ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

「坂の上の雲」(1)TVドラマ雑感

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菅野美穂(正岡律)、阿部寛秋山好古)、本木雅弘秋山真之)、香川照之正岡子規))
 「まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。
という有名な文章で始まる司馬遼太郎(遼は本当はしんにゅうに点が一つ多いのですが、便宜上遼とさせていただきます) の傑作「坂の上の雲」をNHKがドラマ化し、第一部を昨年末に第一部として5回放映しました。結構評判は良かったようで、公式ブログでプロデューサーが感謝の辞を記しておられるほどです。滅多にTVドラマを見ない私もこれだけは毎回録画して見ました。細かい点で気になるところはあったものの、確かに良くできていたと思います。冒頭の一節を渡辺謙に朗読させたのも印象的でした。

 NHKも相当このドラマには入れ込んでいるようで、今後のスケジュールも型破りです。第一部5回で一旦終了し、次回第二部今年12月4回、そして第三部が来年12月4回放映されて完結するそうです。それまでに死んだらどうすんねん?と思っておられるファンもあるかもや知れませんね(笑。

 勿論原作自体が壮大であるから、というのが第一の理由だと思います。大体司馬氏の小説は長いものが多いのですが、この作品は文庫本で8巻あります。去年松山へ行った後に久々に同作品を読み返したので、まだ記憶に鮮明なのですが、TVドラマ第一部は原作の第2巻までを完結し、第3巻の始めにさしかかったに過ぎません。具体的にいうと、正岡子規、秋山兄弟の子供時代から青年時代、日清戦争正岡子規結核発病あたりが描かれ、日英同盟締結前夜で終了しました。

 実は第一回を見た時に一つだけ心配がありました。もう故人となられた野沢尚氏が脚本のトップになっていた事です。どちらかというと今の時代の恋愛ドラマ、ミステリードラマに個性を発揮していた方でしたからね。
 でもまあ、このあたりまではこの小説も比較的明るく、「古き良き明るい明治」を前面に押し出しなおかつ原作以上に青春ドラマに仕立て上げていましたから、野沢氏の手腕が良く発揮されたのかもしれません。
 子規に今一番演技力のある香川照之、秋山兄弟にタイプの違ったイケメン、阿部寛本木雅弘をキャスティングしたのも当たったと思います。子規の妹で秋山真之(弟)を慕う律を演じた菅野美穂も思いの外良かったですね。

 さて問題はこれからです。この小説は決して青年の成長ドラマでも恋愛ドラマでもなく、司馬氏の真骨頂である全体小説であるからです。氏自身も子規を中心として同心円状に舞台を広げていった結果、日露戦争に直面せざるをえなかったと述懐されていましたが、残り三分の二は暗く陰鬱な日露戦争を描く事となります。決して故人の名誉を傷つけるつもりは無いのですが、同心円の小さい世界ではその能力が生きても、最終的な最大円が果たして野沢氏の能力の及ぶところだったのかどうか若干の疑問があります。どのあたりまで野沢氏の遺稿があったのかが気になりますね。

 NHKの公式HPを見ると第二部は秋山真之の親友二人、すなわち正岡子規広瀬武夫の死をメインとして4回を構成するようです。原作ではこの二人の死に関して真之の記述は意外なほどあっさりと描かれていますし、その方がかえって深い余韻を残しています。
 まあTVドラマですから、原作に忠実に描いていては面白く無いでしょうし、多少の脚色が必要な事は十分わかるのですが、そればかりを前面に持ってきて情緒に流されるのもどうかと若干心配しています。とにもかくにも第一部のような明るさ、楽しさからは大きく離れていきますから、視聴者が年末限定で2年後までついてきてくれるかどうか、司馬ファンとしてNHKになり変わって心配しております(笑。

 とは言え、とりあえずブームが巻き起こった証左として、どこの書店を覗いても「坂の上の雲」関連本コーナーができており多数の解説・研究本が並んでいます。研究本の多くは知っているものばかりで、出版社ももう売れる事も無かろうと思っていたところへこのブーム、あやかり合戦の様相を呈しておりますね。研究本は礼賛本司馬史観批判本の落差が極端で、いかにこの作品が司馬作品の中でも特異な作品であり、物議を醸し続けてきたかがわかります。批判はその殆どが、下記の二点のどちらかです。

乃木希典愚将論への反論
司馬史観の根幹をなす昭和陸軍批判への反論

 乃木嫌いは司馬先生の性格によるところもあるでしょうし、この作品では「殉死」ほど乃木を罵倒はしていません。しかし昭和陸軍に関しては「この国のかたち」シリーズで日本と言う国の「アイデンティティ」を求め続けた司馬氏の思想の根幹に関わる問題です。だから根が深い上に戦後の団塊世代が定年を迎えるような時代では、多くの世代にとって過去の話であり判断に迷うところだと思います。

「本当に日露戦争までの明治日本は明るく健全で、その後の陸軍が暴走する第二次世界大戦までは暗黒の時代だったのか」

 これは本当に難しい問題です。にもかかわらず戦後日本の歴史教育はこのあたりを意識的に避けてきました。大概の方は日本史の授業が多くの時間を古代から中世の歴史に割き、明治維新あたりで3学期終末を迎えてしまって時間切れ、受験勉強するならその後は自習、という経験をされているはずです。私は長い間、これは日本史教師独特の性向なのだろうと思っていましたが、次回ご紹介する関川夏央氏はこれは意図されたものであると断定されています。旧文部省は戦前政治を批判される事を嫌がり、日教組は左翼的な

「戦前の軍国主義=悪」

と言う単純な思想に染まった故の愚行であった、と。本来自国のアイデンティティを学ぶためには歴史と別に現代史を学ぶ必要がある、と私自身は思い続けてきたのですが、いまだにそれはなされず、それ以前の問題として学生の学力が大幅に低下し、第二次大戦で日本がアメリカと戦ったと聞いて「ウッソ~」と驚く若者、昭和20年8月6,9日が何の日か知らない若者が当たり前の時代になってしまいました。

 さて、では「坂の上の雲」コーナーでどの本が比較的中立に司馬史観を評価し、明治という時代を読み解いているのか?私の個人的なオススメは先程の名前を出した関川夏央氏の「坂の上の雲」と日本人」です。ちなみに氏の名前はTVドラマの監修に出ていましたね、NHKの見識に敬意を表します。そして次回記事でこの本をご紹介したいと思います。