本ブログでは恩田陸はあまり取り上げていませんが、「六番目の小夜子」「夜のピクニック」「ライオンハート」「常野シリーズ」をはじめ色々と読んでおり、ブクレコでは結構な数のレビューを書いています。
とはいえ、多作家の恩田陸のこと、まだまだ未読は多い。というわけで初期の傑作群である「理瀬シリーズ」を読み始めました。しばらくそのレビューをこちらでも掲載していきたいと思います。
シリーズの端緒となるのがこの作品「三月は深き紅の淵を」なのですが、大変レビューの難しい作品です。
どこからどう手を付けていいかわからず、いろんな方のレビューを読ませていただいたのですが、なるほど、と感心はするものの、さて私はどう書けばいいのか?という答えは見つからず〈笑。
個人的な感想を一言で言うと
「内容よりも構造が重視され、かつ本書単独で論じるわけにはいかない難書」
です。恩田陸が今更ポストモダンを意識したとは思いませんが、「三月は深き紅の淵を」は本書の題名でもあり、小説内小説の題名でもあり、結果的に
・筒井的メタ(あるいはパラ)フィクション
・小説内小説という重層的構造
・「麦の海に沈む果実」「黒と茶の幻想」の予告編
という多彩な役割を背負わされたポストモダニズム的作品となっています。ちなみにこの意味深な題名については、第四章において
「小説が六割、タイトルが四割で小説全体を決定する」
という恩田陸の本音が出てきますが、そういう意味ではアイキャッチとしては完璧、四割の役割を完璧に果たしていると思います。例えばあなたがブックオフの恩田陸コーナーの膨大な文庫本の列を眺めればきっとわかってもらえるるはず。
で、現実の「三月は深き紅の淵を」は架空のそれとは題名が異なり、
第一章「待っている人々」
第二章「出雲夜想曲」
第三章「虹と雲と鳥と」
第四章「回転木馬」
の四編が収録されています。第一章は小説内小説の「三月は深き紅の淵を」を探す物語、第二章ではその作者をさがす物語、第三章ではその作品を書こうと決意するまでの物語。
この第三章が「三月は深き紅の淵を」に縛られていない分だけ、最も素晴らしい出来になっています。特にラストのどんでん返しは強烈な哀しみと喪失感を読者に与える見事なもの。
そして問題の第四章。ここで一人称で物語を語るのはある女性作家≒恩田陸で、理瀬シリーズの端緒がこの章となります。この作家が文章を書いたり出雲へ取材旅行に出かけたりする様子を具体的に描写しつつ、先ほど述べたような小説観を語り、「麦の海に沈む果実」の断片(実際はその後の改変がかなりあります)を散りばめ、最後には「三月は紅の淵を」の第一章「黒と茶の幻想」の冒頭部分を書き始めるところで終わる、というかなり複雑な構成になっています。
実質上この章は恩田陸の構想ノートであり、その後上記二作が発表されていますので、前三章とは異なるパラフィクション的な終章です。さらには本章中で取材して書こうとしているのはおそらく第二章の「出雲夜想曲」であるという、二重の入れ子構造になっており、デビュー間もなくの作品としては非常に野心的な試みをしている感があります。
ただ、この作品が発表された1997年の時点ではその後の作品は未発表(「麦の海に沈む果実」が2000年、「黒と茶の幻想」が2001年)ですから、単独としてこの作品を評価しなければいけなかったその時点では一風変わった短編小説集に過ぎず、3、4年後にその真価が問われることになります。というわけで次のレビューは「麦と海に沈む果実」、この題名も「題名四割」を意識する恩田陸らしいですね。