ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

渋江抽斎 / 森鴎外

渋江抽斎
 Kindle Paperwhiteを買ってよかったと思うのは、青空文庫をどんどんダウンロードして読めることです。もちろん無料。そこで、最近はずっと森鴎外を読んでいました。

 代表作「高瀬舟」「山椒大夫」「阿部一族」あたりを手始めに、ドイツ三部作(「舞姫」「うたかたの記」「文づかひ」)、「興津弥五右衛門の遺書」をはじめとする歴史小説群等々を読み続けました。

 実はこれらは復習を兼ねたウォーミングアップみたいなもので、本当にチャレンジしたい小説は「渋江抽斎」でした。それを先日ついに読み終えました。読みたかった理由や経緯などを含めてブクレコにレビューをアップしたところ、文体診断でうれしいことに「森鴎外タイプ」をいただきました。

 そこで、手抜きといわれそうですが、その文章をそのまま掲載することにしました。どうかお読みくださいませ。

『 長年の宿願であった「渋江抽斎」を「完読」した。それだけのことで感無量である。というくらい大変な作品なのである。

 事は高校時代に遡る。ある国語の老教師が「鴎外の神髄は渋江抽斎にある。読んでみてもちっとも面白くないかもしれないが、いつかその滋味に気づいてもらえれば嬉しい」とおっしゃった。それで多少なりとも鴎外をかじっていた私は生意気にもチャレンジしてみた。
 高をくくっていた感は否めない。なにしろわたしが知っていた鴎外の歴史小説は短編ばかりで、読むのをそれほど苦労と思わなかった。しかしこれは119章もある大層な長編だったのだ。私は半分も読み進めずに見事に玉砕したのであった。

 何しろ「観照」、言い換えれば「退屈極まりない史実の羅列」である。そして時は幕末から明治にかけてである。人名にしても幼名、本名、字、号まで何種類も一人の人が持っている。それが主人公のみならずその先祖から妻、子供、親類縁者、各方面の師匠、仲間、弟子、食客、果ては近所の人まで徹底的に調べつくして羅列していくわけである。もう漢字を追っていくだけで青息吐息である。

 おまけに主人公が思いっきり地味である。なにしろ鴎外が武鑑を調べる必要がありその際に弘前医官であった「渋江道純」という人物を知り、もしかしたらこの人と「抽斎」が同一人物ではないかと疑問を持ったところから話が始まる、というくらい無名の人物だったのである。

 鴎外は八方手を尽くしてそんな人物の子供を探し出し、墓まで探しまくる。そしてここまで記述する必要がどこにある?というくらい執拗に事実を並べ続けていく。おまけに得意のドイツ語の単語をあちこちにちりばめてあるので意味が分からない。例えば「アマトヨオル」。今なら「アマチュア」のことだなと理解できるが当時はチンプンカンプンであった。

 今回読んでみてその読み進めることの大変さはやはり変わるところはなかった。しかし思っていたよりも鴎外自身の地口が多いことは記憶と違っていた。もう少し柔らかく書いてくれていたら司馬遼太郎風の面白い小説になっていたのに、という恨みは残った。

 そしてもう一つ驚いたことがある。これは前回そこまでいけなかったので知らなくて当たり前なのだが、119章中の第53章でなんと渋江抽斉は志半ばにしてコロリとコロリ(コレラ)で死んでしまうのである。「ええっ!何これ?」である。

 その後は抽斉没後第一年から第五六年まで、最後の妻であった五百(いお)と子供たちを中心に抽斎と関係のあった人々のその後がこれまた丁寧に語られる。ところがこれが意外に面白いのである。

 妻五百は学があり、しかも気骨のある人だった。そして抽斉の元に嫁いだのは五百自身の意思であったことが終盤になって明らかにされる。まるで「安井夫人」のようであるが安井夫人とは違い、抽斉を尊敬しただけではなく生家を守るための深謀遠慮があったそうである。また抽斉の元に強盗が押し入った時に竜馬を助けたおりょうばりの活躍をする場面も出てくる。

 抽斎の子供では、鴎外執筆時存命で抽斎の多くを教えた教育家氏、長唄の師匠杵屋勝久こと娘の(くが)の二人に多くの頁が割かれている。この二人の生涯もまた波乱万丈で面白いのだが、一番興味を惹かれたのは次男優善(のちの(まさる))であった。

 優善は不行跡の子であった。稀代の書蒐集家で蔵書三万冊と言われた抽斎の蔵書を散逸させたのはこの男が遊興費のために持ち出したことが大きい。その不行跡のため義母五百をして死を以って償うこと已む無しと覚悟を決めさせたほどであった。ところが人生とはわからないものである。維新を境にこの男が最も早く出世していくのである。そして義母五百を愛し、維新を境に没落した渋江氏を陰に陽に支え、最後には渋江氏に復帰した。こういう男がいてこそ、史伝は俄然面白くなるのだ。

 とにもかくにも鴎外は同業で志向を同じくする抽斎を尊敬してやまなかった。

「抽斎が哲学文芸において、考証家として樹立することを得るだけの地位に達していたのに、わたくしは雑駁なるヂレッタンチスムの境界(きょうがい)を脱することが出来ない。わたくしは抽斎に視て忸怩たらざることを得ない」

とまで述べている。わたしなんぞから見て雲の上の存在で医官としても小説家としても頂点を極めた森林太郎鴎外をしてここまで言わしめるほどの人物であったのかどうか、この書を読んでも正直なところピンとこない。

 しかし、鴎外はそう感じそう信じたのだ。そして実に実直に抽斎の生涯を追いかけたらこのような堅苦しくも愛すべき書が出来上がってしまった、というところなのだろう。そして渋江抽斎という歴史の荒波の中に埋没していた人物は後世に名を残すところとなった。

 ありのままにこの書を受け入れよう、と今は思える。もう故人である高校の先生に「ありがとうございました」と謝したい。

 それにしてもこの時代、人は実に簡単に死んだ。生まれてすぐ死んだ。乳児のころにも死んだ。成長しても労咳で二十歳を前にして死んだ。運良く大人になっても疫病で死んだ。老いては卒中で簡単に死んだ。医学の発達による新生児死亡の激減、感染症の治療が如何に飛躍的に平均寿命を延ばし日本の人口爆発を生んだのかが良くわかる資料としても一級である。

 そう言えば私の文章はよく「森鴎外タイプ」と出る。武骨で生真面目で退屈な文章なのだろう。ここまで読んでくださった方に謝意を表して長年の宿題を終わらせていただく。 』

ブクレコ文体診断: 森鴎外タイプ

斬新な名前を与えてしまいそうな、歴史観にとらわれない柔軟なあなた。語学にも堪能で外国の文学ももちろんいいですが、あえて日本の純文学などはいかが? 日本の美しさを再認識できるかも。あ、鍋がぐつぐつ煮えてますよ(・∀・)。

ブクレコ良文スコア: 91.7点