ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

博士と彼女のセオリー

Hakase

  スティーヴン・ホーキング博士は二つの点で世界的に有名です。一つは天才的な宇宙物理学者でブラックホール、ビッグバンなどの研究で世界をリードしたこと。そしてもう一つはALS(筋萎縮性側索硬化症)で殆ど体が動かず、電動車椅子に乗り人工音声で話す姿。妻のジェーンさんがそんなスティーブン博士の私生活を書いた原作を映画化したのが「博士と彼女のセオリー」です。この映画で主演男優のエディ・レッドメインは本年度アカデミー賞最優秀男優賞を獲得しました。今日その映画を観てきました。

 原題の「The Theory of Everything」とは電磁力・弱い力・強い力・重力を統一する理論だそうですが、この映画はエディをはじめとする俳優陣の折り目正しい演技、英国らしい節度ある美しい映像、深みのあるヒューマンドラマに深化させた脚本、そして素晴らしい演出が融合した秀作だと思います。

 物理学の理論を証明する方程式はシンプルで美しくなければいけないと言いますが、この映画はシンプルで美しい「愛」をラストシーンで見事に表現してくれます。

『 原題: The Theory of Everything
2014年 イギリス映画 配給: 東宝東和

スタッフ:
監督: ジェームズ・マーシュ
原作: ジェーン・ホーキング
脚本: アンソニー・マッカーテン

キャスト
エディ・レッドメインフェリシティ・ジョーンズ、チャーリー・コックス、エミリー・ワトソンサイモン・マクバーニー 他

ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病を抱えながらも最先端の研究に励み、現代の宇宙論に多大な影響を与える車椅子の天才科学者スティーブン・ホーキング博士の半生と、博士を支え続ける妻ジェーンとの愛情を描き、ホーキング博士を演じたエディ・レッドメインが第87回アカデミー賞で主演男優賞に輝いたヒューマンドラマ。ジェーンが記した自伝を原作に、ドキュメンタリー映画「マン・オン・ワイヤー」でアカデミー賞を受賞したジェームズ・マーシュ監督をメガホンをとった。ジェーン役は「アメイジングスパイダーマン2」のフェリシティ・ジョーンズ。物理学の天才として将来を期待される青年スティーブン・ホーキングは、ケンブリッジ大学在学中、詩を学ぶ女性ジェーンと出会い、恋に落ちる。しかし、直後にスティーブンはALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症。余命2年の宣告を受けてしまう。それでもジェーンはスティーブンと共に生きることを決め、2人は力を合わせて難病に立ち向かっていく。

(映画.comより) 』

 ファーストシーンで大体その映画の出来はわかってしまう、というのは私の勝手な持論ですが、この映画ではどこか豪華な宮殿のような広間に複数の人影が見えます。一人は車椅子で、一人の子供が駆け寄ってくる。しかし逆光の上にソフトフォーカスで誰が誰なのかわからない。その謎はラストで解けますが、とても印象的な映像で期待が膨らみます。

 場面は一転して自転車で街中を駆け抜ける二人の学生。ケンブリッジ大学院に在籍するティーヴンエディ・レッドメイン)とボート部の友達ブライアンハリー・ロイド)。彼らが駆け込んだパーティーの会場で、スティーブンはジェーンフェリシティ・ジョーンズ)と出会い互いに一目惚れしてしまいます。指導教授(デビッド・シューリス、あのなつかしのハリポタ・シリーズの狼男ルーピンさんです)からもその才能を見込まれ、最先端の研究であるブラックホール研究に打ち込むようになり、舞踏会ではジェーンと心が通じ合いファーストキスを交わします。無心論者と英国国教会という違いを越えて愛し合うようになった二人の人生はこれから順風満帆に進むかに見えましたが、スティーブンは間もなくALS筋萎縮性側索硬化症)を発症し、余命2年を宣告されてしまいます。

 落ち込むスティーブンをジェーンは励まし、二人は結婚。二年の余命を覚悟していたジェーンでしたが、スティーブンは生き続け、Space-Time Singularityの理論的解決からビッグバン理論の発表と世界的に有名な物理学者となり生き続けます。
 私生活では三人もの子をもうける一方で、杖、車椅子、電動車椅子、気管切開、瞬き+スペルボードでのコミュニケーションと、病状が深刻になっていき最後は一人での介護は限界に達してしまう。

 この間の幸せな時間、苦悩の時、励ます人々、様々な局面をこの映画は的確に描いていきます。幸せな時間を粒子の粗い八ミリフィルム的な映像で描く手法は、ヴィム・ヴェンダースの「パリ、テキサス」あたりが嚆矢だったと思いますが、この映画でも印象的に描かれています。

 この映画のヒューマンドラマとしての特徴は二つあります。
 一つは、出てくる人の悉くが善人或いは人格者であること。悪役は全く出てきません。しかし善意でスティーブンの家族に手を差し伸べても、教会合唱隊の先生ジョナサンチャーリー・コックス)やベテランの介護士エレインマキシン・ピーク)のようにかえって波風を立たせてしまう結果となるところが切ない。そのあたりをこの映画は上手く演出しています。その手際を説明してしまうと映画を観る楽しみが半減してしまうので、伏せておきます。

 二つ目はホーキング博士を全人格的に描いていること。全人格的という中には「障害者の性」という難しい問題も含まれています。ALSで筋肉が衰えるからと言って、性欲が無くなるわけでもないし、勃起・射精ができないわけでもない。だから三人もの子供を授かるのですが、三人目となるとスティーブンの病状も進行しており、ジェーンは母にさえ本当にスティーブンの子供なのか疑われてしまう始末。英国映画らしい節度ある演出で一切セックスシーンなどは出てきませんが、かの有名なホーキング博士の性欲・セックスの問題まで踏み込んだことで、この映画は深いヒューマンドラマとなり得たのだと思います。

 そして様々な苦難や悲しい出来事を乗り越えて、この家族は冒頭のシーンに辿り着きます。それは英国に生まれたものにとって最も名誉ある場所。その宮殿の庭でジェーンがしみじみと私たちの人生は何だったのだろうとスティーブンに語りかけ、彼が人口音声で答える短いセンテンスが胸に響きます。

「 ほら、あれを見て、僕たちはあの三つの命を作ったんだ。 」

 式典の場でのスピーチ、特に「そこに人生があれば、そこに希望がある。」という台詞も感動的ですが、それをはるかに越える感動的なシーンでした。

 そしてラストシーン。これほど素晴らしく、ウィットに満ちたラストシーンは全く予想できませんでした。「Time」という概念を生涯かけて研究してきたホーキング博士に送るに相応しい演出です。時間が巻き戻されていくのです。結果的に見れば人生の節目であった出来事が次々と逆回転で描かれていき、最後はあのシーンに立ち戻ります。思わず熱いものがこみ上げてきました。

 さて、俳優陣。先ほど述べたハリポタのルーピン先生以外、特に有名な俳優は出てきませんが皆堅実な演技でホーキング夫妻をサポートしています。そしてこの映画でオスカーを獲得したエディ・レッドメイン、原作者で妻のフェリシティ・ジョーンズ。素晴らしかったと思います。
 難病役というのは上手い役者にとってはむしろ簡単に高い評価を得られてしまうものですが、今回のスティーブン役は先ほど述べた性欲や嫉妬、怒り哀しみ、そして妻への感謝の気持ちまで、最後は殆ど目だけで表現する素晴らしいものでした。オスカーも納得です。

 スティーブンの好きだったワグナーの勇壮な音楽と、控えめな静かなバックの音楽の対比もとても良かったです。このあたりはいかにも英国風です。英国風といえば、最初に出た人口音声を聞いてジェーンとエレインが

「これはアメリカ語だわ」

と困ってしまうシーンもいかにも英国。思わず笑ってしまいました。プライドは今でも「大英帝国」の頃のままですね。

  70歳を超えたスティーヴン・ホーキング博士本人も、この映画を見て涙したといいます。ジェーンとホーキング博士は今でも友として親交があるそうです。決して単純なハッピーエンドでない深いドラマで、観るものの心に染み入る秀作だと思います。

評価: B: 秀作
(A: 傑作、B: 秀作、C: 佳作、D: イマイチ、E: トホホ)