ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

集団的自衛権の深層 / 松竹伸幸

集団的自衛権の深層 (平凡社新書)

 安部首相が躍起になって閣議決定しようとしている「集団的自衛権」ですが、今日(6月13日金曜日)の夕刊を見ても、まだ公明党の合意を得られないようです。安部首相はきっと切歯扼腕していることでしょう。  

 政治に関してはまったく素人の私、9条の改憲は先が長すぎるのでまずは「集団的自衛権」なる解釈をひねり出し憲法解釈を拡大してたのだと単純に思っていました。しかし国会での論戦を聞いていてもさっぱり理解できないほど不勉強だったのでこの本を手にとってみた次第です。なぜこの本にしたかというと、ブクレコのレビューで比較的中立の立場で書かれているように思われ、しかもKindleにDLできたからです。  

 いやあ、読んでよかったです。目から鱗というか、自分のあまりに無知だったことを思い知りました、すでに学界的にも国際的にもすでに明確になっている自衛と侵略の定義がわからずに(あるいは故意にごまかして)

「侵略の定義は学会的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係で、どちらから見るかによって違う」

と国会答弁する首相に一国の自衛権の行使権限を委ねるわけにはいかないという筆者の意見には全面的に賛成です。

『 改憲論議が広がるなか、安倍政権は解釈改憲によって集団的自衛権の行使を目指している。推進論の根拠とは何か!? 過去の行使例を精査しながら、その虚構の論理をあばく。

2013年7月の参院選勝利後、安倍政権は、集団的自衛権の行使容認に動くことを明言した。しかし歴史をひもとけば、集団的自衛権は、数々の侵略、勢力圏争いの口実として利用されてきたことがわかる。憲法九条を有名無実化してしまうこの大問題に、私たちはどう向き合っていけばいいのか? 過去の事例を精査しながら、改正派の虚構の論理をあばいていく! (AMAZON解説より) 』

 誤解のないように申し上げておきますが、筆者は決して「集団的自衛権」を否定しているわけではありません。

「侵略された国を助けたいと思う人のなかに、どんなものであれ武力行使はダメだという考えの人がいることは理解するが、侵略された国を助けたいという人びとの気持ちまで否定してしまうような議論をしていては、世論の理解は得られないと感じる」

とはっきりと言い切っておられます。 ただ、問題は 「侵略された国を助けるなどというきれい事を許さない実態が存在」する、すなわち「実態は侵略の口実になってきた歴史があるのだ」 ということで、本書では「集団的自衛権」の定義と成立の経緯、そしてその行使の歴史を詳細に解説してあり、その概念をいかに安部政権が曲解しているかを証明しています。

 実を言うと、というか、私が知らなかっただけなんですが、「集団的自衛権」という概念は「個別的自衛権」とセットで国連憲章第51条に規定されているのです。
 ソ連アメリカが対立していた冷戦時代、双方の拒否権により、安全保障理事会が機能不全に陥り、その妥協の産物として、この憲章51条が追加されました。侵略があった時、国連が乗り出してくるまでの間、集団的自衛権を認めようということが、憲章51条で決められたのです。

 ではこの権利を国連加盟国の多くの国が行使して友好国を守ってきたのかというと、実際はあまりにもかけ離れていました。 冷戦下でこの権利を行使したのは、ソ連アメリカ、イギリス、フランスの4大国のみ、それも集団的自衛権のを口実に「被害国」に侵略した、というのが実態だったのです。二大国米ソの例を列記してみますが、有名な侵略的行為ばかりです。

ソ連 ハンガリー介入(1956)、チェコスロバキア侵略(1968)、アフガン侵攻(1980)

アメリカ: レバノン・ヨルダン介入(1958)、ベトナム戦争(1966)、グレナダ氏侵攻(1983)、ニカラグア介入(1984)。

 このように冷戦時代にあって集団的自衛権は大国により濫用され、国際法に対する重大な違反行為として結局すべて「集団的自衛権」行使とは認められませんでした。
 安部政権が目指している「集団的自衛権」はこの冷戦時代の定義なり行使の方法なりを踏襲するものであるようで、時代錯誤と歴史認識のなさが際立っている、と筆者は喝破しています。

 冷戦終了後も湾岸危機やユーゴ危機、アフリカでの数々の紛争、等、数多くの紛争が世界各地で続いていることは間違いありません。しかし、それを解決する方法としてはもはや集団的自衛権の行使ではなく、安全保障理事会の主導による紛争処理の動きが強まりました。集団的自衛権はもはや必要性がなくなってきたと言えます。

 そしてあの9.11を発端とする「対テロ・アフガン戦争」では「集団的自衛権」にこだわるアメリカが独断専行することにより、イスラム世界と西側世界の亀裂が深まり、世界はより危険になっていることは衆知の事実です。

  ここまで詳細に「集団的自衛権」を解説し尽くした筆者の結論は

「政府・自民党が考える集団的自衛権というのは、じつはグローバル化した世界の安全保障という考え方とは無縁のようであると思う。無縁というより、逆方向を向いているといった方がいいかもしれない。なぜならば、政府・自民党が考える手段的自衛権とは、ただただアメリカだけを守ろうというものだからである」

ということです。

 本書の優れていると思うところは、だから集団的自衛権絶対反対などという安易な立場をとらず対案を提示していることで、侵略された国を集団的自衛権を行使して援助する、国連が対処する場合はPKOや多国籍軍が活動する、そういうときに、日本が財政的支援その他武力によらない支援を実施するのは当然であると述べています。

 また、日本が軍事力を持つべきではないと言っている訳でもありません。むしろ、日本が集団的自衛権を主張できるほどに軍事力を充実させたからこそ、今回のような議論が生まれる素地が整ったのだという分析にはうならされました。

 では日本はどう行動すべきなのか?それはぜひ本書を手にとって読んでいただきたいと思いますが、賛否両論ありそうなかなり危険を伴う行動ではあります。そのあたり、反対派に攻撃されそうな気はしますが、とにもかくにも「集団的自衛権」という概念を理解するには良書だと思います。