ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

The Buried Giant / Kazuo Ishiguro

The Buried Giant (Vintage International)

  本年元旦に今年の課題としたカズオ・イシグロの昨年3月に出版された新作「The Buried Giant」を読了しました。もちろん昨年5月に土屋政雄氏の訳で「忘れられた巨人」は読んでいたわけですが、こちらは原書になります。

 原書を読もうと思ったのは理由は2015年7月のレビューにも書いていますが、この作品が古代イギリスを舞台にした凡庸なファンタジーなのか、著者自身が語っているように20世紀の同国内民族紛争(ユーゴやウガンダの内戦)から着想を得た優れた小説なのか今ひとつ判断しかねたからです。しかし、なんと言ってもカズオ・イシグロの作品です。だからレビューの最後にはこう書いています。

「 と書いてきたものの正直なところ、まだこの小説が傑作なのが、凡庸なファンタジーなのか確信は持てません。しかし心配はしていません。10年前の小説「わたしを離さないで」が傑作であると後日気がつき原書、映画、演劇と何度も反芻したように、この物語も心の奥底に刻まれ、やがてその素晴らしさを何度も思い知ることになる、と信じていますから。」

 その予想通り、この物語はその後私の記憶の中で静かに発酵し続け、さらにその後著者の来日インタビュー記事を読み、NHKの学生との討論番組を見て、これだけ民族紛争の悲劇に思いを致しておられるのであれば原書を読んでみる価値があると思いました。
 また先のスコットランド独立に関する住民投票を見ても、英国ではこの小説の時代のブリトン人(ケルト系)サクソン人(アングロサクソン系)の確執は決して過去の伝説の中の出来事ではなく、現在に至る現実的な問題なのだということも頭に入れて再読する必要があると思いました。
 更には元旦に紹介した雑誌「MONKEY No.7」での土屋政雄氏との対談を読み、本書では思い切って文体や構成を今までの作品とがらっと変えた、という文章にも興味がありました。

 結論を言う前にまず述べておきたいことは、土屋政雄氏の訳はやはり素晴らしい、ということ。日本語としてのレベルも高く典雅ささえ感じましたが、訳文としても実に端整で丁寧で適切なものだとあらためて理解できました。

 その上で敢えて言えば、どうしても訳しきれない原文の雰囲気や言葉の強弱による感情表出の機微というものがあり、カズオ・イシグロが描いた世界観と民族対立の根深さはやはり直接原文でないと捉えきれないものがあると感じました。もちろん私がストーリーを追うのに精一杯で土屋氏の表現を捉え切れなかったことも否定しません。

 全体的に原文は邦訳よりダークな雰囲気に満ちており、征服者ブリトン人の(特にアーサー王と悪名高き魔術師マーリンが仕掛けた魔法)の狡猾さと、忘却の霧の中でもくすぶり続ける被征服者サクソン人の憎しみがより直截的に表現されています。カズオ・イシグロが意図した民族間対立の悲劇という面を読み解こうと思えばやはり原書を読むべきだと痛感しました。

 具体的に言うと、被征服者側であるサクソン人の戦士Wistanの言葉の数々。彼が高潔で正義漢に溢れた礼儀正しい戦士であるだけに、邦訳では日本語特有の「敬語」を多用せざるを得ず、その面だけが突出して印象に残ってしまうのです。
 原文を読むと、Wistanは後半から終盤に至りブリトン人に対する敵意をあらわにしてくるのですが、その際「Hatred」「Vengeance」「slaughter」といった相当にきつい英単語が頻出してきます。これが「憎悪」「復讐」「虐殺」という言葉におきかえられてもその感情の度合いが今ひとつ伝わりにくいのですね。
 例えばWistanが終盤で幼い弟子Edwinに誓わせる言葉を例にとってみましょう。

' Should I fall and you survive, promise me this. That you'll carry in your heart a HATRED of Britons.'

驚くEdwinがアクセル夫妻やガウェイン卿のような善きブリトン人でさえもですか、と訊き返します。Wistanは確かにそういう善きブリトン人もいるが、

' --- It was Britons under Arthur SLAUGHTERED our kind. --- We've a duty to HATE every man, woman, and child of their BLOOD. ---'
'--- When the hour's too late for rescue, it's still early enough for REVENGE. --- Promise me you'll HATE the Briton till the day you fall from your wound or the heaviness of your years.'

と、今までの高潔な戦士の仮面をかなぐり捨てて憎しみを弟子に植え付けるのです。大文字で書いたところが私をどきどきさせた部分です。ちなみに最近の日本では特にスポーツ関連で「リベンジ」という言葉を安易に使いますが、ネイティブの方にあまり安易に使うと大変なことになります。それほど憎しみのこもった強い復讐の念がこの言葉にはこめられています。

 一方でアーサー王の従兄弟で彼の騎士であったガウェイン卿も高潔の士であるが故に、また無意識のうちに主人公たちの味方と思い込んでいたが故に、邦訳ではその面を意識しすぎていました。
 今回読み直してみて、ブリトン人であるが故の、またアーサー王を敬うが故に被征服者であるサクソン人の憎しみが理解できず、また意外に頑迷固陋なところのある人物であることを読み逃していたことに気づきました。例えばマーリンが雌竜クエリグの息にかけた魔法により世界を忘却の霧に包んだことを老アクセルに「Dark」と指摘されたことについて答える場面。

' A dark man he may have been, but in this he did God's will, not only Arthur's. Without the she-dragon's breath, would peace ever have come? Lool how we live now, sir. '

事実はそうにしても、これはやはり征服者側の論理に他ならない。続けて卿は弱りきっている雌竜をこのままほうっておいて欲しいと懇願して言います。

' --- Yes, we slaughtered, I admit it, --- God may not have smiled at us,but we cleansed the land of war. --- We may pray to different gods, yet surely yours will bless this dragon as does mine.'

 その身勝手な頼みに対するWistanの辛辣な返答。

' What kind of god is it, sir, wishes wrongs to go forgotten and unpunished? '

その通りだと思います。雌竜クエリグへの憐れみは別として。。。

 さて、話題を文体に変えましょう。「MONKEY」に掲載された土屋氏との対談でカズオ・イシグロ

「奥さんに草稿の登場人物の言葉遣いをぼろくそにけなされ、普通の英語のセンテンスには必要なthat,which,whoといった単語を思い切って抜いた。その結果満足できる文章になった。」

と述べています。読んでみるとまさにその通りで、今回はかなり苦労しました。今までの文体で書いてもらったほうがネイティブではない私にとっては良かったのですが(笑。。。

 それでも確かにその効果は感じられます。「わたしを離さないで」や「夜想曲集」の丁寧で真面目な文章に比べると、会話の流れや文章のリズムが緩急自在となっていると感じます。

 例えば老夫婦が滞在したサクソン人の村の長老が、Wistanに比べて勇気の無い村人とその記憶を失う速さをぼやく場面。

' How can it be they forget the worrier leave with two of their own cousins to do what none of them had the courage for? '

 このようにbeのあとのthat、worrierのあとのwhoを省略して流す会話は本作で多くみられ、音読すると流れが良い印象があります。まあこの程度の文章だと意味は容易につかめますが、数行に渡る文章など頭の中で日本語に訳していると追いつかず混乱してしまうこともありました。どちらかと言えば音読で英語のまま流して大意をつかむ方がむしろ分かりやすいです。

 もう一つ今回難しかったのは各章で登場人物のうち誰の視点で語っているかを変えること。
 今回は4部19章あり、各章が誰の視点で語られているのか最初から分かっているのは「Gawain's Reverie」二章だけです。ですから数行読まないと誰の視点か分からない章が結構多かったです。これもカズオ・イシグロの新しい挑戦で、それは邦訳でも分かってはいたのですが、土屋氏の親切で丁寧な文章に助けられていたことがよく分かりました。

 以上、原書の感想を述べてきましたが、変わらないのは老夫婦の愛の深さと忘却の霧が晴れたあとの終章の哀しみです。息子を探す旅に出たはずが、竜退治を手伝うことになりその結果として思い出した辛い思い出の数々。それを乗り越えて二人で島へ渡ろうとする二人。その結末は敢えて明かしませんが二人の最後の会話に涙するためにこの長い物語を読む価値はあると思います。

'Farewell then Axl.'
'Farewell, my one true love.'

島はやはりAvalonなのではないか、と今回も思いました。

 以上、同国内で民族同士が憎しみ会う悲劇と、長く連れ添った夫婦の痛切な愛の形という、マクロとミクロの視点を同時に描ききったカズオ・イシグロの新作、邦訳の時に疑問に感じた点を原書でほぼ払拭できました。やはり自分の信頼する英米作家の文章は原書でも読むべきだという思いを新たにした次第です。

 その上で最後にもう一度述べておきたいのは、それでも土屋政雄氏の訳は素晴らしい、ということです。是非お読みいただきたい、と思います。