ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

吾輩は猫である/ 夏目漱石

漱石大全

 震災20年特集で燃え尽きたわけでもないのですが、何やかやで忙しく、更新が滞ってしまいました。映画は「繕い裁つ人」がもうすぐですが、なにせインフルエンザが大流行しているので商売柄あまり街中に行くわけにも行かず、早くレビューしたいCDは未だ届かず、マスターズ練習は年末にちょっと膝を痛めて休み中。ということでネタがないのです。という割にはジムjがほぼ皆勤だったりして(笑。

 で、読書の方ですが、去年は森鴎外、なら今年は漱石だ、ということで年初にアマゾンから来たメールについウッカリ載せられて「漱石大全」をダウンロードしたのが運のつき。
 漱石は殆ど読破しているつもりなのですが、小品で読み逃しているもの、忘れてしまっているものもあるので、丁度良い機会だと思って読み始めると、案の定見事にはまってしまい、ようやく1905年(明治38年を読み終えたところなのです。

 この年には「我輩は猫である」「倫敦塔」「カーライル博物館」「幻影の盾」「琴のそら音」「一夜」「薤露(かいろ)行」の7作品が納められています。

 ちなみにこの年漱石38歳、イギリス留学を終えて東京帝国大学英文科の講師を務めていましたが、前年高浜虚子に勧められ、創作活動に入っています。

 そして日本は日露戦争の最終局面に入っており、一月に旅順が陥落し、五月に日本海海戦バルチック艦隊を破り、9月にポーツマス条約が締結されました。まさしく司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」の時代ですね。12月には伊藤博文が韓国総監に就任しています。

 なべて世は戦争勝利に浮き立っており、「吾輩は猫である」にもそのような世相がところどころで描写されています。というわけでこの作品を取り上げてみたいと思います。言わずと知れた漱石のデビュー作で、「ホトトギス」に第一回が発表され、評判を呼んだため、翌年8月までの長期連載となった作品です。漱石は知らなくても「吾輩は猫である」という小説の名前と、

吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。

という出だしの文章だけは日本人ならほとんど誰もが知っているというくらいで、おそらく明治文学で一番知られた作品でしょう。

 とはいうものの全編通してその内容を理解するには相当の教養が必要であることを今回再読して痛感しました。かく言う私も珍野苦沙弥先生の癇癪と胃病、法螺吹きの迷亭君の蕎麦の食べ方の講釈、水島寒月君の「首縊りの力学」と硝子玉磨き、智東君の「おちこち」という面白い自称、そして名無しの猫君のもち騒動、銭湯覗き、そして最後にビールを飲んで酔っ払って甕で溺れ死ぬ場面くらいしか覚えていませんでした。

 ところがどっこい、内容の長い事長い事、もとへ、濃いこと濃いこと。漱石が持っていた古今東西の知識・卓見をこれでもかと披露しています。特に西洋文化に対する批評眼は鋭く、倫敦で神経衰弱を病んだ経験はだてではなかったと納得。かと言って東風君や独仙君が披露する東洋的思想もちゃんと迷亭君がまぜっ返してその偽善を遠慮なくばっさり切ってみせる。
 昔読んだ時は迷亭君とは困ったやつだなあ、という印象しか残っていなかったのですが、意外漱石の陽の部分の本領を発揮させる上で欠くべからざる人物であったと思えます。モデルは美学者大塚保治だと言われていますが、私は漱石の分身説が正解であるように思います。

 元来漱石は落語が好きで、迷亭君の法螺話やその語り口は明らかにその影響を受けていると思います。忘れてはいけない猫君の語りでは、餅をかじった後の七転八倒ねずみ取り騒動、銭湯の軽妙洒脱な描写などなど、まさに落語そのものと思えるような世界です。

 そして全体を俯瞰してみると、驚いたことにちゃんとストーリーがあるんですよね。金田家と珍野家の対決(?)、金田家の娘富子寒月君の結婚話のどたばたが結構きっちりと起承転結をもって描かれています。寒月君がさっさと富子を見限り、地元で嫁を見つけて結婚してしまい、富子の方は多々良三平君が娶ることになった、なんて覚えている人いますか?

 そんなこんなで長々と続いた話にも最後はやってきます。今回ちょっとしみじみしたのは、猫がビールを飲む前の描写です。登場人物を勢ぞろいさせての長い一日が終わり、みんな帰ってしまった後の寂寥感を猫はこんな風に描写しています。

呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。悟ったようでも独仙君の足はやはり地面のほかは踏まぬ。気楽かもしれないが迷亭君の世の中は絵にかいた世の中ではない。寒月君は珠磨りをやめてとうとうお国から奥さんを連れてきた。これが順当だ。しかし順当が永く続くと定めし退屈だろう。東風君も今十年したら、無暗に新体詩を捧げる事の非を悟るだろう。(中略)主人は早晩胃病で死ぬ。金田のじいさんは慾でもう死んでいる。秋の木の葉は大概落ち尽した。死ぬのが万物の定業(じょうごう)で、生きていてもあんまり役に立たないなら、早く死ぬだけが賢いかもしれない。」

 猫がいやに達観したなあ、と思ったら、ビールを飲んであの世逝き。見事な落とし前のつけ方です。
 落語の粋と鋭い人間批評、東西の思想への諦観、漱石の全てを最後に見せつけて終わる。ニヤリとする漱石の得意顔が見えるようですね。よく処女作にはその作家の全てがある、というがこの作品もその例に漏れないと思いました。

 まあ騙されてやるか、と思って再読してみてください。きっと新しい発見があると思います。

 というわけで今年は「漱石大全読破プロジェクト」と名付けて夏目漱石を読み込んでいこうかと思っています。もちろん他の書籍もレビューしますが、よろしくお付き合いください。