ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

2つ目の窓

Stillthewater
 河瀨直美監督の新作「2つ目の窓」を観てきました。彼女も最早世界的に評価の高い監督になっておられますが、私と同じ奈良県出身で「萌の朱雀」「殯の森」などの作品は奈良県を舞台として選ばれています。

 じゃあ同郷の好でファンなのかと言われると微妙なところで、正直なところ良い映画と好きな映画は別、肌合いが合わない、という印象でした。今回は舞台が奄美大島というところに興味を惹かれ、シネリーブルまで足を伸ばしてきました。

  奄美大島雄大で苛烈な自然、そしてその自然と折り合いをつけながら営々と営まれてきた奄美の人々の暮らしが、過不足なくしっかりと描かれているところはさすがだと思いました。
 しかしストーリー展開とその内容は、やはり私が期待するものと河瀨監督の目指すものと微妙にずれている感じがして、今回も(と言っても河瀨監督作品を紹介するのは不思議なことに初めてですが)心底納得できるものではありませんでした。

 ただ、それを差し引いても本年見た邦画作品の中では上質で、映画ファンの鑑賞に堪える作品だったと思います。

『 2014年 日本・フランス・スペイン合作、配給: アスミック・エース

スタッフ
監督・脚本・編集 : 河瀨直美

キャスト : 村上虹郎、吉永淳、杉本哲太松田美由紀渡辺真起子村上淳榊英雄常田富士男、他

 カンヌ国際映画祭・公式上映作品。世界が絶賛した河瀨直美の最新作にして最高傑作が、日本公開へ。
 神の島・奄美大島を舞台に、二人の少年少女の初恋と成長を通して描かれるのは、限りある時間の中で人が持つべき「生きる覚悟」と、人生に真摯に向き合う者たちの愛と無常。魂が浄化されるような壮大な自然の中で、生きとし生けるものすべてに宿る「希望」が胸を打つ。この夏、「映画の力」をもう一度、信じたくなる―。

 奄美大島。それは、生命のめぐる島。島のまわりをサンゴ礁が縁取る温暖な気候風土の中に暮らす人々。
 島に暮らす界人(かいと)は16歳。ここ奄美に古代から伝わる八月踊りの満月の夜、その月明かりのもと、海に浮かぶ男の溺死体を発見する。動揺する界人の様子を見ていた同級生の杏子がいた。
 島の人の相談を受けるユタ神様として人々から慕われてきた杏子の母・イサは、大病を患っており遂に医師に余命を告げられる。「神様も死ぬんだね」行き場のない想いを界にぶつける杏子。界人は、「神様は死なないよ」と虚勢を張るが真実味はない。奄美の自然の中、ふたりはただ寄り添う。
一方で思春期の界人は、恋人のいる母・潤の女としての側面をどこかで穢らわしく想っていた。そして、あの溺死体の男…。
界人はうまく言葉にできない気持ちを抱えながら、幼いころに離婚し東京に暮らす父に会いに行く。しかし、つかの間の父子の時間を過ごして東京から戻ってきた界人だったが、潤は忽然と姿を消していた…。 ( シネ・リーブルHPより) 』

 以下ネタバレがありますのでご了承ください。

 映画の冒頭。台風が近づいているらしい奄美大島の海岸。垂れ込める厚い雲。うねる波頭、荒波、強風。次のシーンは一夜明けた海岸。波風はおさまり、打ち寄せられた海草が散乱している。連続してシーンは転換していきます。山羊の血抜きをする老人。島の八月祭り。雲間に光る満月。そして刺青の背中を見せて海岸に浮かぶ男性の死体。

 見事なカメラワークと手際のよい編集でテーマを暗示する手腕はさすが河瀨直美だと思いました。

 ところがそこからストーリーに入っていくと、私の期待と映画のテンポが微妙にずれていくのです。長回し・長台詞シーンの多用。主人公である無口な男子高校生の演技の間の取り方。彼女の作品への好き嫌いはこのあたりで分かれるのだ、と彼女の作品を見るたびに思います。

 とは言え、を扱った主題は相変わらず重く、観る者への訴求力は強いものがありました。

 界人(かいと、村上虹郎)は離婚した母と数年前に内地から奄美に移住してきたいわばよそ者。プールでは泳げるけれど奄美の海に入るのはベトベトするので無理。そして母が男にだらしないことに鬱屈した感情を抱き、恋人にセックスを要求されても応えることができない。

 母(渡辺真起子)は息子のことを心配はしているが、働くのに忙しくなかなか界人との時間が持てない。その上女盛りの体をもてあますわけにもいかず、誰かを家に引き込んではセックスしているようである。

 そのことを理解できない界人は東京まで彫師の父に会いに行くが、離婚の原因を問い詰めてもなんとなくはぐらかされてしまう。

 その、界人の恋人である女子高生杏子(吉永淳)は、ユタ神様である母イサ(松田美由紀)が病気で余命幾ばくもないことを分ってはいるが、「死」というものに対しての実感や覚悟ができないでいる。一方で煮え切らない態度の界人との恋に苛立っている。

 その母イサ(松田美由紀)は

「内地ではできるだけ生かせておくことが正しいらしいけど」

と言いつつ延命を拒み自宅に帰ってくる。

 カフェを営む父(杉本哲太)はそんなイサのために樹齢数百年のガジュマルの樹が見える部屋に介護用ベッドを運び込む。

 このようなバックグラウンドが徐々に明らかにされ、徐々に物語は微熱を帯びたように熱くなっていきます。

 そしてしばらくは小康を保っていたイサにもついに最期の時がやってきます。希望通り自宅で父と娘と周囲の人たちに見守られながら。

 魂が三線の調べと島唄、踊りに見送られて徐々に体から抜けていくシーンはとても素晴らしかったし、松田美由紀の演技は見事だったと思います。

 ここがこの映画の一つの大きな山でした。この事実を乗り越えた杏子は界人に

「セックスして」

とはっきりと懇願しますが、まだ自分の問題が片付いていない界人はそれに応えられません。

 終盤でついに界人の母への鬱屈した感情が爆発し、ついで杏子の界人への感情も爆発し

「あなたには覚悟がないのよ!」

と激しくなじります。そんな状況の中、母は連絡が取れなくなります。台風の風雨が強まる中、懸命に母を探す界人。

 結局のところ物語は収まる所へ収まり、界人には母を守る覚悟ができ、マングローブの林で界人と杏子は。。。

 となるのですが、残念ながら、イサの死に比べると、この母と子の和解には唐突で拙速な感が否めず、共感できるところが乏しかったと思います。

 ところで「2つ目の窓」とは一体なんだったんでしょう?最後のシーンが鍵なのかな、とは思いますが具体的に窓については何も語られていません。おそらくラストシーンが鍵なのだとは思いますが、見る人それぞれに考えるべきことなのでしょう。

 さて、べたな話題を拾いますと、主人公の村上虹郎村上淳UAの間に生まれた息子さんです。その村上淳が父親役で出演しており、「お前母親に似てるな」と言う台詞があるのはご愛嬌。あんたにだろ(笑!、とつっこんでしまいました。

 あと、この物語のキーパーソンとなる老人役が、久々に見る常田富士男さん。顔の皺に齢を重ねた風格をにじませ、髭だらけの顔から覗く目は優しい。そしてあの朴訥とした台詞回しも健在。
 とは言うものの、こういう老人に人生を悟ったような語りをさせるのは少し凡庸な演出のような気がします。ただ、後で述べる山羊の血抜きのシーンは大変だったと思いますが、しっかりとこなされていました。

 さて、内容とは直接関係はないのですが、極私的な意見を良い点と悪い点、二つ挙げたいと思います。

#1: 山羊の屠殺シーン: 二回出てきますがおそらくどちらも本当に行っている、と思います。少なくとも最初のシーンは明らかに剃刀で山羊の頚動脈を断ち切っていました。フランス・スペインとの合作にもかかわらず「動物虐待は行っていません」というテロップが流れない事からも推測できる、と思います。

 人間が食するために「生き物の命を頂く」という行為を描くことはとても大事なことであり、英断だったと思います。犠牲となった山羊に感謝。

#2: 潜水シーン: これも二回出てくるのですが、波のある珊瑚礁の海にゴーグル・シュノーケルをつけさせず、ましてや制服全裸で潜らせるという行為は言語道断。ひとつ間違えば大怪我、さらには死に直結する行為です。それほど珊瑚は人間の肌にとって危険だし、水面を馬鹿にしているととんでもないことになります。

 海を、ダイビングを愛するものから言わせてもらえば、いくら映画芸術のためとはいえこんなシーンは絶対に撮ってはいけない。とは言え、このシーンがないと成り立たない映画である事は事実。それならもう少し安全な撮影ポイントはあったと思うし、最低限ゴーグルはつけさせてあげたい。それともCG合成だったのでしょうか?

 とにかくあんな風に安易に珊瑚の海に潜ってはいけません。

 というわけで、優れた映画であることは言を待ちませんが、なかなか河瀨監督の映画に自分の波長を合わせるのは難しいな、と思った次第です。

評価: B: 秀作

(A: 傑作、B: 秀作、C: 佳作、D: イマイチ、E: トホホ)