ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

折れた竜骨 / 米澤穂信

折れた竜骨 上 (創元推理文庫)折れた竜骨 下 (創元推理文庫)

 前から気になっていた米澤穂信の長編作品です。中世欧州を舞台に繰り広げる「魔術と剣と(殺人劇の)謎解きミステリという紹介文、他の彼の作品とあまりに雰囲気が違うのでずっと後回しにしておいたのですが、ついに読みました。うまくラノベ本格ミステリのバランスが取れた、読みやすい小説だと思います。
 
 上巻では時代と場所の設定の提示、多彩な登場人物の紹介、そして早速起こる大事件とその裏にある秘密が徐々に明らかになる過程が描かれます。
 
 まず舞台設定が絶妙。12世紀、イングランドでは「ライオンハート獅子心王)」ことリチャード一世の統治期というだけで期待大。よく知られているようにこの王は十字軍遠征を始めとする戦いに明け暮れる生涯で、殆どイングランドにいませんでした。事実上統治していたのは弟のジョン殿下
 そのジョン殿下に服従して、この物語の舞台である北海の要衝ソロン諸島の統治を任されていたのがエイルウィン家
 この北海を囲む国々にはイングランドスコットランド、フランス、ザクセン国、ハンザ同盟群、かつてはヴァイキングで鳴らしたデーン国など。そしてその周囲にはウェールズ、そしてキリスト教の十字軍が対峙するイスラムのサラセンの国々や、トリポリ伯国
 これらの国々の異なる言語、異なる魔術、異なる武術。
 どんな物語になるのか、ワクワクします。

 そして多彩多国籍の登場人物。
ソロン諸島の領主で名君のローレント
この物語の主人公であるローレントの娘アミーナ
ローレントに比べると凡庸な息子で次代領主のアダム
武術に長けながらも従騎士に甘んじているエイブ・ハーバート
トリポリ伯国から暗殺騎士を追ってはるばる旅をしてきた騎士ファルク・フィッツジョン
フランスからファルクに従っている生意気で有能な従士ニコラ
一癖ありそうなザクセン人遍歴騎士コンラート
ウェールズ人の傭兵トマス兄弟
サラセン人の魔術師スワイド
女性ながら恐ろしく強いマジャル人武術家ハール・エンマ
ケンブリッジの吟遊詩人イーヴォルド

などなど。何故これほど多国籍の曲者たちがエイルウィン家に集まったのか?
 それは領主ローレントが父とともに昔死闘を繰り広げ撃退した「呪われたデーン人」が再びソロンを襲う兆しとなる事件が起こったからでした。この呪われたデーン人は首を切り落とさない限りは不老不死、食事もいらなければ眠りもしないという恐ろしい敵。この迫り来る脅威に対峙するためにローレントは傭兵をひろく応募したのでした。

 しかしその敵に対峙する前にローレントは、恐ろしい暗殺騎士エドリックの巧妙なサラセン魔術により斃れてしまいます。その暗殺騎士を殲滅する目的でエドリックを追ってきたのがファルクなのでした。
 というわけで、上巻はアミーナとファルク、ニコラが中心となってエドリックの魔術により走狗にされてローレントを殺した犯人を捜す過程が描かれます。

 米澤穂信のことですから、このRPG的ファンタジーの中にしっかり伏線を張り巡らせています。そしてローレントとアミーナ以外殆ど知るもののない、エイルウィン家の塔牢に閉じ込められていた「呪われたデーン人」トーステン・ターカイルソンが姿を消すところで上巻は終わります。

 そして下巻。以下戦闘にはネタバレありです。

 領主殺しの犯人探しが続く中、いよいよ下巻では「呪われたデーン人」たちが3艘の船でこの季節には早すぎる吹雪を伴ってソロン港を急襲します。亡き領主の娘アミーナと暗殺騎士を追うファルク二コラはある事情があり一手遅れますが、ウェールズ人の射手トマス兄弟ザクセン人の騎士コンラードに率いられた傭兵軍団、そしてエイルウィン家の従士エイヴたちの活躍もあり、失地を徐々に挽回していきます。
 しかし情勢拮抗膠着し、アダムの軍勢はまだ来ないまま疲弊していくエイルウィン側でしたが、突如不死屈強のデーン人たちが後退し始めます。港まで追っていきわかったのは、サラセン人の魔術師スワイドの操る巨大青銅人形が彼らをなぎ倒し始めたからでした。
 劣勢のデーン人の頭目がついに主船の舳先に現れた時、彼に向って疾風のように襲い掛かったのはなんと屈強のマジャル人女性ハール・エンマとエイルウィン家の牢から脱獄した呪われたデーン人トーステン・ターカイルソン

 さすがにこのあたりの手に汗握る戦闘描写は手練れの著者の真骨頂がうかがえ、しかもその中に殺人推理の伏線を張る周到ぶり。

 そして呪われたデーン人は退散、戦いに遅れた凡庸な新領主アダムの開いた宴において、ファルクの領主殺しの謎解きが始まります。騎士や傭兵など一人一人のアリバイや襲撃の不可能性から一人ずつ除外していくファルク。魔術ミステリでも論理性を失わない著者の手際は見事。そして最後に残った一人はハール・エンマ。彼女が犯人である必然性は?

 そのあともちろんどんでん返しが待っているのですが、ややがっかりしたのは米沢穂信にしてはあからさまな伏線だったこと。あの文章を読めば米澤ファンならずとも必ず気が付くだろうと思われるほどの文章だったので、これでこの人が犯人ならがっかりだな、と思っていた通りの展開に。。。

 それだけが残念でしたが、そのあとの物語の処理は心に響くものがありました。特にハール・エンマの正体については思わず唸らされました。

 米澤穂信はあとがきでこう結んでいます。

「しかし私がこの時代を選んだのは、そこに彼ら(獅子王リチャード、ジョン欠地王、ロビン・フッドなど)がいたからではない。ミステリの観点からみれば、もっと偉大な男ーーー。シュルーズベリの修道士、ブラザー・カドフェルの面影が残る時代だったからである。」

 修道士カドフェルとは、エリス・ピーターズ(女性作家イーディス・パージターの偽名)作の連作歴史ミステリーの主人公です。