ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

Carol / Patricia Highsmith

Carol: A Virago Modern Classic (VMC) (English Edition)

 先日レビューした傑作恋愛映画「キャロル」の原作です。主演女優二人の素晴らしい演技、素晴らしい脚本・演出の雰囲気を味わいたく、原書で読んでみました。ちなみに今日が奇しくもアカデミー賞授賞式だったのですが、キャロル役のケイト・ブランシェット、彼女に恋するテレーズ役のルーニー・マーラの二人は惜しくもオスカーを逃しました。

 作者はヒッチコック映画「見知らぬ乗客」やアラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」で有名なアメリカ人女性作家パトリシア・ハイスミス。自身のあとがきによりますと、彼女は「ミステリ作家」と呼ばれるのも、自身の作品が映画化されるのも嫌だったようで、1952年に発表された本作もその当時としての背徳性に配慮してというよりは、「レズビアン作家」というレッテルが貼られるのが嫌が故に偽名で発表したと書いています。
 ちなみにクレア・モーガン名義で題名は「The Price of Salt」、現在ではハイスミス名義で「Carol」と改題されています。

 百貨店店員のアルバイトをしていた少女テレーズが、買い物に来た美貌の富豪夫人キャロルと視線があった途端に恋に落ちるという、1950年当時は決して許されない背徳の物語ですが、ハイスミスはそれをギリギリの線(小説中のフレーズを借りれば'balanced on a thin edge')で美しく描き、しかも最終章では一転二転する展開に韜晦しながらもハッピーエンドを思わせる文章

Therese walked towards her.

で終わらせる、というとても読後感の良い作品に仕上げました。映画でもラストはとても深く心に残る美しい映像に仕上げており、この小説の終わり方を忠実に踏襲していました。

 では原書も大満足だったかと言えば、やや不満もありました。率直なところ文章で読むと前半が冗長で退屈です。映画では時系列をうまく処理し効率よくまとめてあるのですが、原作は時系列に忠実にテレーズの生活とキャロルと出会ってからの男性恋人との離反、一方の離婚調停中のキャロルの生活や過去の女性アビーとの関係等が、やや暗い雰囲気の中で延々と語られ、キャロルの心中がなかなか見えてこないためにイライラしてしまいます。

 とは言え、そんな前半にも印象的な文章は散りばめられています。映画でも印象的だった、キャロルがテレーズを評する場面

' Flung out of space. ' (あなたはまるで、宇宙から降ってきたよう)

であるとか、テレーズが彼女と会える喜びを自宅アパートでかみしめる場面

' A world was born around her, like a bright forest with a million shimmering leaves.

であるとか、テレーズがキャロルに渡せずに後半で物語の鍵となるラブレターの文章

' I feel I am in love with you, --- and it should be spring. I want the sun throbbing on my head like chords of music. I think of a sun like Beethoven, a wind like Debussy, and bird-calls like Stravinsky.But the tempo is all mine. '

得も言われぬ美しいフレーズであるとか。

 とはいうものの、二人が諸事に片をつけ、物語のハイライトとなるアメリカ西部への二人だけでの車旅行が始まるのが第二部もだいぶ経った所あたり、Kindleでいうと60%のところというのはあまりにも待たせ過ぎですね。

 でもそこからは二人の心と体の距離の接近と愛の告白、幸福感に浸る二人に忍び寄る黒い影、そして破綻、テレーズの不信、とテンポよく話は進みます。

 そして最終章。テレーズのキャロルへの不信は再会時の思いもよらないキャロルの申し出で一転します。が、即座に承知するかと思いきや、精神的に成長したテレーズはその申し出を敢えて拒否します。そしてその直後のとあるパーティで、ある女優と視線があった途端、この人も同性愛者だと瞬時に悟り彼女になびきそうになりますが、、、

 そこから最初に書いた終文に至るまでの文章は実に鮮やかで味わい深いものでした。テレーズは悟ります。

' It would be Carol, in a thousand cities, a thousand houses, in foreign lands where they would go together, in heaven or in hell. '

そして彼女に歩み寄っていくのです。

  同性愛を冷静に客観的にしかも美しくハッピーエンドに描いたこの物語は物議を醸しながらも大評判となり、当時では驚異的な100万部を超える大ヒットとなりました。ハイスミス自身のあとがきでも、告白できず孤独に苦しんでいた同性愛者から返事を書ききれぬほどの感謝の手紙が届いたと述べています。

 1950年代の文章ではありますが、今読んでも新鮮で、しかも比較的平易に書かれています。映画を観て感動した方、英語で優れた恋愛小説を味わってみたい方は是非原文を味わってみてください。