ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

シェル・コレクター

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 以前紹介したアンソニー・ドーアの「シェル・コレクター」の「貝を集める人」がなんと邦画として映画化されました。題名もそのまま、「シェル・コレクター」です。しかし、オフィシャルサイトの「艶麗劇薬ファンタジー」って、一体。。。って、思ってたら、艶麗な演技を見せてくださったのは寺島しのぶさんただ一人。リリー・フランキー自らが「またカルト映画に主演してしまいました」というくらい商業ベースには乗らないだろう映画で役者根性をみせつけた寺島しのぶさんには脱帽です。

 というわけで、リリー・フランキー寺島しのぶのほぼ二人きりで話が展開する前半はそれなりに見ごたえはありましたが、後半はもうグダグダ、ストーリーも何もあったもんじゃない感満載で、原作を知る者としてはまあ噴飯ものだな、って感じでした。

『 2016年 日米合作 配給: ビターズ・エンド

スタッフ
監督 坪田義史
原作 アンソニー・ドーア
脚本 澤井香織、坪田義史
プロデューサー エリック・ニアリ

キャスト
リリー・フランキー寺島しのぶ池松壮亮橋本愛、普久原明 他

 アメリカ人作家アンソニー・ドーアの同名短編小説を映画化し、リリー・フランキーが目の不自由な貝類学者役で主演を務めた作品。貝の美しさと謎に魅了され、盲目ながらも貝類学の世界で成功を収めた学者は、妻子と離れ、沖縄の孤島で貝を収集しながら静かに生活していた。そんな彼の前に、ある日、奇病を患った女性画家いづみが現れる。学者は貝の毒を用いていづみの奇病を治すことに成功するが、それを知った人々が貝毒による奇跡的な治療法を求めて島に押し寄せ、静かだった学者の日々は次第に狂い始めていく。「美代子阿佐ヶ谷気分」の坪田義史監督が、原作から物語の舞台を沖縄に置き換えて描いた。共演に寺島しのぶ池松壮亮橋本愛。 (映画.comより) 』

 盲目の老貝類学者リリー・フランキーが海の中で椅子に座ってるってどういう演出なんだか、ってことには目をつぶるとして、私にとっては思い出深い沖縄の海中映像を序盤は懐かしく楽しんでおりました。

 が、海辺で股を広げて膝立てして意識を失っている寺島しのぶをわざわざ下半身方向から撮影し、盲目の学者がその足をなでて人間であると確認するあたりから、何か濃厚なエロスの匂いが漂い始め、彼女がイモ貝の毒で見る幻想シーンや全裸で老貝類学者と交わるシーンあたりまでは結構緊迫感がありました。

 しかしその後、噂を聞きつけたこの地区の有力者に無理やり自宅に連れて行かれて同じ奇病に苦しむ娘、橋本愛を治すあたりから緊迫感が薄れていき、息子である池松壮亮が現れて、やれこの国はもう戦争に突入しているだ(そう言えば、しばしば米軍の軍事演習機が島の上に飛来します)、やれ奇病は現代文明の流す害毒の結果でそれを自然の貝毒が治すのだ、なんて講釈をぶつに当たっては、やっぱり沖縄に舞台を移したのは失敗だったかと思わざるを得ませんでした。

 また、島に奇病に人が押し寄せるあたりの演出がしょぼいしょぼい。後半のクライマックスとでも言うべきシーンはなにかキャンプファイアに集まった集団にしか見えず、その後の展開も、、、今はまだ公開中なので伏せますが、もうストーリーになっていないような。。。

 橋本愛もこの島を訪れはするのですが、まあ大した演技をするでもない。寺島しのぶに比べれば存在感は薄い薄い。せっかくあれだけの美貌と若さのある女性なんだからもう少し何か演出のしようが無かったものかと思います。

 リリー・フランキーさんは盲目の厭世的貝類学者をそこそこ演じきったとは思います。

 坪田義史という監督についてはよく知らないのですが、映像には凝る方のようでそのあたりそこそこは評価できますが、CGが導入される以前のトリップ映像みたいなゴチャゴチャしたカットを入れ過ぎの様な気がしました。まあ、それ以前の問題として原作通りにやれとはいいませんが、一応の起承転結はつけてくれよと。。。

 こんなカルト映画にジム・スタークを起用したり、ビリー・マーティンに音楽を担当させたり、予算は大丈夫なのかと余計な心配までしてしまいますが、まあおそらく制作費を回収するのは難しいんじゃないでしょうか。

 というわけで前半まあまあ、後半グダグダのストーリー展開でした。とりあえず貝の美しさ、沖縄の海の美しさ、寺島しのぶの裸体の美しさ、橋本愛の美貌あたりを楽しめば良いんじゃないでしょうか、としかお勧めのしようがない映画なのでした。

評価: D:イマイチ
(A: 傑作、B: 秀作、C: 佳作、D: イマイチ、E: トホホ)