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太刀洗万智を追いかけて(2) 真実の10メートル手前

真実の10メートル手前

 「太刀洗万智を追いかけて」後編は、発刊されたばかりの「真実の10メートル手前」 です。「さよなら妖精」と「王とサーカス」の間に書かれた「ベルーフ(天職)」シリーズ6編が収められており、その中には私が初めて彼女に出会った「ナイフを失われた思い出の中に」も入っており、ついに私の追いかける旅も最初の地点に回帰するとともに、すべて読み終えました。では、ブクレコに投稿したレビューをどうぞ。

【 ようやく太刀洗万智に追いついた 】

 待望の米澤穂信の「太刀洗万智(たちあらいまち)」シリーズ新刊。と言っても新作ではなく、「ベルーフ(天職)シリーズ」と呼ばれる過去に発表された短編6編をまとめたもので、ここに見られる「報道」の真の意義を問う米澤穂信の姿勢が傑作「王とサーカス」につながっていく。その中には私が彼女を初めて知った一篇も含まれている。
 これで一風変わった姓を持つ女性、太刀洗万智の登場する作品は「さよなら妖精」「王とサーカス」を含めてすべて読むことができ、ようやく彼女に追いつくことができた。「だから何?」と彼女に言われそうだが。

 ちなみに切れ長の目が容易に近づき難い雰囲気を漂わせる、長い黒髪の長身女性ジャーナリスト太刀洗万智は、洞察力と行動力の双方を持ち合わせた優れたジャーナリストではあるが刑事でも探偵でもない。だから鮮やかに謎解きを大勢の前で披露したり、見事に難事件を解決したりはしない。そして物語はすべて一人称で語られるが、語り手は太刀洗万智ではない。この手法を選んだ理由はあとがきで米澤穂信自身が述べているのでここでは割愛する。

 以下、簡単に各篇の紹介を。

真実の10メートル手前
 経営破綻したベンチャー企業の広告塔であった女性の失踪先を太刀洗万智は独特の切れ味鋭い推理で見事に探し出すが、結末はほろ苦い。大きな謎解きはないが一文一文を大切に読まないと米澤穂信得意のごく何気ない伏線を見逃してしまうのでで流し読みは許されない。
 ちなみにこの事件は本作中で唯一彼女はまだ新聞社の大垣支局勤務であり、「王とサーカス」より前の事件である。

『 正義漢 』
 駅での「人身事故」。大抵の人は「またか」と、轢死した人のことを考えるより先にダイヤの乱れで自分の予定が狂うことにうんざりする。米澤穂信の視点は鋭い。ごく短いエピソードだが、一人称の使い方などに冴えを見せる佳作。ファンには高校生時代のあだ名「センドー」が出てくるのがうれしい。あとがきで、この作品が原題「失礼、お見苦しいところを」であり、ベルーフシリーズの端緒であったことを知る。

『 恋累心中 』
 こいがさね、と読む。三重県の山奥の地名であり、そこで高校生の男女二人の死体が発見される。遺書もあり自殺(心中)の線は強い。太刀洗万智はフリージャーナリストとなっており、「王とサーカス」以後の物語である。彼女は同県で別件で動いていたが、この心中事件で派遣された記者の手伝いをすることになる。その記者は彼女の手際の良さ、行動力に驚くが、同時に冷ややかな女性だという印象も持つ。しかし一緒に行動するにつれ彼女の深慮遠謀に感嘆することになる。
 ここでも彼女の暴いた事実は後味の良いものではないし、あっと驚くようなどんでん返しが待っているわけでもない。しかしよく練られたプロットが深い余韻を残す、本書中でも出色の一作である。

『 名を刻む死 』
 近所の嫌われ者だった老人の孤独死。発見者の少年は一時期マスコミに追い回され嫌な思いをするが、すぐにそんな事件は忘れ去られる。そんな頃にまた記者が一人彼の前に現れる。太刀洗万智だ。もちろん孤独死した老人の取材のためではあるが、最後に彼女の意図が明らかとなる時、これまで読んできた物語が全く違う様相を帯びることになる。孤独死という事実が覆されることはないのにこれだけ視点を逆転させる米澤穂信の手腕は見事だ。
 ちなみに鋭い推理を提示する少年に「ちょっといいね」と微笑む万智がいい。

『 ナイフを失われた思い出の中に 』
 ついに私が太刀洗万智と出会った地点に戻ってきた。「蝦蟇倉市」という不可能犯罪が多発する都市で起こった殺人事件を取材している彼女に「さよなら妖精」の主人公マーヤの兄が会いにやってくる。ちなみに「15年の歳月が流れている」ということは彼女はもう30台中盤、「王とサーカス」からも数年が経過しているが、兄から見て信じられないほど若く見える。
 その兄の視点で彼女の行動が語られていく。それとともに彼の経験したユーゴ紛争のことも語られる。始めはマーヤから聞いていた女性像と乖離していると感じていた兄だが、彼女の洞察力の鋭さと、冷徹さの中の彼女の真意に気づいたとき、何故妹が彼女をあれほど褒めていたのか納得することになる。褒めたたえる彼に万智は答える。
「・・・・・・私は三十歳を超えています。ティーンエージャーの頃と同じと言われて、嬉しくありません。」
「でも、あなたを友とした私の妹は、幸せだったことと思います」

 この短編を最初に読んでおいてよかったと思う。こうして再読し、兄と同じ疑問と最後の感嘆を共有できるのだから。 

『 綱渡りの成功例 』
 長野県を襲った豪雨災害。4日目に救出された老夫婦をマスコミは大々的に報道する。息子が正月に置いていったコーンフレークが夫婦の命綱となったことが美談としてもてはやされる。しかしひたすら恐縮する老夫婦の姿に違和感を覚える消防団員の青年。彼のもとに大学の先輩太刀洗万智が突然訪れる。
 彼女の抱いた疑問は青年にとってあまりにも意外なものだったが。。。老夫婦にとって辛い事実をあきらかにし記事にする意義はどこにあるのか。青年の自問に万智は「今回は運が良かった」とだけしか答えない。そう彼女は大学時代、彼に「教わる」のではなく「学び取る」姿勢を教えてくれた人だった。

 おそらくこれからも太刀洗万智シリーズを米澤穂信は書き続け、「報道」の在り方を問うていくのだろう。そして私は彼女を追い続けていくつもりだ。