ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

この国の空

Konokuni

 この夏は映画に行く機会がなかなかなくて、禁断症状が出ておりました。今日は久しぶりにシネリーブル神戸へ。やっぱり映画館育ちのせいか、映画館に入ると和む自分がおります。

 で、本当は「野火」を観たかったのですが金曜日で終了。で、二階堂ふみ狙いで「この国の空 」をチョイス。。。まあ、映画を映画館で観るという良い気分転換ができてよかったです。

『 2015年 日本映画、配給: ファントム・フィルム、KATSU-do

スタッフ:
監督: 荒井晴彦
原作: 高井有一
詩: 茨木のり子
脚本: 荒井晴彦
製作: 奥山和由

キャスト:
二階堂ふみ長谷川博己富田靖子工藤夕貴利重剛上田耕一、奥田暎二、他

「さよなら歌舞伎町」「海を感じる時」「共喰い」などの脚本を手がけたベテラン脚本家・荒井晴彦の18年ぶりにメガホンをとった監督作。谷崎潤一郎賞を受賞した高井有一による同名小説を原作に、戦時下を生きる男女の許されない恋を、二階堂ふみ長谷川博己の主演で描いた。終戦も近い昭和20年。東京・杉並の住宅に母と暮らす19歳の里子は、度重なる空襲におびえながらも、健気に生活していた。隣家には妻子を疎開させた銀行支店長の市毛が暮らしており、里子は彼の身の回りの世話をしている。日に日に戦況が悪化し、自分は男性と結ばれることのないまま死ぬのだろうかという不安を覚えた里子は、次第に女として目覚めていくが……。 (映画.com解説より)』

 まあ、映画.comの解説の通りの映画です。太平洋戦争末期、終戦間近の東京の一般人の銃後の不安と苦悩など、細かいところまで気を配って丁寧に描いていたと思います。とくに食べるシーンが多いのは食糧難の時代の描写として良いところにポイントを絞ったな、と思います。

 長谷川博已に採れたトマトを食べさせるシーンに、二階堂ふみの処女喪失シーンのイメージを重ねた一番のクライマックスシーンも悪くはなかったです。

 でも言ってみればそれだけ。あまりにも地味すぎてお金を取って見せる興行作品としてはどうなんだろう?と思わずにはいられませんでした。

 二階堂ふみはよかったですよ。いや、ヌードだけじゃなくてね。ラストシーンの目力。よく柴崎某の目力がすごい、なんて言いますが、あれは目がきついだけじゃないかな?本当に演技できる女優の目ですよ、二階堂ふみの目は。

 そして台詞がうまい。あの時代の折り目正しい台詞をはっきりと綺麗に発音できているところ、エンドロールでの茨木のり子「私が一番きれいだったとき」の朗読がしっかりできていたところ、好感を持ちました。とびきりの美人というわけではないのでこれからもどんどん主役で使ってもらえるかどうかが難しいところだと思いますが、これからもますます伸びていく方だと思います。

 というわけで、評価は「イマイチ」をつけざるを得ないですが、悪くはない映画だと思います。バイオリンを主体とした音楽も好感が持てました。なんとテーマ音楽は下田逸郎が担当してますね。

評価: D: イマイチ
(A: 傑作、B: 秀作、C: 佳作、D: イマイチ、E: トホホ)

おまけ:

「わたしが一番きれいだったとき」 茨木のり子

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
              
                ね