ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

キャロル

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(パンフレット表裏表紙、左ルーニー・マーラ、右ケイト・ブランシェット

 ケイト・ブランシェットルーニー・マーラという魅力的な女優二人の共演で話題となっている「キャロル」が公開されました。もうトレイラーを観た時から観たくてたまりませんでしたので、公開初日に早速観てきました。

 期待に違わぬ素晴らしい出来栄え。。。二人の美しさと演技、衣装、1950年代アメリカを見事に再現した映像美、バックに流れるジョー・スタッフォードの「No Other Love」をはじめとする1950年代のジャズスタンダード等、全てに魅入られてしまいました 。演出、脚本、演技、衣装、美術、音楽全てに完璧な十年に一度めぐり合えるかどうかというレベルの恋愛映画だと思います。

 特にケイト・ブランシェットには脱帽です。素晴らしい女優だとは知っていましたが、ハリウッドの大女優が優れた監督のもとで本気を出すと、あそこまで美しくなり、そして観るものを魅了する演技ができるのか、と正直なところハリウッドと邦画との実力差を思い知りました。
 エンドシーンで静止画像で写される彼女の表情を見るだけでもこの映画を観る価値があります。彼女は過去に「アビエイター」でキャサリン・ヘップバーンを演じていますが、現実に彼女はキャサリンの域に達しているのではないでしょうか?いや、それ以上、例えるなら全盛期のカトリーヌ・ドヌーヴに匹敵する演技だったと思います。
 そして伸び盛りの女優ルーニー・マーラ。痩身でまだ若い彼女にはオ-ドリー・ヘップバーンとまではいかなくとも、若い頃のナスターシャ・キンスキーのような雰囲気を感じます。もういろんな賞を取っている有望株ですが、この作品もまた彼女の代表作の一つとして歴史に名を刻むのではないでしょうか。

 ということで、普段はあまり買わないパンフレットを買ってしまいました。 映画評論家・芝山幹郎さんの文章がまた上手い。表題が「パルスポイントのある映画」、う~ん、参りました。やはり素人ではかなわない。ちなみにパルスポイントとは脈を感じられる場所で、香水をつけるポイントとなります。この映画でもとりわけ印象深い濃厚にセンシュアルな場面に使われています。

 『 2015年 アメリカ映画 配給: ファントム映画

原題 Carol

スタッフ:

監督: トッド・ヘインズ
原作: パトリシア・ハイスミス
脚本: フィリス・ナジー
撮影: エド・ラックマン
美術: ジュディ・ベッカー
音楽: カーター・バーウェル
音楽監修: ランドール・ポスター

キャスト: ケイト・ブランシェットルーニー・マーラサラ・ポールソン、ジェイク・レイシー、カイル・チャンドラー、他

 ブルージャスミン」のケイト・ブランシェットと「ドラゴン・タトゥーの女」のルーニー・マーラが共演し、1950年代ニューヨークを舞台に女同士の美しい恋を描いた恋愛ドラマ。

 「太陽がいっぱい」などで知られるアメリカの女性作家パトリシア・ハイスミスが52年に発表したベストセラー小説「ザ・プライス・オブ・ソルト」を、「エデンより彼方に」のトッド・ヘインズ監督が映画化した。

 52年、冬。ジャーナリストを夢見てマンハッタンにやって来たテレーズは、クリスマスシーズンのデパートで玩具販売員のアルバイトをしていた。彼女にはリチャードという恋人がいたが、なかなか結婚に踏み切れずにいる。ある日テレーズは、デパートに娘へのプレゼントを探しに来たエレガントでミステリアスな女性キャロルにひと目で心を奪われてしまう。それ以来、2人は会うようになり、テレーズはキャロルが夫と離婚訴訟中であることを知る。生まれて初めて本当の恋をしていると実感するテレーズは、キャロルから車での小旅行に誘われ、ともに旅立つが……。テレーズ役のマーラが第68回カンヌ国際映画祭で女優賞を受賞した。

(映画.comより)』

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 映画は冒頭での所謂「つかみ」が大事と言われており、私もレビューで度々語ってきましたが、この映画はそれを逆手にとって、ラスト近くで最初の場面がいかに重要であったかを観客に思い知らせる、という憎い手法をとっています。

 配給会社のロゴが映しだされた後に暗転した画面から聞こえてくるのは地下鉄の音。そしてカメラが地上に出ると1952年当時のニューヨークの街が見事に再現されています。歩いている人々を追いかけてカメラはホテル・リッツのレストランへ。ロングショットでレストランで食事する人々を映し出す中に、遠景でケイト・ブランシェット演じる裕福な婦人キャロルの姿も見えます。しかしそこへはいきなり近づかず、別の若者たちの席へ。そこから立ち去る一人の青年が、ふと知り合いの女性に気付き大きな声で呼びかけます。それがキャロルが座っている席。驚いて振り返るのは、キャロルの向かいに座って背中だけが見えていた若い女性。彼女が若い写真家志望の女性テレーズ役のルーニー・マーラ

 ためらいがちに挨拶を交わし、キャロルを紹介するテレーズ。青年は陽気に「はじめまして、お会いできて光栄です」とキャロルに挨拶します。キャロルは平然さを装って「こちらこそ(Likewise)」と挨拶を返しますが、何か微妙な雰囲気をかもしています。Likewise、という軽い返しで脚本家が意図したものは何か?

 そして青年はテレーズをパーティーに誘い、断わりかねている彼女を見てキャロルは「お行きなさいな、私は失礼するわ」と言って立ち去ります。

 これだけのなんでもない一シーンが、そして青年の軽い気持ちでの呼びかけがどれほどの意味をもっていたのかは、見てのお楽しみとしておきましょう。

 この憎い脚本を担当したのは、原作者である女流サスペンス作家パトリシア・ハイスミスとも交流のあったフィリス・ナジー。あまり知らない脚本家でしたが、実に上手い。
 特にキャロルとテレーズの距離が徐々に縮まっていき、肌と肌が触れるまでの会話の全てに意味があり、二人の内面や言い出せぬ思い、繊細な感情の機微がこめられていて聞き逃せません。

 それを実際に話すケイトやルーニーの演技、トッド・ヘインズ監督の演出も実に巧み。二人での初めての食事の際にキャロルが喋るなんでもない台詞

「 I'm starved. Bon Appetit!

にしても、その後何度かテレーズのことを表現した「天から降りてきたような」と訳されていた

Fall from space

にしても、ケイトの表情と喋り方は実に気品がある上に上手いし、それを引き出すヘインズ監督の演出を評論家の芝山さんは「老獪」とまで表現しています。ちなみにヘインズ監督はまだ50歳代半ばですけどね。

 ちなみにこの映画の字幕担当は松浦美奈さんで先日紹介した「ブリッジ・オブ・スパイ」でも難しい訳をこなされており、本作でも安定していますが、それでも台詞が大きな役割を担っている本作では随分苦労されているな、と思いました。
 正直なところ二人の女性の繊細で意味深な会話の数々や、離婚調停中のキャロルの夫の苛立ちと娘への愛、一方のテレーズの煮え切らない態度にイラつく恋人の台詞など、字数に制約のある字幕では伝え切れていないです。
 ある程度英語に自信のある方は、裁判の専門用語などを参考にするのにとどめて、目と耳を画面に集中されることをお勧めします。

 話が随分それてしまいましたが、徐々に距離が縮まって行く過程、娘を引き離されて半狂乱になるキャロル、そして二人だけの旅。芝山氏が「エドワードホッパーの絵のようだ」と喝破したロードムービーアメリカの風景。私も「アメリカの風景:ホイットニー展」で見たことがありますが、まさにその通り。

 その旅の間のテレーズとキャロルの距離の縮まりと交歓には、決して淫らな意味ではなくてぞくぞくするシーンが満載です。キャロルのセーターに顔を埋めるテレーズ、キャロルが「パルスポイント」に香水をつけさせるシーン、そして写真家志望のテレーズが取り続けるキャロルの写真の数々。
  そしてついにオハイオの田舎町「Waterloo」(名前について冗談を語り合う二人ですが意味深です)でついに思いを遂げる二人。前田有一が「日本の女優では先ず真似できない芸当 」と絶賛するのも頷けます。

 そして翌日に起こる思いがけない事件。天国から地獄とはまさにこのこと。

 その後の物語の展開については、まだ公開されたばかりなので詳述は避けますが、如何にして冒頭のシーンが活きてくるのかに驚き、そしてケイト・ブランシェットの「モナリザの微笑み」にも例えたいエンドシーンの表情を是非堪能してください。

 というわけで、当時偽名で書かざえるを得なかったパトリシア・ハイスミスの原作の映画化を決めたプロデューサー陣(ケイトもエグゼクティブとしてその名を連ねています)の期待に見事に応えた監督・脚本家・俳優陣・美術・衣装・音楽、全て完璧な傑作です。テーマを気にする必要はありません。「ブロークバック・マウンテン」「チョコレート・ドーナツ」同様、見るべし!です。

 ちなみに誰かがきっとオスカーを獲るでしょう。もしケイトがオスカーを逃したら、それは以前紹介した「ブルージャスミン」で取ってしまったから、かもしれません。もしそうだったら、これほど残念なことは無い(苦笑。

評価: 傑作: A
(A: 傑作、B: 秀作、C: 佳作、D: イマイチ、E: トホホ)