかった」

 おまけに地方の郵便局員だった彼の父は、官金を使い込んで捕まり牢屋の中で病死。故郷では一人残った母親がさびしく暮らしている。その母親のために乏しい給金の半分を母親の為に送金しなければなりません。当然窮乏します。しかし彼は「口数をきかぬ、人交りをせぬ、厭世家の皮肉屋」なので、彼を気遣い助力を申し出る中野君の善意も素直に受け取ることができず、却って劣等感に苦しみます。その内面の美も醜も残酷なまでにあからさまに漱石は描いていきます。
 そんな彼がただ一人尊敬するのは学生時代に学校から追い出した白井道也先生。最後の最後に結核に蝕まれた自らの命を削ってまで道也先生を助けるのは、彼の思想に殉じたのか、それとも学生時代の罪滅ぼしか。
 それは読む人の判断に任されますが、おそらく漱石は現実に存在したであろう貧乏と結核に斃れていった当時の多くの文学者の総体としてこの人物を作り上げたのでしょう。

 一方の中野君。彼は漱石の一番嫌っていた華族ですが、悪人としては描かず、むしろ高柳君を積極的に助けようとする善人として描き、更には結婚した世間知らずのお嬢様もその助力を応援します。金持であるが故の貧乏人の気持ちに鈍感な部分はあるものの、悪意は皆無です。
 また彼のしたためる「恋愛論」は生活に困らない境遇であるが故に書けるものではありますが、こういう文学もあってよいでしょう。漱石はここにきてはじめて華族・金持を嫌うばかりではなく、こういう人物も文学の発展・広がりのためには必要だと認めているのです。ここに漱石の思想と創作の進歩が伺えます。
 個人的には初めてこの作品を読んだ時、「四畳半フォーク」の時代に、そんなちっぽけな世界を敢然と否定して登場したユーミンこと荒井由美を連想したことを懐かしく思い出します。

 そして白井道也先生。細君に愛想をつかされるほど現実感覚のない人物ですが、その思想は高邁です。日中はしがない雑誌編集者で、「人格論」という真剣な作品を完成させ出版させることにより、世の中を変革させるのだと信じて疑わない、ある意味滑稽な、そしてある意味文学者としての理想像とも言える存在です。
 曰く「動くべき社会をわが力にて動かす」、曰く社会を「高く、偉いなる、公けなる、あるものの方に一歩なりとも動かす」のが彼の使命。
 物語はそんな彼と細君の諍い、中野君の取材、高柳君への感化などを描いていき、後半「電車事件を煽動したと云う嫌疑で引っ張られた」者を救うための集会での道也先生の演説でクライマックスを迎えます。もちろん無報酬。兄への金の無心よりこちらを選んだ貧相な道也先生が壇上にあり、高柳君は聴衆の一人として席についています。あちこちからやじが飛ぶ中、道也先生は火のような勢いをもってぶち上げます。

理想のため、自己の魂のために、死を恐れることなく、最後まで闘い抜け」と。
 
社会は修羅場である。文明の社会は血を見ぬ修羅場である。四十年前の志士は生死の間に出入して維新の大業を成就した。諸君の冒すべき危険は彼等の危険より恐ろしいかも知れぬ。血を見ぬ修羅場は砲声剣光の修羅場よりも、より深刻に、より悲惨である。諸君は覚悟をせねばならぬ。勤王の志士以上の覚悟をせねばならぬ。斃るる覚悟をせねばならぬ。太平の天地だと安心して、拱手して成功を冀う輩は、行くべき道に躓いて非業に死したる失敗の児よりも、人間の価値は遙かに乏しいのである。」と。

 これほど激しい言葉で人としての道を語ることは過去の漱石にはありませんでした。おそらくは教職を辞し文学者の道を選択した漱石の悲壮な決意だったのでしょう。

 この演説に感動した高柳君は無念にも直後に結核で寝込んでしまいます。彼に転地療養を勧めた中野君はほぼ無償で百円という大金を彼に渡します。高柳君は暇乞いに訪問した道也先生宅で、百円を返せと借金取りに責め立てられる先生の原稿を百円で買い取り、先生宅を後にします。三人の間を流れていった百円。中野君にとっては痛くも痒くもない端金。道也先生にとっては絶対窮地を逃れ細君にも面目を施せる大金(ただしその百円を借金取りに返したかどうかは描かれていません)。
 そして高柳君にとっては?
 判断の是非を敢えて読むものに任せ、深い余韻を残し、この小説は次の文章で幕を閉じます。

愕然たる道也先生を残して、高柳君は暗き夜の中に紛れ去った。彼は自己を代表すべき作物(さくぶつ)を転地先よりもたらし帰る代わりに、より偉大なる人格論を懐にして、これをわが友中野君に致し、中野君と細君の好意に報いんとするのである。」

 漱石の文学者としての著しい成長は次の「虞美人草」へ繋がっていきます。