ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

倫敦塔 その他 漱石1905年

倫敦塔

 相変わらず暇があれば「漱石大全」を読んでいます。去年は明治文学の双璧と言われるもう一方の森鴎外に凝ってしまいましたが、根っからの漱石ファンである私にはやっぱり彼の作品のほうがしっくりくるし、読み始めると止まりません。というわけで随分読み進んでいるのですが、「吾輩は猫である」以来レビューが滞ってしまいました。今回は1905年(明治38年)のほかの作品を概観してみます。

 この年漱石は38歳、イギリス留学を終えて東京帝国大学英文科の講師を務めていましたが、前年高浜虚子に勧められ、創作活動に入っています。「漱石大全」には「吾輩は猫である」以外に「倫敦塔」「カーライル博物館」「幻影の盾」「琴のそら音」「一夜」「薤露(かいろ)行」が収められています。

 「倫敦塔」は比較的よく知られた作品です。漱石のロンドン留学は異国に慣れることのできないストレスから神経衰弱を患ってしまい帰国を余儀なくされたほろ苦い経験でした。
 とは言え、全く実りがなかったかと言えばそうではなく、実際の英国を実感することにより、英国の歴史・文学を頭で理解する以上に五感で感じ取り、自らの血肉とすることができたようです。それを実感させるのがこの作品で、陰鬱な倫敦塔をだた一回だけ訪問した時に見た幻想を記した、という形で英国の凄惨な歴史を回顧しています。

 まず塔内に入り、幽閉・処刑された古の大僧正クランマー、ワイアット、ローリーらが舟で連れてこられる情景を思い描きます。
 そして血塔では、叔父によって王位を追われ殺されたエドワード4世の二人の小児エドワード5世とリチャードの幻影を寝台の端に見ます。兄は弟に物語を読み聞かせています。

「朝ならば夜の前に死ぬと思え。夜ならば翌日(あさ)あると頼むな。覚悟こそを尊べ。見苦しき死に様ぞ恥の極みなる・・・・・」

わずか十三四の子供の覚悟が悲しい一節です。

 最後はボーシャン塔。

「倫敦塔の歴史はボーシャン塔の歴史であって、ボーシャン塔の歴史は悲酸の歴史である。」

という陰鬱な「百代の遺恨を結晶した」塔です。ここで漱石は「九日間の女王」として有名なジェーン・グレーの幻想を見ます。彼女の首を、首斬り役が「重たげに斧をエイと取り直し」て切り落とし役目を執行します。そしてズボンの膝に2,3滴の血が迸(ほとば)った途端、漱石は現実に引き戻されます。

 もちろんこれは漱石の創作であり、珍しくあとがきを書いており、シェークスピアの戯曲「リチャード三世」、エーンズウォース(エインズワース)の「倫敦塔」を参考にしたと述べています。
 というわけであくまでも漱石の英国文学への造詣の深さが生んだ作品ではあるのですが、「吾輩は猫である」と同時期に書かれたと思えないほどの陰鬱さ神経の繊細さも漱石の一面であったことが分かる作品です。

 この作品以外は漱石ファン以外にはあまり聞き馴染みのない作品ばかりだと思います。「カーライル博物館」は「倫敦塔」と同じくロンドン留学時のイメージスケッチ、「幻影の盾」「薤露(かいろ)行」は中世英国の物語の漱石的講釈、「一夜」「琴のそら音」は「夢十夜」などにつながるような超自然的、摩訶不思議な物語です。
 いずれも「吾輩は猫である」を書いていた時期に平行して書いていたとは思えないほど作風が異なっており、後の「夢十夜」につながるような幻想的な趣のある作品ばかりです。

薤露行 

 特に「幻影の盾」「薤露(かいろ)行」はともに中世アーサー王の世の騎士の覚悟と悲恋を扱った物語であり、「倫敦塔」同様漱石の英国文化・文学への造詣の深さを示す隠れた名品です。英国がはるか遠くの異国であった時代にこのような内容の小説がどれほど「エキゾチック」であったかは想像に難くありません。
 しかし一方でその文語調の畳み掛けるような文章はどこか日本の講談風でもあり、落語が好きだった漱石の語り口の上手さも光ります。

 ちなみに「薤露行」の「かいろ」とはエジプトのカイロではなく、「人生は薤(にら)の葉にやどる露のようにはかない」とい中国の古い詩句を転じた死者を悼む「挽歌」のことです。ランスロットに恋してかなわず自ら命を落としたエレーンへの哀歌であり、テニソンの「アイジルス」という長詩を下敷きにしたと冒頭で述べています。とても読み応えのある作品ですので、興味を持たれた方は青空文庫なら無料で読めますのでぜひどうぞ。