ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

草枕 / 夏目漱石

草枕

 「漱石大全」からの久しぶりのレビューになります。題名と最初の一頁だけは有名ですが、小説としての全体像を知る人は少ない、しかし漱石文学の新たなる出発点となった重要なマイルストーンである「草枕」です。

  「草枕」と聞けば誰でも冒頭の一節を思い浮かべるでしょう。

『 智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。』

 この一節はあまりにも有名で、諳んじることのできる人も多いでしょう。では、この小説がどんなストーリーだったかすぐに思い出せるでしょうか?そもそもこの作品が随筆でなく、ちゃんとストーリーのある小説であることすら知らない人が多いのではないでしょうか?

 例えば「坊っちゃん」の舞台と言えば21世紀の今でも多くの人が松山・道後温泉を即座に思い浮かべることができるでしょう。では「草枕」と言って熊本県那古井の里・小天温泉 を思い浮かべることのできる人はいったいどれくらいるでしょうか?
 また「坊っちゃん」に出てくるマドンナ(遠山のお嬢さん)は有名ですが、漱石文学屈指の魅力的な女性・那美さんを覚えている人がどれくらいいるでしょうか?


 まあそれもそのはず、この小説は漢文体で読みにくいことこの上ないし、とにかくとりとめのない小説なのです。主人公の画工(えかき)の随想が次から次へと殆ど思いつくままに描写されるものですから物語の内容よりそちらのほうが印象に強く残ってしまいます。
 そういう意味では、この小説中でも言及されているスターンの「トリストラム・シャンデー」に似ている。漱石はこの書について本作中でこう紹介しています。

『 最初の一句はともかくも自力で綴る。あとはひたすらに神を念じて、筆の動くに任せる。何を書くかは自分には無論見当がつかぬ。かく者は自己であるが、かく事は神の事である。したがって責任は著者にはないそうである。世が散歩もまたこの流儀を汲んだ、無責任の散歩である。ただ、神を頼まぬだけが一層の無責任である。』

この「散歩」を「草枕」に置き換えるとそのまんまこの作品に当てはまります。「草枕」は漱石流「トリストラム・シャンデー」なのだと言う事もできるでしょう。


 もちろん一応のストーリーはあります。簡単にまとめるとこうなります。

「 都会生活に嫌気が差し、九州の山奥を冒頭句のような物思いに耽りながら旅していた画工(えかき)が雨に降られそうになり、何とか山茶屋にたどり着く。そこの婆さんに那古井の里の志保田さんという宿屋を紹介されて訪れ、絵を描くために長逗留することになる。
 その宿には御那美さんという美しい女性がいた。彼女はわけありの出戻りである。活発で聡明だが、奇矯な振る舞いにも恥じることのない不思議な女性で、画工は彼女の言動に振り回されることになる。里の人たちの噂では、何代も前に悲恋で入水自殺した女性にそっくりでその家系には気違(差別用語であるがそのまま書かせていただく)が時々出る、那美さんもその筋だと。
 逗留は長くなり、好事家の宿の主人(那美の父)や寺の住職、理髪店の店主、本家筋の那美の従兄などいろいろな人との交流があり、話に出た色々な場所を訪れるが絵は一枚も描けない。那美さんを描きたいと思うが彼女にはたった一つ描くに足りないものがある。それは「憐れ」という情だ。そんなある日、那美の従兄の日露戦争への出征を親族とともに熊本駅まで見送りに行った画工はある一瞬についに那美さんに「憐れ」を見出す。最後はこう結ばれている。

「余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。」 」


 こう書くと、要するに画工が那美さんに懸想する物語だと思われそうですが、決してそれがこの小説の主題ではないところに、漱石が新たな小説の地平を切り開こうとした決意が見て取れます。この小説で漱石が目指したものをざっくりとまとめると「非人情性への回帰」と「漢文調文体の確立」の二つです。

1: 当時の近代文学の心理描写・物語性を否定した「非人情」: 近代小説は「探偵的」過ぎて登場人物の行動心理の描写、人物間の係わり合いが濃厚で暑苦しい。それよりは絵画を眺めるように淡々と人物風景を描写する。俗な世界から離れて「非人情(不人情とは全く異なる観念である)」に徹し日本的「俳三昧」の美を探究しようと画工は決意します。


『 余もこれから逢う人物を―百姓も、町人も、村役場の書記も、爺さんも婆さんも―悉く大自然の点景として描き出されたものと仮定して取こなして見よう。尤も画中の人物と違って、彼らはおのがじし勝手な真似をするだろう。しかし普通の小説家のようにその勝手な真似の根本を探って、心理作用に立ち入ったり、人事葛藤の詮議立てをしては俗になる。 』


2: 漢文体の確立: 「坊っちゃん」で軽妙な文語体を駆使し読者を魅了した漱石でしたが、本意はそこにはありませんでした。日本的様式美を文章に反映させ「非人情性」を確立する上でも、漢文・俳句・詩・英文学・絵画・その他諸々の芸術に関する自らの教養を縦横無尽に文章に反映させるためにも、そして勃興しつつあった「小説」を文学の位置に高めていく上でも漢文体は彼にとって必然であった。事実「坊っちゃん」的文体はその後影を潜め、「彼岸過迄」「虞美人草」等の初期代表作にその文体は受け継がれていきます。


Millais

 それにしても漱石古今東西の芸術に対する造詣は圧倒的です。主人公の画工はその知識を縦横無尽に開陳し、更には自ら漢詩・俳句・詩・英詩までをひねり出すのです。那美さんとともにこの作品に濃い影を落としているのは、画家ミレーの代表作でハムレットの女性主人公の入水死を描いた「オフィーリア」のイメージです。一方で西洋画のあられもない裸体画はくだらないと切って捨て、返す刀で古臭い伝統に縛られたつまらない儀式と日本の茶道の固陋性も批判しています。

 一方で理髪店の主人との会話などは軽妙で笑いを誘いますし、那美さんの奇矯な行動(振袖を着てうろうろしたり、画工がいると知りつつ風呂に入ってきたり)にはちゃんと謎解きを用意していますし、「野武士」とのかかわりの謎も最後にちゃんと落とし前をつけます。小説としての作法はちゃんと守っているのです。

 そして一点、漱石には「非人情」でいられない出来事があったことを吐露しています。入水自殺に関して「藤村子」に言及しているのです。藤村子とは遺書「巌頭之感」を残して華厳の滝で投身自殺した藤村操のことです。当時大変な話題となったものの自殺の原因は謎でした。しかし彼は漱石の英語クラスの生徒であり、直前の授業で叱られていたので、漱石はそのことをとても気にしていたそうです。この事件について本作で彼はこう書いています。

『 彼の青年は美の一字のために、捨つべからざる命を捨てたるものと思う。(中略)ただその死を促すの動機に至っては解しがたい。去れども死そのものの壮烈をだに体し得ざるものが、如何にして藤村子の所業を嗤い得べき。』


 結局画工は最後にインスピレーションを得たものの結局一枚の絵も描かずにこの物語は終わります。坊っちゃんが向こう見ずで無鉄砲で思慮が浅いにもかかわらず、ちゃんと職を得て月給を稼ぐために頑張ったのとは対照的に、溢れるほどの教養を持ちながら都会生活に倦み、鄙びた温泉に長逗留した画工はなにものをも生みませんでした。こういう生き方を選ぶ人間も必要なことを、漱石はその後度々有名な四文字で主張しています。

高等遊民

です。この用語についてはまた語る機会があるでしょう。