ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

麦の海に沈む果実 / 恩田陸

麦の海に沈む果実 (講談社文庫)

  恩田陸の「理瀬シリーズ」の中核をなす作品です。

 広大な湿原に浮かぶ青い丘にある「幻想の学園帝国」の物語、読後しばらく放心してしまうほど濃密でスリリングで恐ろしい「学園ミステリ」でした。
 好き嫌いが分かれるとすればラストのどんでん返しでしょう。後で述べるように全く別の結末構想が先にあったわけですから、変更をよしとするか受け入れがたいと思うか。とにもかくにも自らに重い縛りを課しておきながら、これだけのものを書き上げた恩田陸には脱帽です。

 さて、本編を語る前に「自らに課した縛り」、この物語の外郭を簡単に説明しておきます。前回レビューした「三月は深き紅の淵を」の第四章「回転木馬」において女性作家≒恩田陸が語るところによると本作は

・「三月は深き紅の淵を」というタイトルが先にあった

・予定したのは実際に出版した「三月は深き紅の淵を」とは似ても似つかない小説

・「幻想の学園帝国に展開する悪夢のような世界に生きる人々が、ミステリアスな冒険をする話」のつもりだった

美内すずえの「聖アリス帝国」という漫画に影響された。この作品は一回目こそこれぞ新しいエンターテインメントだと興奮する出来だったが、意外に話が続かず尻切れとんぼに連載終了した、それだけに彼女が一回目を書いた時に持っていたであろう幸福な予想図をぜひ実現したいと思っていた

 この条件に沿って書かれた物語のキーとなるハイライトシーンが、「回転木馬」の中に映画の予告編のように断片的に多数挿入されています。その内容をごく簡単にまとめてみますと

・ある大湿原(≒釧路湿原)の中に浮かび上がる巨大な青い丘全体が学園となっている。

・そこに主人公の理瀬が入学してくる。それも「三月以外に入学した者は学園に破滅をもたらす」という伝説があるにもかかわらず2月の最後の日に

・学園ものらしい交流やイベントもあれば、その反面恐ろしいエピソードも語られる。

・カギを握る書として「三月は深き紅の淵を」が登場する

・伝説通り忌まわしい出来事が次々と起こり、理瀬は窮地に立たされる

・最後に学園の恐ろしい実態が明らかになるとともに大火災により全ては燃え落ちていく

となります。もろに結末まで語るなと怒られそうですが、これはあくまでも当初の構想で、本作とは違いますのでご安心を。

 とはいえ、本作とほぼ同等の文体・構成を持つこの断片集から見て、この時点で第一稿は完成していたのではないかと思います。そして恩田陸は3年間構想を練り直し続けた上で、同じ雑誌「メフィスト」にこの「麦の海に沈む果実」の連載を開始します。「三月は深き紅の淵を」という名前を前作に譲り、これだけ内容を露出しておいた上に、序章はこんな文章で始まります。

これは、私が古い革のトランクを取り戻すまでの物語である。」

 これはプロローグでありながらエピローグ的文章であり主人公は生きて学園を出ることを最初に明かしてしまっています。どこまで自らに、あるいは読者に、あるいは物語そのものにチャレンジングなのでしょう。「回転木馬」において

物語は作者でも読者でもなく、物語自身のために存在する

と書いた恩田陸の自信が窺えるような導入部です。ちなみにこの序章は難解で幻惑的ですが、物語が進むにつれ、何度も読み直さなければいけないほどの示唆に満ちていますのでしっかり把握しておく必要があります。

 そして15章ある長い長い物語が始まります。基本的なシチュエーションや登場人物は最初の構想通りですが、内容は自在に変更され、さらにミステリアスになっています。新たな登場人物も魅力的。たとえばトランスジェンダーで完璧主義の、まるで宝塚のトップスターのようなオーラを放つ校長、まるで少女漫画のような魅力を放つ欧州からの留学生ヨハンなど。
 恩田陸はそれら数々の登場人物を「幻想の学園帝国」の中で自在に動かし、駒を消しては出し、さらには学園や湿原の四季を美しく描写し、グイグイと読者を引っ張り続けます。まさに読み始めたら止まらないノンストップ小説で、気がつけばあと2,3章しか残っていない。。。という段階でまだ幾多の謎は全く解明されておらずさらには理瀬自身の秘密まで新たに出てくる始末。

 一体どう決着をつけるのかやきもきしてしまいますが、当然ながら決着はちゃんとつきます。そのどんでん返しの内容に確かに賛否両論はあるだろうなとは思います。しかし、とにもかくにも終章において「麦の海に沈む果実」という詩の作者があきらかとなり、

「 -そして時の花びらを散らす。

という一文で締めくくられるこの小説の「残酷なまでの美しさ」は素晴らしい。言い添えておけば、表紙絵や各章冒頭の北見隆さんの絵はとても魅力的ですし、章内の段落名もしゃれていて見逃せません。そういえば理瀬という名前自体、少女漫画でおなじみのリセ(学園)のスピーキングネームなのかも。

 以上「三月は深き紅の淵を」から巧妙に仕掛けられた「物語自身のために存在する物語」、恩田陸の理想を体現させた傑作だと思います。