。隔週新聞掲載の高村薫女史の「21世紀の空海」も今日で第22回、ついに今回は「言語化なきオウムの過ち」という大きなキャプションとともにオウムの話題に突入しました。
いきなりの展開ですが、20世紀三部作で仏教への傾倒を示し、最終作「太陽を曳く馬」でオウムの教義と正面から対峙した彼女のことですから、密教からオウムへ至るのは必然だったのかもしれません。
今回はまず日本の宗教は寛容にいろんな教義を都合よく取り入れてきたという話から、オウム真理教も
「ヨーガとヒンドゥーのシヴァ教とチベット密教と大乗仏教、さらにはキリスト教までを場当たり的に継ぎはぎしていた」
のだが、入信する若者たちが(結構高学歴の人が多かったのに)継ぎはぎ自体に違和感を持たなかったのも日本独特の信仰感の姿であったのだと述べておられます。
当時伝統仏教は表立って対峙することはしませんでした。おそらく教義の面であまりにも稚拙だったことが無視の理由でしょうが、それでもオウムが行っていたヨーガや瞑想の身体技法は、修験道や空海以来の日本密教のそれに通じるものでした。だから
「密教僧は自身とオウム信者を分けるものが実はそれほど明確にあるわけではない」
ことに思いを馳せる必要があったと当時の仏教界に苦言を呈しています。
なにはともあれ、この世の宗教はほぼすべて、夢のお告げ、数々の秘跡、憑依、心霊現象、預言などを豊かな身体体験を下敷きにして誕生した。空海も『秘密曼荼羅十往心論』を記して自身の変性意識体験を言葉の体系に昇華する一方、高野山を開創して修行の場を確保して自らを非言語の三昧へ誘わんとしました。こうして言語と三昧の間を行き来するのが宗教者と言うものであるはずなのに、
「オウムの堕落は、身体体験の宗教的純化も言語化も捨てて、総選挙への立候補だの、武装化だの、さまざまな現世の夾雑物を宗教に持ち込んだことにあった」
と思うと締めくくっておられます。
その結果が「あんなに太ったグルはおりません」(太陽を曳く馬より)となった教祖の姿だったのでしょう。