ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

カズオ・イシグロの来日インタビュー記事

Kauzoishigurointerview20150707

 本日(2015.7.7)の神戸新聞カズオ・イシグロのインタビュー記事が載っていました。先日レビューした最新作「忘れられた巨人」のプロモーションのための来日です。要点をかいつまんで紹介したいと思います。

 先日のレビューで紹介したように、舞台はアーサー王伝説の時代のブリテン島なのですが、着想は「ユーゴスラビアの内戦とルワンダの虐殺から得た」とカズオ・イシグロは語っています。特に隣人として平和に暮らしていた異民族が殺しあったユーゴ紛争は、休暇先としても馴染み深かった地域なのでショックだったと。

 実はこのことは私も読む前にMIXIカズオ・イシグロのフォーラムで解説しておられた方がおられたので知っていました。
 その上で読んだのですが、正直なところ、彼がそれをきっかけにこの本を書いたことになんら注文をつける筋合いはありませんが、逆にこのストーリーを読んで二十世紀に起こった様々な民族紛争を思い出せ、といわれてもそれは無理があるだろう、と一読して思いました。

 しかし彼は、どこの国の人が読んでも隣国との問題を想起できるように「特定の地域にとっての直接的な寓話にしたくなかったのです。」と語っています。
 前知識なしで読めば、単に中世の竜退治の物語と老夫婦の愛を描いた小説でしかないと思いますが、そこまで深読みしなければいけないのかどうか、それは読者の判断に委ねられるべきでしょう。ただ、彼の着想のきっかけを知っておいて損はないとは思います。

 一方、彼が「人は過去とどう闘うのかという問題を、長い間考えてきました、それは一人の人間の中での闘いでしたが、これをより大きなレベルで考える小説を書きたいと思っていました。」とも語っており、そのテーマを描くことには成功していると思います。

 ミクロな視野では夫婦愛も重要なテーマです。物語の世界では忘却の霧が世界を覆い、「主人公の老夫婦も過去の二人に入ったヒビを忘れてしまっているのですが、それをもし二人が思い出した時にそれでも愛は残るのか」という問いを本当に静かに彼らしいマナーで読者に投げかけている点はてとも印象的でした。
 その「愛」を「平和」と言い換えても問いは通じ、「どんな時に思い出し、どんな時に忘れたままにしておくべきなのでしょうか」とカズオ・イシグロは問題提起しています。

 最後に私が最も悩んだ「忘れられた巨人」の「巨人」の意味について。これは共同体の隠喩だそうです。「ある国を訪れると、その国にとっての『忘れられた巨人』は何かと訪ねます」と彼は語ります。日本に暮らす私たちにとってのそれは何でしょう?

 「巨人」とどう向き合うのか。その問いは重く、答えもまた霧の中にあるように思えた。、とライターは結んでいます(署名なし)。