原田マハは良く知られているようにキュレーターの資格を有しており、キュレーターを主人公とした作品をいくつか手掛けていますが、代表作はなんといってもルソーの「夢」を題材にした「楽園のカンヴァス」でしょう。
あれから4年、過去(20世紀)と現代(21世紀)が交錯する構成の中に共通する登場人物(実在のピカソ、虚構のティム・ブラウン)を配した、明らかに前作を意識した大作「暗幕のゲルニカ」を発表し、話題になっています。
一言で言えばピカソの傑作にして最大の問題作「ゲルニカ」をマドリッドからニューヨークへ運ぼうという話です。それがそんなに大変な事なのか? そう、物凄く大変なんです。
第一に歳月を経て劣化が激しく、移動時の破損の危険性が極めて高い。キャンバスだからといって、くるくると筒状に丸めることなどとてもできません。キャンバスを広げたまま可能な限り振動を与えず、絵具の剥落やキャンバスの亀裂なく7.8Mx3.5mという巨大な作品を運ぶのがどれほど難しいか?実感したくて実際に観てきました。と言ってもスペインは無理。
現在日本で原寸大の「ゲルニカ」を観られる施設は、私が知る限り二か所しかありません。一つはタペストリーを有する群馬県立近代美術館、もう一つは陶板複製画を有する徳島県の大塚国際美術館。で、前回の記事に書いたように大塚美術館に行ってきました。目前で見るとそれは圧倒的な迫力、作品の凄さとともにその大きさを体感しました。これは現代の技術をもってしても大変だろうなと思います。こういうことを思いついたマハさん、さすが目の付け所がシャープです。
第二に政治的な問題。スペイン内戦に介入したナチスのゲルニカ空爆への怒りに端を発して、パリ万国博覧会のスペイン館(共和国側)展示のために1937年に制作されたこの作品は、その後も政治と戦争に翻弄されます。ピカソの嫌っていた反乱軍のフランコ将軍側が勝利してスペインを統治し始めたため、ヨーロッパ各地を展覧会の名目で彷徨っていた「ゲルニカ」は海を渡り、アメリカ合衆国での展覧会を経て、ピカソ直々の依頼によりスペインに「真の人民の自由」が訪れるまで、MoMA(ニューヨーク近代美術館)が保管することになりました。スペインに戻ったのはフランコ将軍の死後の1981年、「故国の土を踏んだ最後の亡命者」として話題を呼び、1992年プラド美術館からソフィア王妃芸術センターに移管され現在に至っています。
しかし、もともとゲルニカはスペインの中でも自治独立意識の強いバスクの地方都市で、バスク地方の人々はマドリッド市内での移動に不満を表明していました。ですからゲルニカを破損なくニューヨークまで動かせるのであれば、バスク地方に移管すべきだという声が大きくなるのは目に見えているのです。さらにETA(バスク祖国と自由)という過激な独立運動組織が移動中強奪あるいは破壊する可能性も否定できない。
これだけの縛りがある中で、さて、どんな物語が紡がれていくのか?率直に言って「過去」はとても面白く、「現在」はちょっと無理がありすぎるとともに著者の気概を疑わざるを得ませんでした。
「過去」とはスペイン内戦から第二次世界大戦時にかけて。途方もない創作能力と性欲、傲慢と無邪気さの同居した20世紀最高の天才画家、パブロ・ピカソが「ゲルニカ」を制作する過程とその後を描いています。視点のほとんどは、幾多の愛人の中でもとりわけ有名な「泣く女」、シュルレアリズム芸術家にして写真家のドラ・マール。この人選がよかったです。
実はピカソが制作過程を公表しながら制作したのはこの「ゲルニカ」が初めてで、ドラ・マールの撮った制作過程の写真群は今でもソフィア王妃芸術センターに保管されています。彼女自身が芸術家でありながらゲルニカの写真が一番有名というのは本人にとって本望だったのかどうかはわかりませんが、そのあたりをとても上手く著者は活写しています。
特にスペインの大富豪の御曹司の若者パルド・イグナシオという架空の人物を物語中に配して、ピカソやドラ・マールと有機的に絡ませ、さらには「現代」パートへつないでいく。この人物造形は前作「楽園のカンヴァス」以上にうまかったと思います。
さて一方の「現代」。2001年の9.11テロに端を発し、2003年のイラク侵攻を知るに及び、9.11で夫を失ったMoMAのキュレーター、八神瑶子は戦争の負の連鎖をアートで止めるには企画中のピカソ展に「ゲルニカ」を持ってくるしかないと決心します。一方で理事長のルース・ロックフェラーは、当時のアメリカ国務長官が国連で記者会見を行った際、そこにあるはずのロックフェラー家所有のゲルニカのタペストリーが暗幕で隠されていたことに激怒し、ヨーコの企画を後押しすることになります。最初に述べたような理由で絶対に貸し出さないであろうスペイン側を彼女たちはどう説得するのか?
アイデアは悪くないと思います。しかしスペイン側(あのパルド・イグナシオもいます)を納得させる手段が今ひとつすっきりせず説得力がない上に、とってつけたようなETAとの活劇は原田マハにとって一番の苦手分野、センティメントに流されるだけで現実感がまるでない。
そして致命的にダメだと思ったのは実名が出てこないこと。あとがきにはこうあります。
「二十一世紀パートの登場人物は、全員が架空の人物です。架空の人物に特定のモデルは存在しません。」
なんですか、これは?これだけはっきりと9.11とイラク侵攻を描き、故意にゲルニカのタペストリーに暗幕がかけられたことも事実なのに、なぜジョージ・ブッシュもパウエルもサダム・フセインも出てこないんでしょう?
どんな「大人の理由」があるにせよ、ゲルニカを平和への究極の希求として描くのであれば架空の世界の中に置くべきではないでしょう。
本小説中においてパブロ・ピカソには万博のスペイン館に展示された自らの作品の前でナチスの将校に
「- この絵を描いたのは貴様か?」
と尋ねられて
「いいや、この絵の作者は ー あんたたちだ」
と答えさせたではないですか。ちなみにこれは実話だと言われています。このパブロ・ピカソの気概をひしと感じ取ったのであれば、マハさん、あなたはブッシュをはじめとする戦争屋たちを実名ではっきりと書くべきだった。
私はそう思います。それができないのなら、はじめから「ゲルニカ」という怪物を扱うべきではなかったのです。
ということで現代パートはとても残念な駄作になってしまいましたが、ピカソやドラ・マールの生きた時代の空気、そして「ゲルニカ」と言う作品を知るにはとてもいい作品だと思います。