ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

沈むフランシス / 松家仁之

沈むフランシス

 「火山のふもとで」という瑞々しい小説でデビューし話題を呼んだ松家仁之の二作目「沈むフランシス」です。「火山のふもとで」はてっきりレビューしていると思っていたのですが、検索しても出てこないのでどうやらブクレコだけだったようです。次記事に再録したいと思います。

『 森をつらぬいて流れる川は、どこから来てどこへ向かうのか――。『火山のふもとで』につづく待望のデビュー第二作。北海道の小さな村を郵便配達車でめぐる女。川のほとりの家屋に暮らし、この世にみちるさまざまな音を収集する男。男が口にする「フランシス」とは? 結晶のまま落ちてくる雪、凍土の下を流れる水――剥き出しの自然と土地に刻まれた太古の記憶を背景に、二人の男女の恋愛の深まりを描きだし、五官のすべてがひらかれてゆくような鮮烈な中篇小説。(AMAZON解説より) 』

 さて本書、不思議なタイトルですが、この題名の意味は小説の最後で明らかとなります。前作は女性の名前を呼び捨てにすることで最後の種明かしの伏線にしていましたが、この小説ではこの題名自体が唯一といえば唯一の謎かけになっています。

 冒頭でいきなりうつぶせになった死体が水路を流れていく情景が淡々と描写されます。この死体についてのミステリなのかな、と思わせて物語は幕開けを告げます。
 しかし、その死体についての話はなかなか出てこない。東京から移り住んできて非正規社員として郵便配達をする女性と川沿いに住む謎の男の恋愛と北海道のおそらく東北部地方(Googleで調べたが出てこないので架空の街なのだろうと思います)の四季の豊かな自然描写が延々と続きます。

 あいかわらず達者な文章を書かれるな、と文章の上手さには感心します。前作では浅間山のふもとの情景描写が素晴らしかったのですが、本作も北海道の厳しい自然や夜空の降るような星の描写がとても美しい。
 そしてもどかしいほど控えめだった前作の恋愛模様から一転して今回は大胆な性描写の連続で読者を驚かせます。ちなみに本作では犬は出てこないのですが、カバー写真には犬が写っています。ひょっとしたキタキツネかもしれませんが、これが犬なら何を意味するのか、読んでみてのお楽しみです。

 さて、ここからが私のレビューの本題(笑。実は主人公の男はかなりのオーディオマニアなのです。かく言う私もオーディオの出てこないオーディオブログを書いておりますし、SNSでもフレンドの半数以上はオーディオファイルの方々です。

 そのオーディオファイルの目から見ても、この男の入れ込み具合は尋常でないのですね。自宅近くの水車を利用した水力発電機の管理が仕事なのですが、その男曰く

「うちの電気はここでつくったものをそのまま使わせてもらっている。まじりっけなし、生まれたての電力」
「オーディオっていうのは、電気の純度しだいで音質がまったくちがってくるんだよ」
「壁のコンセントは専用のものを使った方がいいし、家の中でも上流の電気をとりこまなければ駄目なんだ」
「---。だからうるさい人になると壁のコンセントなんか使わずに電柱から直接電気を引いてくるわけ。いや、笑うけど、自分の耳で聴きながら確かめてきたことだから、ほんとにそうなんだ」
発電所から直接電気を引いてきて、その電気でオーディオを鳴らせる環境は、日本ではそうないと思う」→ ないない(笑。

 オーディオに興味のない方には全く理解できない世界だと思いますが、電源はオーディオの命。だから、ここに書かれていることはマイ発電所を持つという極端な設定を除けば頷けることばかり。かくいう私もコンセントは交換していますし、アキュフェーズ社のクリーン電源で言わば「自家発電」していますし、はたから見れば異様な世界なのかも、と自分を見直すきっかけになりました(^_^;)。

 そしてこの男がオーディオマニアであることの真骨頂は「音楽」でなく「」のリアルな再生に血道をあげていることです。ラッコが貝殻を割る音、イタリアの教会の鐘の音、アイスランドの火山の音、ヤンキースタジアムの観客の大合唱、琴光喜朝青龍を負かした時の場内の沸きかえり座布団が乱れ飛ぶ音、もうなんでもこい。主人公の女性に

「ふだん聞いている現実の音は、どうしてこの音ほど真に迫ってこないのだろう」

と言わせるほどのリアルな録音と再生ができるこの男、お主やるな、としか言いようがないですね。

 オーディオ自体の具体的な固有名詞が出てこないこと、ルームチューニングについては触れられていないこと、セッティングについてもおざなりな説明しかないことより、著者が実際にオーディオファイルなのか、それとも綿密な取材の成果なのかは分かりませんが、私はこのあたりを存分に楽しませてもらいました。

 一方でストーリー自体は率直に言って肩透かしを食らった感が否めなません。冒頭の死体の件にしても、二人の男女の成り行きについても。最後の「沈むフランシス」にはそれなりに感慨深いものはありましたが、どちらかと言えば「火山のふもとで」の方が小説としては優れていると思います。

 というわけで氏の闊達な文章を楽しみたいという方、オーディオに興味のある方にはお勧めだが、ストーリー自体にはあまり期待しないでお読みください。