ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

アメリカン・スナイパー

Americansniper

 今日は雨模様なのでHAT神戸の映画館と美術館でお昼過ぎまで過ごしました。映画はクリント・イーストウッド監督の最新作「アメリカン・スナイパー」を、県立美術館では先日の「チューリヒ美術館展」と共同開催の日本・スイス国交樹立周年記念「フェルディナント・ホドラー展」を観てきました。

 「アメリカン・スナイパー」は久々に「許されざる者」「ミスティック・リバー」「ミリオンダラー・ベイビーズ」等のダークなイーストウッドが戻ってきたな、という印象の重い映画でした。昨年10月に比較的賑やかでハッピーエンドの「ジャージー・ボーイズ」を観たばかりですが、本作は数年前主演のジェイソン・ホールが自ら持ち込んだ企画を暖めていたもので、途中映画の主人公であるカイル・クリスの突然の死という予想もしない事件を経ての完成となったそうです。

 今回イーストウッド監督が描きたかったのは、戦場への中毒とPTSDが家庭を崩壊させてしまいかねない恐ろしさ。同じテーマを描いた映画といえば、キャスリン・ビグローの「ハート・ロッカー」を思い出します。あの映画はイラク侵攻後の爆弾処理班の兵士が主人公でしたが、それでもアメリカ軍賛美だと言う意見がありました。ましてや今回は米軍史上最強、イラクでの対テロ掃討作戦で160人以上の敵を射殺した実在のスナイパー、カイル・クリスが主人公。
 どうニュートラルに描こうとしても、ハト派民主党)からは批判され、タカ派共和党)からは賛美されてしまうのは必然。おまけに実在の人物がモデルで、妻と子供二人の遺族がいるのであまり自伝からは踏み出せない。解説を読むと実際にはかなり問題のあった人物のようで、映画の中でも敵を「savage(野蛮人と訳されていました)」としか呼ばない点なども確かに問題はあります。まあそこをありのままに撮るのがイーストウッドの真骨頂なのですが。

 単に「映画」として観ると、モロッコでロケされた戦闘シーンはさすがイーストウッドと思わせる、短いカットで次々と畳み掛ける迫力のあるもので、アメリカへ戻ってからのPTSDに悩まされ続けるシーンとの対比が際立っていました。戦場シーンでいかにも現代だなあと思ったのは、片手にライフルを握りながらもう片手でアメリカの妻と携帯で電話しているシーン。
  そして最後の任務を終えて故郷に帰ってきているのに酒場でぼっとしているところに妻から電話がかかってきて、ああ、家に帰らなければいけないんだと気がつくシーンが印象に残りました。

 最後にエンニオ・モリコーネの「The Funeral」のトランペットの音色が高らかに鳴り響く中の追悼集会シーンは感動的ではあるのですが、あれを描いてしまうと、賛美映画となってしまうのは必定。遺族への配慮もあったと思いますが、

彼は2013年2月2日PTSDの元海兵隊員に射殺された

というテロップで終わり、あとはエンドロールと平行で流す、という手法でもよかったのではないかと思います。

 ただ、エンドロールを全くの無音で流すという鮮烈な印象を残す演出には本当に脱帽です。さすがイーストウッド、としか言いようがありません。

『 2014年アメリカ映画、配給:ワーナー・ブラザース映画
原題:American Sniper  R15+

スタッフ
監督:  クリント・イーストウッド
原作: クリス・カイル、スコット・マクイーウェン、ジム・デフェリス
脚本: ジェイソン・ホール

キャスト
ブラッドリー・クーパーシエナ・ミラー、ルーク・グライムス、ジェイク・マクドーマン、ケビン・ラーチ 他

ミリオンダラー・ベイビー」「許されざる者」の名匠クリント・イーストウッドが、米軍史上最強とうたわれた狙撃手クリス・カイルのベストセラー自伝を映画化。米海軍特殊部隊ネイビー・シールズの隊員クリス・カイルは、イラク戦争の際、その狙撃の腕前で多くの仲間を救い、「レジェンド」の異名をとる。しかし、同時にその存在は敵にも広く知られることとなり、クリスの首には懸賞金がかけられ、命を狙われる。数多くの敵兵の命を奪いながらも、遠く離れたアメリカにいる妻子に対して、良き夫であり良き父でありたいと願うクリスは、そのジレンマに苦しみながら、2003年から09年の間に4度にわたるイラク遠征を経験。過酷な戦場を生き延び妻子のもとへ帰還した後も、ぬぐえない心の傷に苦しむことになる。イーストウッド監督とは初タッグのブラッドリー・クーパーが、主演兼プロデューサーを務めた。

(映画.comより)』

 映画の冒頭、突入部隊を遠方の家屋の屋上からサポートするカイル・クリス。初の実戦で、彼がスコープに捕らえたのは、路上に出てきた母と息子。母は黒いアバヤ服の中に何かを隠し持っています。それを息子に手渡す時見えたのは明らかな爆弾。それを持って前進する子供に標準を合わせるカイル。部隊に無線連絡を取っても彼らは武器を確認できない。もし民間人を殺せば軍事裁判にかけられ只ではすまない。しかし判断はカイルに委ねられる。その息遣いが荒くなり、トリガーが引かれ、銃声が鳴り響く。

 斃れていたのは鹿。場面はテキサスの山の中に変わっていました。仕留めたのは少年時のカイル。父との始めてのハンティング。ライフルを置いて獲物に近づくカイルを父は叱り飛ばします。「ライフルは決して手放すな!」

 そこからカイルの成長譚が描かれます。弟を苛めていた少年を殴り飛ばすカイル。父の説教は「人間には三種類ある、羊、狼、そして番犬だ。」、そして今日のカイルは番犬だったのだからそれで良い、番犬になれと。いかにも南部らしい教育です、これが後年仲間を守ろうとするカイルの信念につながったことは想像に難くありません。

 そしてロデオ荒らしのカウボーイから卒業し、最も厳しいネイビー・シールズに志願して特訓を受けるカイル。このあたりは「愛と青春の旅立ち」を思い出させる演出。主演のブラッドリー・クーパーが自ら志願して肉体改造したという成果がこのあたりのシーンに活きています。そして酒場での妻となるタヤシエナ・ミラー)との出会いと結婚。そして突然起こった9.11事件。彼の愛国心が燃え上がる場面です。これにも批判は殺到したそうですが、あの頃のアメリカは実際アルカイダ憎しで燃え上がっていたのは事実でしょう。

 結婚式で招集がかかるという事態にも、平然と彼は引き受けます。たった3日間のハネムーンを終えてイラクへの初出征。
 そして場面は映画冒頭に回帰します。彼の狙撃銃は少年を一発で仕留めます。駆け寄る母親。彼女は爆弾を抱えて走り出し、部隊に向かって投げつけようとします。その母を冷静に仕留め、投げられた爆弾は力なく部隊の手前に落ちて爆発、部隊は救われます。

 これが「Legend」と言われるようになったクリスの初仕事でした。彼の思いはただただ味方を守ること。守れれば満足し、守れなければ悔恨の念に襲われる。只それだけ。相手は「savage」であり、原作では「私に罪があるというのならば神が裁くだろう」と平然としています。よく「神、家族、国家」と言いますが、彼にとっては「国家」が一番なのです。

 そして現代の兵役ミッションは一定期間で終了、或いは負傷すれば終了。平和なアメリカ国内に戻ることができます。しかし彼の思いは常に戦場で死の危険に晒されている仲間へと向いていきます。特にシリア人でオリンピック・メダリストであった相手の恐怖の狙撃兵・ムスタファ。1000M先からも味方を撃ち斃す男、あいつを仕留めなければ味方に平穏はこない、という思いは一日たりとも彼の頭を離れません。

 「あなたの身体は帰ってきても心は帰ってこない」

と嘆く妻。3回の「TOUR」で華々しい戦果を挙げてもムスタファは仕留められない。段々とPTSDで心を病んでいくカイル。新生児室で泣き続ける第二子を心配するあまり大声を上げて窓を叩き続けるカイル。BBQパーティで子供にのしかかり戯れる犬をみてパニックにかられ、犬を押さえつけて殴りかかろうとするカイル。

 どう見ても異常なカイルを心配して妻は精神科を受診させます。精神科医傷痍軍人と彼を引き合わせ、彼らの力になることでカイルは徐々に精神の均衡をとりもどしていきますが。。。

 最終の4th Tourでの激烈なミッションで彼の精神は限界に達し、戦闘の最中に何と彼は妻に携帯電話で「もうこれで終わりにする、家に帰り二度と戦場に戻らない」と誓います。爆音で妻に聞こえたかどうかは不明でしたが。。。

 この激烈なミッションの内容を語ってしまうとこれから映画を観る方に失礼ですので敢えて伏せますが、彼が真の「伝説」となる戦いであり、その熾烈なシーンは「ゼロ・ダーク・サーティ 」をも凌駕するほど。さすがイーストウッドと言う出来栄えで、特に砂嵐の凄絶さはどうやって撮ったんだろうと思うほど。もちろんCGもあるかとは思いますが、相当苛烈なモロッコロケだったのではないでしょうか。

 そして命からがら帰国した彼は何故かバーでぼんやりと酒を飲んでいます。そこへ心配した妻から電話がかかってきて、やっと「家庭へ戻る」というミッションを思い出すカイル。戦闘の狂気が個人をこれだけ蝕むのだという事を端的に表わした、演出の上手さが光ります。

 現実のカイルは伝説となった後で相当のトラブルを起こしていたようですが、冒頭でも述べたように映画ではそのことには触れず、同じくPTSDを負った元兵士に射殺された、と言うテロップが流れて、盛大な追悼集会で幕を閉じます。

 構想中に起こったこの事件により戦場PTSDの恐ろしさが余計に強く浮き彫りにされたことは、カイルにとっては不幸でしかなくても、映画にとっては更なる深化となる皮肉。ちなみにカイルほどタフな人間でも4回しか持たなかったくらいですから、カイルの弟は立った一回のミッションで離脱してしまいます。

 クリント・イーストウッドもタフな人で、アメリカ映画界と言う熾烈な世界を堂々と生き残ってきました。「グラン・トリノ」で自らの映画人生にかたをつけたかに見えましたが、その後もその勢いはとどまるところを知りません。

 本作においても彼は健在でした。彼が撮ったからこそ賛否両論は渦巻いても、米国での公開は続くでしょうし、映画は全世界に及ぶでしょう。日本でも、小泉時代の中東への自衛隊派遣はかなりの数のPTSD患者を出したと言われています。安部政権が推し進めている集団自衛権にもきな臭い匂いがしますし、ISILとの世界の戦いは泥沼化しそうな様相です。

 賛否両論が出るのはやむをえないとは思いますが、殺し合いが蝕む疲弊と狂気を今一度考える参考になる映画ではないかと思います。

評価: 秀作:B
(A: 傑作、B: 秀作、C: 佳作、D: イマイチ、E: トホホ)