ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち

Eichman

 先日観た「スポットライト」が今ひとつ物足りなかったので、トレイラーに惹かれて、同じ報道実話の映画化作品「アイヒマン・ショー」を観てきました。率直に言って「スポットライト」よりもはるかに良かったです。

 「アイヒマン裁判」の実録テープがある、アイヒマン自身の映像がある、というアドバンテージがあるのは認めますが、ストーリーに切れと深みがあり、テンポがよく、ここ一番という場面をきっちりと押さえている、という映画製作において大事な部分において「スポットライト」はやはり生ぬるかったな、とこの映画を見ると思います。やはり映画は一に脚本、二に演出ですね。さすがイギリス作品、ドキュメンタリーのBBCの伝統は健在でした。

『 2015年 イギリス映画 配給:ポニー・キャニオン

スタッフ:
監督: ポール・アンドリュー・ウィリアムズ
脚本: サイモン・ブロック
撮影: カルロス・カタラン
音楽: ローラ・ロッシ

キャスト:
マーティン・フリーマン、アンソニー・ラパリア、レベッカ・フロント 他

ナチスドイツによるホロコーストの実態を全世界に伝えるために奔走したテレビマンたちの実話を、テレビドラマ「SHERLOCK シャーロック」のワトソン役で知られるマーティン・フリーマン主演により映画化。1961年に開廷した、元ナチス親衛隊将校アドルフ・アイヒマンの裁判。ナチスユダヤ人たちに対する蛮行の数々とはどういうものだったのか、法廷で生存者たちから語られる証言は、ホロコーストの実態を明らかにする絶好の機会だった。テレビプロデューサーのミルトン・フルックマンとドキュメンタリー監督レオ・フルビッツは、真実を全世界に知らせるために、この「世紀の裁判」を撮影し、その映像を世界へ届けるという一大プロジェクトを計画する。プロデューサー役をフリーマン、ドキュメンタリー監督役をテレビシリーズ「WITHOUT A TRACE FBI 失踪者を追え!」のアンソニー・ラパリアがそれぞれ演じる。監督は「アンコール!!」のポール・アンドリュー・ウィリアムズ

(映画.comより) 

 冒頭にアイヒマンが逃亡先のアルゼンチンで逮捕されイスラエルで裁かれることが決まった実録白黒フィルムが流れ、次いでマルチカメラという斬新な手法を編み出しながらそのリベラルな言動で赤狩りの対象とされ10年間干されていた優秀なカメラマン・フルヴィッツが請われてイスラエルに旅立つところから映画は始まります。

 アイヒマン裁判をテレビ映像で流すことによりナチスの犯罪を全世界に知らしめるという計画を立案したプロデューサー・フルックマンは、最高の映像を撮るべくこのいささか頑固なカメラマンを呼寄せたのですが、地元ユダヤ人カメラマンチームはできていたものの、まだ撮影許可が下りていないことに早速不満を募らせるフルヴィッツ

 イスラエル大統領の許可は下りているものの、3人の判事が許可することが条件、その判事たちはカメラの存在感が大きすぎると困る、とフルックマンを困らせます。期限はあと3日間。フルヴィッツの何気ない「Invisible Camera」というカメラチームへの指導の一言に閃いたフルックマンはカメラを隠す手段を思いつき、ついに許可を取り付けます。

 そこから先はテンポ良くストーリーは進んでいきます。ついに姿を現した防弾ガラスの中のアイヒマン、数多くのユダヤ人生存者の想像を絶する証言、そしてちょっと首をかしげながら顔色一つ変えず衝撃の映像を見続け、どんな厳しい尋問にも平然として自分は無実だと淡々と答え続けるアイヒマン

 何十日にも渡って撮り続けるスタッフにも疲労と苦悩の影が忍び寄ります。延々と同じような日々が続くと、視聴者はガガーリンの有人宇宙飛行成功やキューバ危機のほうに興味が移って行きます。閑散としてくるプレスルーム。

 一方でナチス残党の家族への脅迫、自らへのテロ実行未遂にまで見舞われるブルックマン、自らの信条によりアイヒマンの表情に執着するあまり証言者の失神というスクープ映像に切り換え損ねたフルヴィッツ、自らの収容初体験のPTSDで証言者の映像を撮れなくなる老ユダヤ人カメラマン。

 そんな状況下でもブルックマンの使命感と仕事への情熱は衰えることなく、段々と生映像は全世界の耳目を集めることとなります。全世界を驚愕させる事になった収容所のユダヤ人虐殺の惨たらしい映像が白日の下に晒されたのもこのアイヒマン裁判が最初だったといいます。
 しかし、何とかこの「モンスター」の仮面のヒビが割れ「人間」としての顔を見せる瞬間を撮ろうとするブルックマンの思惑を嘲笑うようにアイヒマンは崩れない。これほどの「冷血」はどこから来るものなのか?選民思想か?狂っているのか?人間としての感情が欠如しているのか?

 アイヒマン裁判の結果はもう周知の事実ですからこの程度はネタバレしても良いと思うのですが、検事が最後の最後にある案件について「提案したことは認める」という証言を引き出した時もアイヒマンは無表情でした。撮影チームは「ついにやった!」と喝采しますが、フルヴィッツは心中、勝ったとは思っていなかったでしょう。

 このような過程を歯切れ良くかつ的確に映像化したポール・アンドリュー・ウィリアムズの演出とともに、いくつかのキーとなるシーンも心を打ちます。例えば

・ リベラル派のフルヴィッツは「ファシズムは誰もが陥る可能性がある」と主張するのに対して「自分は決してならない」と反論し続ける老カメラマン、上述した様に彼には収容所経験があったのですがフルヴィッツは知る由もありませんでした

・ フルヴィッツが宿泊するホテルの最初は無愛想だった女主人が段々と心を開いていき、自らの腕に刻印された番号をフルヴィッツに見せ、「自分が経験したことを話しても誰も信じてくれなかったが、この裁判が放映されて信じられないことが本当に起こっていたことを全世界が認めてくれた、ありがとう」、とフルヴィッツを励ますシーン

・ 悩むフルヴィッツに、策略を用いてアイヒマンの独房への面会許可を取り付けるフルックマン

などなど。これらはやはりサイモン・ブロックの脚本の妙でしょう。

 以上、人種差別、宗教対立、他者・理解できないものへの蔑視、それらがこの世界に存在する限り、アイヒマンのような「モンスター」は生まれてくる、このような悪が存在することを世界に知らしめた「アイヒマン裁判」映像は今もなお、その価値を失っていない、そう思わせてくれる映画でした。

 最後にブルックマンを演じたマーティン・フリーマン、フルヴィッツを演じたアンソニー・ラパリア、女主人を演じたレベッカ・フロントの演技も見事であった、と申し添えておきたいと思います。

評価: B:秀作
(A: 傑作、B: 秀作、C: 佳作、D: イマイチ、E: トホホ)