ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

桂米朝師匠を悼む

Beichou
( 2015.3.21 神戸新聞朝刊より切り抜き )

 昨日の関西のほぼ全ての新聞の一面はこの方の訃報で埋め尽くされました。それほど関西の人間にはショックでしたし、関西人なら皆この人を敬愛していたといっても過言でしょう。
 戦後絶滅寸前だった上方落語を現在の隆盛に導いた立役者で、人間国宝の(三代目)桂米朝(本名中川清)氏が肺炎で他界されました。89歳の大往生でした。心よりご冥福をお祈りします。

 一昨日の夜ネットニュースで第一報を聞いた時は呆然としてしまいましたが、師匠と親交のあった高校の同級生のY君によると、周囲の関係者の間では

地獄八景亡者戯近日現地公演予定

と噂されていたそうで、今日の追悼番組で(五代目)桂米團治氏(ご子息)が

「仕事のない弟子がすべて枕元に集まった時に、本当に穏やかに眠るように旅立ちました。」

と記者会見で述べられておられました。安らかな旅立ちだったようで、それが我々米朝ファンにとってはせめてもの慰めです。それでも涙もろいさこば師匠はボロボロ泣いておられて、そのお姿が心に沁みました。

Rakugo

 

 本当にこれは嘘のような本当の話なんですが、実は先日妙に米朝師匠の落語が聴きたくなって昭和51年の朝日放送1080分落語会の「天狗さし」を聴いて、その日にFacebookの「昭和レトロ」グループに投稿しました。
 虫の知らせだったんでしょうか、私のような全く無関係のものにも知らせてくださるとはなんと律儀なお方だったんでしょう、と言えば「そんなあほな」とあの口調で言われそうですが。。。

 そして休日である今日の朝刊は予想通り、追悼記事で溢れておりました。その中でも「上方芸能」発行人木津川計氏の文章が読み応えがありました。氏は米朝さんがおられなかったら

1: 上方落語の話芸水準が今日ほど高まらなかった。
2: 品のある大阪弁への無理解が解消されなかった。
3: 芸人性と知性を結びつけた落語家を不在にした。
4: 古典落語の掘り起こしに収穫を見なかった。
5: 活字落語での伝承が不作に終わった。


だろうと述べておられます。

 全く同感です。米朝さんの抜群の集客力は話芸水準が高く、品のある大阪弁を駆使できたからこそだったと思います。そして落語家になる以前、東京で政岡容(いるる)氏に師事し、落語を徹底的に研究されていただけあって、所謂四天王桂米朝、三代目桂春團治、故笑福亭松鶴、故桂文枝の四人の中でも際立った学究肌・理論家で、筆も立った方でした。

 それだけに弟子にも厳しく、若手が高座を降りてボソッと寸評するその厳しい言葉は

米朝の袈裟切り

と呼ばれて恐れられていたそうです。そんななかで枝雀吉朝という「米朝」の名跡を継げる実力のあった愛弟子を相次いで失ったのは本当に辛かっただろうと思います。

  そして晩年は、病院から「おかえりなさい」と言われるほど、圧迫骨折等で入退院を繰り返されておられ、私たち関西人も落語を聴く機会は殆どなく、ラジオでお声を聞くことができる程度でした。最後はもう衰弱されて声も出なくなっておられ、故郷の姫路を懐かしがっておられたとか。落語家の命である声が出ないのはさぞお辛かっただろうと思います。

 謹んでご冥福をお祈りします。今頃あの世で掘り起こした最大のネタ「地獄八景亡者戯」で大いに座を沸かせておられるでしょう。

 別のFacebookの友人の情報ですが、追悼番組が下記の如く予定されています。

3/21 関西TV: 10:50〜11:45 抜け雀・蔵丁稚
3/23 毎日放送MBS) 1:00〜2:17 地獄八景亡者戯
3/23  NHK(ETV) 15:00〜15:30 どうらんの幸助