ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

黒と茶の幻想 / 恩田陸

黒と茶の幻想 (上) (講談社文庫)黒と茶の幻想 (下) (講談社文庫)

  このところ三作続けて恩田陸の「理瀬シリーズ」をレビューしてきましたが、その勢いで大作「黒と茶の幻想」を読了しました。文中の言葉を借りれば「安楽椅子探偵紀行」ミステリですが、広い意味では理瀬シリーズの一環をなす作品です。

 理瀬シリーズの端緒となる「三月は深き紅の淵を」の第四章「回転木馬」において語り手である女性作家(≒恩田陸)は、最後に本作の冒頭と酷似した文章を書き留め、こう締めくくっています。

「 そう、これが四部作の幕開けを告げる第一部の始まり。
 この第一部のタイトルを、デューク・エリントンの名曲(*)から取ってこう名付けよう。「黒と茶の幻想」と。
さあ。
この書き出しはどうだろう? 」
(*「Black and Tan Fantasy」という曲です)

 この時点では「黒と茶の幻想」は短編の第一部となる予定だったと思われますが、結局文庫本で上下巻に分かれる大作となりました。ただ、四章からなっているあたりには恩田陸のこだわりを感じます。
 理瀬シリーズの一環と定義するには、もう一つ重要な因子があります。それは「梶原憂理」の存在。彼女は「麦の海に沈む果実」で水野理瀬のルームメイトという重要な登場人物でした。梨園の大物の私生児で演劇志望という設定でしたが、本作でもそれは受け継がれています。

 さて、この小説はミステリとしてのあきらかな起承転結はなく、学生時代の友人四人(男女二人ずつ)が順番にバトンを受け継ぎながらひたすら語り続けて、四章を構成しています。そういう意味では普通のミステリ小説ではなく、クライマックスやどんでん返しを期待する分には不向きな作品と言えます。
 しかし私は恩田陸の文章や構成、そして感性が長年の作家生活により磨き抜かれた、一見平板に見えて実は深い良い作品だと思います。
 敢えて分析すると、三層構造になっていると思います。

第一層: 恩田陸屋久島紀行
第二層: 四人の登場人物の内省と自己再発見
第三層: 梶原憂理のその後の物語

 まず第一層に関して。

  Y島としか書かれていませんが、鹿児島から船で渡る高い山を持つ世界遺産の島と書いてあり、Y杉屋久杉)J杉縄文杉)の描写を見ても屋久島しかありえません。何故ぼかす必要があったのかはわかりませんが、架空の桜(三顧の桜、心の疚しいものには見えない、年に三度花をつける伝説の桜)の話が出てくるから、という意見が多いようです。

 それはさておき、恩田陸らしい豊かな感受性で屋久島の濃厚で豊かな自然を感じ取り、その筆力で描き切った、リアルでありながら幻想的な素晴らしい紀行文となっており、これだけでも読み応えがあります。

 私はこの書に出てくるような素敵なリゾートホテルなどなかった頃に訪れたことがあります。もちろん縄文杉も見て、屋久杉ランドや滝にも出かけましたので、懐かしく読むことができました。世界遺産に認定されてからは日祝日などはスタート地点から縄文杉迄行列ができていると聴き、自然破壊を心配していましたが、少なくとも本書の時点ではその頃の屋久島の自然が守られているようで良かったなと思います。

 そして第二層と第三層。二層あわせて物語の本質について俯瞰していきます。

 まず、小説の構成としては、四章より成り、それぞれ四人の登場人物、利枝子彰彦蒔生(まきお)、節子の名前が冠されており、各々の内省と自己再発見の状況、そして梶原憂理との関わりがリレー形式で綴られていきます。

 この旅のきっかけは、皆が三十台も後半となり各々自分の家庭・仕事を持ち疎遠になっていたが、あるパーティで再開しその時にこのY島旅行の話が持ち上がった、ということになっています。
 そして旅のテーマは「非日常」と「安楽椅子探偵」。 
 彰彦の発案で、ただ単なるハイキング旅行ではつまらない、せっかく久し振りに四人が揃って「非日常」を味わうのだから、森を歩きながらそれぞれの「過去」に起きた「美しい謎」を一つずつ持ち寄って謎解きをしよう、となったのです。

 というわけで、各章の人物の簡単な紹介、舞台と時系列、持っている「謎」、その章の印象的なフレーズを紹介します。もちろんこれ以外に小謎、小ネタも満載で、それはそれで面白いのですが、書き出すときりがないので割愛します。是非読んでお楽しみください。ちなみに私は彰彦の「小さな恋のメロディ」と「レッド・ツェッペリン」がもろにツボでした。

 第一部: 利枝子: 聡明さと美貌を兼ね備えた女性だが、節子に言わせるとなんとなく大きな「揺らぎ」を持っている。学生時代蒔生と付き合っていたが、友人の憂理が原因で突然別れを告げられ、心に大きな傷を残し、平和な家庭を築いた今でもまだ拘りは消えていない。

 ・舞台: プロローグから一日目、Y島のリゾートホテル到着まで

 ・謎: やはり憂理のこと。何故蒔生は突然に私に興味を無くし憂理に寝返ったのか。憂理は自分にとって親友だったのか、それとも愛していたのか。卒業制作となる一人芝居で憂理が愛していたと語ったレイコとは誰の事だったのか?(これは「麦の海」に関係しています) 何故その芝居に蒔生は姿を見せなかったのか?その後ふっつりと行方をくらました憂理は今どうしているのか?生きているのか死んでいるのか?そして自分は、どうしてまだ、こんなに蒔生のことに拘ってしまうのか?

 ・印象的なフレーズ:
#1: やはり「三月は深き紅の淵を」で提示されたのと同じ冒頭の文章

「森は生きている、というのは嘘だ。
 いや、嘘というよりも、正しくない、と言うべきだろう。
 森は死者でいっぱいだ。森を見た瞬間に押し寄せる何やらざわざわした感触は、死者への呟きなのだ。 」

#2: それは確かボリス・ヴィアンの小説の一節だったと思う - もう愛していないとか、誰も愛していないからと言って、悪いことでありません。(中略)本当のことはなぜいつもつらいのだろう。

第二部: 彰彦: 彼一人だけ大学からの友人だが、リーダー的存在でありこの旅行も全て彼が計画立案した。裕福な上に皆が振り向く美貌の持ち主。結婚運にだけはめぐまれず、ようやく最近年上の大学教授と結婚。自分が恵まれ過ぎていることに引け目があるせいか、偽悪的な口調でとにかくよく喋る。

・舞台: 二日目、主に屋久杉ランドのハイキングコース

・謎: 紫陽花恐怖症と、高校時代もっとも心を許した親友友紀の死の真相。それにはおそらく彰彦に引けをとらないほどの美貌を持つ姉紫織の淫乱性が関係している。その姉の淫乱の原因も謎だが、蒔生はおそらくその理由を直観している。

・印象的なフレーズ: (利枝子と蒔生に関して)よく似た二人は自分たちの似ているところに共感する。(中略)しかし以心伝心はやがて空虚になり、単なるコミュニケーションの欠如になっていく。そっくりだからこそ、欠点も鏡のように自分に跳ね返ってくる。

第三部: 蒔生(まきお): 節子とは幼稚園時代から、利枝子とは高校時代から、彰彦とは大学時代からの友人。四人の中で最も「自分自身」に醒めていて、友人関係も恋愛関係もどこか他人事のように感じている。一応まともな大人としての人生を送るべく結婚して子供も二人設けたが、半年前に別居している。

・舞台: 三日目: 昨日よりも深い森の中

・謎: 基本的に愛を信じないニヒリストの「蒔生自身の正体」。そして憂理失踪の真相の開示。これはもう痛切過ぎて辛くて涙なくして読めないほどなのですが、蒔生は第二部において彰彦に憂理は「疫病神」だと言い放ちます。何故こうも冷酷な言葉が出たのか、も謎の一つ。

・印象的なフレーズ: 心なんてもの、愛なんてものを発明したのはどこのどいつだろう?そいつはとっくに首を吊られて処刑されているに違いない。(中略)どいつもこいつも愛乞食だ。

第四部: 節子: 四人の中では一番の常識人。幼稚園時代は暗い女の子だったが、ある事件をきっかけに人間に対する観察眼が鋭くなり、それが今の仕事でも活かされ、結婚して二人の息子を育てながらも、一部上場企業で中間管理職を務めている。彼女も利枝子に負けず劣らずの美人ではあるのだが、キャリアウーマンとしての姿を崩さないので一見そうは見えない。

・舞台: 四日目ー五日目、今回のメインイベントJ杉(縄文杉)への往復。これが紀行文としての本書のハイライトです。
 実は最も切なくて哀しい最深層の憂理の物語を何故第三部で語り尽してしまったのか不思議でならなかったのですが、この旅行記としてのハイライトシーンと憂理の真相の重さを重複させることは無理があったのだ、とこの章を読んで理解できました。またこの旅を総括できるのはこの女性をおいて他にいなかったことも。

・謎: 封印されていた幼稚園時代の記憶。それは暗い女の子だった節子に仲良くしてくれた蒔生の真意を知った時の衝撃。そしてそれでも蒔生が好きだったのだといまさらに認めてしまう自分。
 そして初めて明らかにされる夫の不治の病のこと。

・印象的なフレーズ:
#1:蒔生は面倒を好まない。きっと彼は利枝子の「揺らぎ」の部分が怖かったのだろう。彼女の中身の森の、不穏な予感から逃れたかったのだろう。

#2:そして冒頭の一節に呼応する終文
「私たちは、誰もが森を持っている。(中略)わたしはこの森を愛そう。木々を揺らす風や遠い雷鳴に心を騒がせながら一人でどこまでもその森を歩いていこう。いつかその先で、懐かしい誰かに会えるかもしれないから。
 あたしたちはそれぞれの森を歩く。誰かの森に思いをはせながら、決して重なりあうことのないいくつもの森を、ついに光が消え木の葉が見えなくなるその日まで。」

 こうして森についての恐ろしげな文章で始まった物語は、森についての美しい文章で幕を閉じます。親友と言えど、束の間愛しあった恋人だと言えど、思考や感情は「決して重なりあうこと」はないけれど、お互いについての封印されていた懐かしい思いをいつか取り戻せるかもしれない。本書で恩田陸屋久島の神秘と霊感に満ちた自然を背景に、そのことを静かに語り聞かせてくれます。

 そしてそこに、憂理という哀しい存在を置くことにより痛切な悲しみを理瀬シリーズのファンの心に刻み込むことも忘れずに。