ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

二百十日 / 夏目漱石

二百十日

 
 「漱石大全」1906年漱石から、「遺伝の法則」「坊っちゃん」「草枕」とレビューしてきましたが、もう一作だけ紹介します。「二百十日」です。
 現代では台風を連想させる題名や思想が共通した「野分」とセットで収録されるのが普通となっている本作ですが、当時は春陽堂から刊行された「鶉籠」という短編集に「坊っちゃん」「草枕」と一緒に収録されていました。よくもまあこれだけ風合いが異なる三作品を一緒にしたものです。
 「坊っちゃん」が痛快青春小説、「草枕」が「非人情」漢文体小説とすれば、さしずめ「二百十日」は会話の妙と自然描写が見事な漱石流落語とでも言える面白い小説です。

  この作品の特徴は物語の殆どが会話で語られるということです。実は「草枕」でも主人公と理髪店の主人のユーモラスな会話はあり、落語好きだった漱石の片鱗が見て取れますがこの作品はその会話の妙を拡大して一つの作品にした感じです。
 おまけに主人公は阿蘇に旅した江戸っ子で豆腐屋の息子の圭さんとこれも江戸っ子で「高等遊民」的な碌さんの二人。男二人が中心となるユーモラスな会話と言えば当然ながら落語を思い浮かべます。小説を朗読したCDは沢山ありますが、この作品など是非落語家に語ってほしいですね。今なら立川談春さんがいいかな。

 では、ユーモアだけの滑稽小説かと言えばそうではありません。翌年の「野分」でははるかに深化させた形で当時の社会の閉塞感を表現していますが、この作品での圭さん碌さんの考えもかなり過激なものです。二人とも「金持ちと華族」が幅を利かせる世の中が大嫌い、「豆腐屋主義」と称して痛烈にそんな世相を罵倒しています。

 とは言え、あまり批判ばかりでは息苦しかろうとガス抜きとして登場するのが旅館の女中。江戸っ子二人とのかみ合わない珍妙なやり取りで笑わせてくれます。有名な

「ビールは御座りませんばってん、恵比寿なら御座います」

というネタはここで出てきます。もう一つ「半熟卵」の勘違いも落語そのもの。

「半分煮て参じました」

という女中の勘違いは読んでのお楽しみ、ここでは伏せておきます。

 さて、翌日二人は天候も悪く阿蘇の噴火活動も活発になる中で、御山の噴火口目指して出かけますが、結局散々な目に合って退散します。そのあたりの結構壮絶な自然描写は漱石の面目躍如たるものです。

 実はこの道中に関して、いったいこの二人はどこを通ったのか分からない、漱石の記憶は間違っているのではないかという説があります。落語風に言えば「野暮な野郎だねえ」となるところですが、真面目に論じると、漱石はこの年「自然を写す文章」という短い随筆を著しており、大体次のような論旨を展開しています。

「長々しく精密に叙景の筆を弄するよりも、落語や俳句で、一寸一句にその中心点をつまんで描いたものの方が多大な聯想を含んだ韻致の多いものとなる。一分一厘も違わずに自然を写すなどと言うことは不可能であるし、また成し得たとしても別にたいした価値はない」

 これがそのまま研究家の疑問への回答となっていると思います。例えばこの文章などはそれを実践した見事なものです。

「空にあるものは、煙と、雨と、風と雲である。地にあるものは青い薄(すすき)と、女郎花と、所々にわびしく交る桔梗のみである。二人は煢々(けいけい)としてとして無人の境を行く。」

 翌日もうこりごりと碌さんは熊本へ帰ると言い出し、「二百十日だから悪るかった」んだと未練たらたらながら圭さんも渋々承諾しそうになりますが、そこからまた会話は「金持と華族」への批判へ移っていきます。豆腐屋主義の圭さんの

「我々が世の中に生活している第一の目的は、こう云う文明の怪獣を打ち殺して、金も力もない、平民に幾分でも安慰を与えるのにあるだろう」

という圭さんの言葉に碌さんも同意、

「あると思うなら、僕と一緒にやれ」
「うん。やる。」
「きっとやるだろうね。いいか。」
「きっとやる。」

という会話は当時の漱石の気概そのものかもしれません。で、その次の台詞。

「そこでともかくも阿蘇へ登ろう。」
「うん、ともかくも阿蘇へ登るがよかろう。」

そう来るか、という見事なオチ(笑。最後は見事な一筆描写で締められます。

「二人の頭の上では二百十日阿蘇が轟々と百年の不平を限りなき碧空に吐き出している。」

 面白い落語は繰り返し聞いても飽きないように、この作品も何度読んでも面白い小説です。「草枕」が文体的に「野分」「虞美人草」へつながっていく作品だとすれば、本作はユーモラスでありながら思想・会話表現的に次の二作品につながっていく作品だと言えましょう。落語にも笑いの中に世相への深い洞察が含まれているように。