ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

シェル・コレクター / アンソニー・ドーア著 岩本正恵訳

シェル・コレクター (新潮クレスト・ブックス)

 久々に書籍の紹介です。アンソニー・ドーアというアメリカの若手現代文学作家が20台の若さで初めて発表した8編の短編集です。

 ブクレコやFacebookで紹介されていて静謐な海の物語のように思われ、興味を惹かれて買ったのですがさにあらず、これが意外な難物でした。岩本正恵さんの邦訳はとても素晴らしいのですが、どういうわけか一つの物語を読み終えるとどっと疲れてしまい、1、2日休憩してから次、という具合で結構な時間がかかってしまいました。

「 ケニア沖の孤島でひとり貝を拾い、静かに暮らす盲目の老貝類学者。だが、迷い込んできた女性の病を偶然貝で癒してしまったために、人々が島に押し寄せて…。死者の甘美な記憶を、生者へと媒介する能力を持つ女性を妻としたハンター。引っ越しした海辺の町で、二度と会うことのない少年に出会った少女…。淡々とした筆致で、美しい自然と、孤独ではあっても希望と可能性を忘れない人間の姿を鮮やかに切り取った「心に沁みいる」全八篇。「ハンターの妻」でO・ヘンリー賞を受賞するなど、各賞を受賞した新鋭によるデビュー短篇集。 (AMAZON解説より) 」

 私は気に入った英米文学の作品は出来る限り原書でも読むことを心がけてきたのですが、長年続けていると、スコット・フィッツジェラルドのような華麗な修辞を駆使したワンセンテンスの長大で文法的にも難しい文章は例外としても、アメリカの現代文学は年々センテンスが短くなり文法も単純化してきた、と感じます。
 最近では映画化されて話題を呼んだCormac McCarthyの「The Road」などはその極致でしょう。なにしろ決め文句が「Okay.」でしたからね。

 本作品はもちろん邦訳でしか読んでいませんが、その訳文から察するに、この作者も同様な傾向を持ちつつ新しい境地を開拓した感があります。
 どの物語も短く単純なセンテンスを多用して物語が綴られているのですが、その文章を執拗に積み重ね繰り返していくうちに、外に向かって発散できないうつ熱を溜め込んでいきます。例えば表題作「貝を集める人」からこんな文章。

「 そしてひと月後、小屋にはふたりのジムがおり、夕方のチャイにバーボンを注いでいた。彼らの質問に答え、ナンシーとシーマとジョシュについて話した。ナンシーは殻らの独占取材に応じたという。どんな記事になるのか想像がついたー真夜中のセックス、青いラグーン、危険なアフリカの貝の薬、秘薬を知る盲目の導師とそのオオカミ犬。世間の好奇の目にさらされるのだ。貝だらけの小屋、あわれな悲劇。(p36)」

 それはやがて読み手に息苦しさを覚えさせるような展開へと発展して行き、少し長いセンテンスで思い切ったチェンジオブペースも見せてくれます。例えばこんな文章。

「そのとき、体が彼を見放した。ぜいたくなほど鮮やかな場所に、自分が溶けてゆくのを感じた。水平線に暗くたちのぼる雲の中に入り、星は広がりで強く輝き、樹木は砂から芽吹き、生きている海は引いていった。そのとき彼が感じていたのは、凄惨で冷酷な孤独だった。(p42)」

 という風に容易な流し読みを許してくれません。そしてその対価として作者はほのかな光の見えるラストシーンを用意します。表題作の最後はこんな文章で結ばれます。

「「美しい」彼はつぶやいた。足元では巻貝が這いつづけていた。ゆく手を探りながら、貝殻の家を引きずり、砂に体を沿わせ、まわりに渦巻く自分だけの光のない水平線に向かって進んでいった。(p45)」

 そして本書の作品群には様々な対立軸が描かれています。
 喜びと哀しみ、怒りと絶望、愛と倦怠、野心と諦観、出会いと別れ、霊能力者と凡人、熱気と冷気、アメリカとアフリカ、白人と黒人、野生と文明、毒と薬、、、
 そして燃え上がるような生命の煌きと衰え行く人間の諦観。

 これらの対立軸を主題として、自然科学、博物学、地誌学の該博な知識を無理なくちりばめ、それらが時には共鳴し時には反発しあいながら見事にラストシーンに収束していく構成は、「20台の処女作品とは思えない並々ならぬ力量の持ち主」という多くの書評が頷ける内容でした。

  ちょっと期待と違っていたのは、冒頭に述べたように「シェル・コレクター」という題名とは裏腹に海の中の物語がなかったこと。ダイビングを趣味としていた私としては少し残念でした。しかし全編を通じて自然への畏敬の念と人間の営みの哀しみをきっちりと、しかも最後は肯定的に捉えているところには共感しました。
 
 大分長くなってしまいましたので、各編の寸評をあと少しだけ。

貝を集める人
   ケニア沖の孤島、盲目の老貝類学者、イモガイの毒の思わぬ効果がもたらす騒動と悲劇。孤島の老人に安息の日々は戻るのか。私もダイビングの時に注意されました、「貝殻を集めるのはいいけれど、二枚貝のもう開いているやつだけにしないと危ないよ」、と。

ハンターの妻
 モンタナの雪深い山中。手品師の助手をしていた女を妻にした男は、彼女の持っていた思わぬ霊能力に悩むことになる。モンタナの自然の厳しさと妻の霊能力の描写が光る佳篇でした。

たくさんのチャンス
  オハイオ州の山中からメイン州へ引っ越した家族の現実と、少女が経験するひと夏の片思いの恋。著者が得意とするフライフィッシングを上手く物語りに取り込んだ小品。成功するはずのない引越転職の末の父親の姿も哀しみを誘います。アメリカンドリームなんて言いますが、たくさんのチャンスなんてそんなに転がっているわけないじゃないか、と。しかしかすかな希望の光がラストにはさしこみます。美しい物語でした。

長いあいだ、それはグリセルダの物語だった
 砂浜で綺麗なサクラ貝を見つけたような気持ちにさせてくれる小粋な小品。美しく奔放な姉グリセルダは大道芸人と駆け落ちしてアイダホ州の田舎町を離れ、世界を飛び回って興行し、旅先から葉書を投函する。取り残された妹ローズマリーは自宅で母を看取り、平凡な男と結婚しほどほどの生活を送る。そんなある日街にグリセルダが興行に戻ってくる。この物語の主人公はグリセルダだったのかローズマリーだったのか。

七月四日
 アメリカ対ヨーロッパ。本人たち大真面目、周りから見れば滑稽な釣り対決。アメリカをコケにしているようで、最後はきりっと締めてくれるユーモラスな小品。

世話係
 アフリカをテーマとしたこの作品と「ムコンド」がこの短編集でも際立った力作だと思います。リベリア。昨今のエボラ出血熱騒動で話題になるずっと以前からこの地帯は扮装と貧困にあえいでいました。そんな国で地獄のような体験をした青年がアメリカへ渡って新しい暮らし場所を見つけるのですが、トラウマは彼を捉えて離しませんでした。砂浜に打ち上げられた鯨の心臓を集めて土の中に埋める行為は何を意味していたのでしょうか。読むものそれぞれの心に深く静かに染み入るような物語です。

もつれた糸
 これも作者得意のフィッシングを題材とした物語。主人公はある失敗にあせりまくりますが、はたから見れは自業自得。文章は真面目一徹で展開されるのですが、まあ息抜き的な小品。

ムコンド
 短編とはいえ、とりを飾るにふさわしい大作です。オハイオ州自然史博物館からタンザニアに出張した男の前に現れた、走る女ナイーマ。その野性味溢れる魅力の虜になる主人公。しかしどうやっても彼女をものに出来ないまま日々は過ぎていきます。そして彼が見出した方法は彼もアフリカに同化すること。最後の一歩を踏み出した男をナイーマは受け入れます。しかし連れて行かれたアメリカのオハイオナイーマにはとても適応できる場所ではありませんでした。彼女が去り落胆した日々を送る主人公のこんな一文が涙を誘います。最後に記しておきましょう。

「彼は彼女の夢を見た。彼女の背に巨大な輝かしい蝶の羽が生え、地球のまわりを飛ぶ夢を、ハワイのカルデラから立ちのぼる火山雲や、イラクに投下された爆弾のもうもうとした煙や、グリーンランドの空で揺れる透明な布のようなオーロラを撮影している夢を見た。(pp273-4)」