ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

Frederic Chopin Preludes / Ingrid Fliter

Chopin: Preludes

 Nino Gvetadzeさん以来、久々のクラシック・アルバム紹介です。またまたピアノでまたまたとびきりの美女でございます。オーディオで有名なLinn Recordsから出たSACD/CDハイブリッド盤で、Ingrid Fliterというアルゼンチン出身で現在は欧米をまたにかけて活躍中のピアニストのショパン前奏曲集です。

 もちろん美女だから選んだ(だけ)ではありません。クラシックアルバム・レビューで他の追随を許さない、たびたび拙ブログでも紹介させていただいているprimex64さんの「Music Arena」で見事「MusicArena Award 2014 Grand Prix」に選ばれた作品なのです。ちなみにprimex64さんの講評は

「ノンレガートで貫かれているけれども嫋(たお)やかさと粘りを失わない、そして襞が深いメロウな解釈。色彩感とバリエーションに富んだプレリュードの各曲をここまで物語風に歌いこんだ本格的な大人のショパンは昨今では非常に稀有だ。SACDハイブリッドに収められたピアノの音質も非常に優秀だ。」

とのことでした。ピアノのソロ集でしかも題材はショパン。あまりにもありふれた素材で美女の演奏ということで、普通なら眉につばをつけたくなるところですが、そこは「Music Arena」ですからとりあえず買ってみよう、という事で先日届いて聴いております。

 ちなみにニーノ・グヴェターゼドビュッシーは惜しくも選に漏れました。primex64さんにMIXIで訊いてみましたところ、佐々木宏子ドビュッシーを入れたので苦渋の選択で落としたとのお返事でした。次から次へ新しいピアニストが出てきますね。

Frederic Chopin:
24 Preludes, Op.28
Mazurka No.13 in A minor, Op.17 No.4
Mazurka No.11 in E minor, Op.17 No.2
Mazurka No.41 in C sharp minor, Op.63 No.3
Mazurka No.32 in C sharp minor, Op.50 No.3
Mazurka No.1 in F sharp minor, Op.6 No.1
Nocturne No.3 in B major, Op.9 No. 3
Nocturne No.8 in D flat major, Op.27 No.2

Ingrid Fliter (Pf)

Linn Records 2014

 ショパンといえばやっぱりホロヴィッツポリーニと言う絶対的な教科書があり、自由に弾こうと思えば例えば以前紹介したことのあるポーランド・ジャズの鬼才Leszek Mozdzerの「Chopin Impresje」のように門外漢が思いきったことをやるしかないだろう、と思っていましたが。。。

 なるほど、こういう折り目正しくもエモーショナルな前奏曲演奏もあるのだな、と聴くたびに新鮮な驚きがあります。もちろん速度強度指示通り、3: In G major (Vivace)、8:In F sharp major (Molto agitato)のように流麗に弾きこなす曲や、11: In B major (Vivace)のように闊達に弾く曲もありますが、前奏曲全体としては最近のハイスピードな演奏とは一線を画したゆったりとした懐の深い演奏です。

 特に、13以降の流れが素晴らしい。13: In F sharp major(lento)の静謐な美しさ、続く14: In E flat minor (Allegro)の短いながらも大胆絶妙なぺダリングによる余韻、そしてそこから「雨だれ」の名称で有名な15:In D flat major (Sostenuto)へ続くのですが、前半の13に似た美しさ、後半の14に似た低音の深さは絶妙で、まさに「ノンレガートで貫かれているけれども嫋やかさと粘りを失わない、そして襞が深い」演奏です。

 通常の「雨だれ」は窓の外を物憂げに眺めているというイメージですが、この演奏は春の野に細やかに降りしきる清冽な雨のような印象を受け、まだ「雨だれ」にこれだけ新鮮な解釈で弾ける余地があったのかと驚くことしきりでした。これだけ素晴らしい「Raindrops」を聴けるだけで買った価値があると思いました。 

 そしてそれ以降のダイナミックレンジの広い曲に於けるサステインの掛け方、ぺダリングの使い方も絶妙だと思いました。この技術に関してprimex64さんの詳細な解説があります。少し長いですが引用させていただきます。

『打鍵スタイルをマルカートに近いノンレガートに統一したということ。ペダルワークは常に控えめであるけれどもサスティンは不足なくかけ、それでいて細かなスケールが小節の頭から潰れることのないよう細心の注意でもってダンパーを早めに降ろすということを繰り返すことで旋律ラインを明確に浮かび上がらせることに成功している。

ご存知のようにサスティンペダルを踏むとすべての鍵盤に対応するダンパーが上って弦は自由振動する。ペダルから足を離すとダンパーが降りてすべての弦をミュートする。但し、押し込んでいる鍵盤に繋がっているダンパーを除いては。その単純で昔からある機構を利用し、フリッターはこのプレリュードの微細な譜面を正確にトレースする。譜面上スラーのかかった複数の音符に対してはペダルを踏み込んでいるが、単一の音符ラインのスラーについてはペダルに頼らず運指だけを使ってサスティンを持続、この時の左手の複数の鍵盤はペダルを離しても自由振動する和声を余韻としているが、次の和声に移るときにはいったんペダルを踏んで自由振動モードに移り指の位置を変えて打鍵してペダルを離す、ということを繰り返す。要するに「摺り指」とペダルを複合的に使うことで前の音価から次の音価まで途切れさせることなくレガートに繋げていくというやり方。』

 もちろんフリッターは一朝一夕にこれだけの技術と表現力を得たわけではありません。もちろん彼女は2000年のショパン国際でユンディ・リと競り合った結果、2位に入ったという図抜けた才媛ですが、2008年にEMIから出したショパン集は今ひとつの評判で、primex64さんも

『 技巧的には素晴らしいものがある反面、確かにエモーショナルな局面での掘り下げが浅く、どことなくおどおどしつつ表層的であってメンタル・エナジーも高くない。』

と評されています。それから6年、格段の進化を遂げ、Linn Recordsという良い環境を得てこの素晴らしい前奏曲集が出来上がったわけですね。

 敢えて言うと、マズルカ前奏曲集と同様のテクニックを駆使していますが、ちょっと優等生過ぎるように思います。マズルカとはポーランドの最も郷土色の濃い舞曲の一つで、ショパンは祖国のリズムを使ってその生涯に60曲のマズルカを残していますが、彼女が最初に弾いているマズルカop17-4は特に独創的で不思議で印象的な曲です。

 それだけに難しい。ルビンスタインあたりになるとかなり自由闊達に弾いていますが、やはりポーランド人であるLeszek Mozdzerの胸騒ぐような17-4を聴いてしまうと並みのマズルカでは満足できないのかもしれません。とにかく個人的にはマズルカだけはドキドキさせてほしいです。

 逆にノクターンになると彼女のよさがぐっと引き出されています。初期の大作で複合三部形式の難曲であるop9-3も丁寧でかつ懐の深い中にやはり女性らしい柔らかさのあるタッチで感動的な演奏となっています。クローザーのop27-2は「貴婦人のノクターン」と呼ばれる美しい曲ですが、夢見るような美しさで最後を締めくくっています。

 録音はややオンマイク気味ですが、はっとするほど上質で気品のある音色で、ホールトーンもとても清潔感があります。これもprimex64さんによると

『フリッターの弾き方が理に適っていてストレスがなく、かつ上部雑音を殆ど発していないからそう感じるのだろう』

という事で、フリッターの演奏が録音にも好影響を与えているのですね。とにかくSACDの良さがフルに活かされていると思います。さすがLinn Recordsです。それに比べるとCD層も悪くはないのですがやや硬めで空気感が後退する印象を受けます。できるだけSACDで聴いていただきたい演奏です。

 以上、またまたprimex64さんにおんぶに抱っこのレビューでしたが、クラファン、ピアノファン、オーディオファイルの多くの方に是非聞いていただきたいショパン集でした。