ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

優雅なのかどうか、わからない / 松家仁之

優雅なのかどうか、わからない


  松家仁之氏の第三作「優雅なのかどうか、わからない」です。面白い題名ですね。先日「沈むフランシス」を読んだ際にもうこの本が出版されていることを知り、連続して読んでみました。

 鮮烈なデビュー作「火山のふもとで」の見事な文章は新人離れしたものでしたが ”頑張って書きました” 感が否めませんでしたし、第二作「沈むフランシス」には、前作が大変な話題になったことで相当のプレッシャーを感じておられたのでしょうか、かなり肩に力が入っている印象を受けました。

 それに比べると、本作はようやく肩の力が抜けて滑らかにペンが進んでいます。物語の流れも締めるところは締め、流すところは流す余裕もできて随分こなれているなあと思いました。
 もちろん折り目正しい、そして柔らかで美しい文章は健在であり、「火山のふもとで」で見せた建築関係の薀蓄もまた存分に披露されています。

 そして本作で、ついに主人公の職業を自分の土俵に持ってきました。松家氏は長く新潮社で編集長を務められた経歴をお持ちですが、まさにそういう編集者である中年男性の物語です。月刊誌への連載ということで、失敗や原稿落ちは許されないという事情もあったのでしょうが、結果は吉と出たようです。

 物語は

「離婚をした。」

というそっけない一文で始まります。

 離婚に伴うどろどろとした描写はほとんどなく、あっさりと住みなれたマンションから出て行く主人公。48歳にして再び独身になった彼は、吉祥寺にある古い一軒家を渡米することになった老婦人から借り受け、建築家の友人に依頼して自分好みに改装を始めます。そして飼い猫だったふみとともに優雅な独身生活を始めます。このふみという猫の描写もなかなか秀逸です。

 そして元妻はMBAを取得するほどのキャリアウーマンで、別れても自活するのに全く問題はありません。

 息子は絵に描いたような英才でさっさと渡米して研究生活を送っています。両親の離婚にもさして動揺せず、メールでSkypeの使い方を父に教えて自分の「恋人」を紹介し、「そういうことだったのか」と父を唖然とさせます。

 そして主人公の借り受けた家の持ち主であった老婦人「哀しみの王国の女王陛下園田芽亜利はその名の如くハイカラで上品な女性で、ある秘め事の名残を残してアメリカに住む息子夫婦の元へ旅立ちます。本作の中でもとりわけ魅力的な女性であり、そのメールの文章もとても優雅です。

 かくのごとく、出てくる登場人物それぞれに「優雅」な面を持ち合わせている人ばかり。いつもいつも優雅であり続けるなんて有り得ないでしょうけれど、あえて今回は人物の奥底へ踏み込みすぎなかった「寸止め」感がとても心地よかったです。

 さて、そんな気楽な一人暮らしは、かつての浮気相手の恋人とばったり再会することでにわかに波風が立ち始めます。

気ままな一人暮らし。うらやましいかぎりだなあ。これを優雅と言わずして、なんと言う

 まわりにそう言われることに違和感を覚えつつも彼女との再接近に「妄想」を膨らませ続ける主人公ですが、そんな彼の前に彼女の父親が障壁となって立ちはだかります。と言っても頑固親父に猛反対されるわけではありません。急性心筋梗塞を起こした後、術後譫妄から徐々に認知症が進行してしまうのです。このあたりの描写は専門家の私から見てもよく書けていると思います。

 彼女と再び結ばれることは義父の介護をすることとセットになってしまう。彼はどういう決断をするのか?そのあたりの急展開と結論は伏せておきますが、最後はこういう文章で結ばれます。

優雅だなんて、もう言われたくはないんだ。」

 優雅であることは決して悪いことではありません。例えば古家の描写や改築の様子、周囲の自然描写などは良い意味で「優雅」であり、それらは人の情操を養う上でとても大切なものです。一方でいつ襲ってくるかもしれない全く優雅ではない現実の問題に対処できてこそ、その人の価値は問われることも事実でしょう。

 そんな普遍的な生活の情景を描いた本作は、過去二作に比べれば内容は凡庸かもしれないし、人間心理への踏み込みが足りないと言われれば、それも否定できません。しかし再度言わせていただくと、私にはその「寸止め感」が前二作以上に心地よく楽しく読めました。今後も楽しみな作家です。