ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

村上海賊の娘 / 和田竜

村上海賊の娘 上巻 村上海賊の娘 下巻
 和田竜(りょう)の時代小説は「のぼうの城」「忍びの国」「小太郎の左腕」と文句なしに面白い。そして2014本屋大賞、第35回吉川英治文学新人賞を受賞した本作は4年の歳月をかけて完成を見た、1000Pに迫る著者にとって過去最大の大作となっています。

 いきなり司馬遼太郎の傑作「尻啖え孫市」の鈴木孫市が登場する心憎い導入部から始まり、村上海賊と泉州海賊の血を血で洗う壮絶極まりない第一次木津川合戦まで、史実とフィクションを見事に融合させて、読者をあの時代の瀬戸内海に引きずり込む力業は見事、の一言でした。

 教科書や受験勉強だけではなかなか分からない織田信長天下布武の最大の障害。それは敵対する諸国大名ではなく、一向宗門徒たちが全国で蜂起した一向一揆であった。ということを私は司馬遼太郎の小説や白土三平の漫画で知ったのですが、この物語も今後よい教科書の一つとなるでしょう。

 今年のGWはこの小説で楽しもうという目論見は正解ではありましたが、一方でもっと早く読むべきだったとも思います。とにかく和田竜と言う人からは今後も目が離せないですね。今度からは出たらすぐにでも買おうと思います。できればKindleしていただけるとありがたいのですが。。。

『  『のぼうの城』から六年。四年間をこの一作だけに注ぎ込んだ、ケタ違いの著者最高傑作!

 和睦が崩れ、信長に攻められる大坂本願寺。毛利は海路からの支援を乞われるが、成否は「海賊王」と呼ばれた村上武吉の帰趨にかかっていた。折しも、娘の景は上乗りで難波へむかう。家の存続を占って寝返りも辞さない緊張の続くなか、度肝を抜く戦いの幕が切って落とされる! 第一次木津川合戦の史実に基づく一大巨篇。

AMAZON解説より)  』

 織田信長の最大の懸案であった一向宗総本山大坂本願寺攻め。史上に名高い木津川合戦の端緒から物語りは始まります。
 信長に攻め立てられ、孤立する大坂本願寺は兵糧が尽きかけ、莫大な兵糧の調達を毛利氏に依頼しますが、頼まれた毛利氏も苦悩します。莫大な兵糧を調達することは、いまや日の出の勢いである信長に敵対することを意味するからです。
 そして調達するには毛利氏だけではとても不可能。当時の瀬戸内海を仕切っていた村上海賊、特にどの大名にも属さず独立を保っていた、当時最強の海賊能島村上の協力が不可欠です。

 その能島村上の長である「海賊王」村上武吉の娘「(きょう)」がこの物語の主人公。色白のお多福顔で肥満体が美人とされた時代、南蛮人並に彫りが深く、男勝りの性格で海焼けした真っ黒な肌を平気で人前にさらしている景は


「悍婦(かんぷ)で醜女(しこめ)」

であったという設定がうまい。現在であればとびきりの美人であることは容易に想像がつきます。まるで映像化を前提にしたような主人公です。

 上巻では、まずこのあたりの情勢と景の人物像が克明に描かれます。そしてその景がひょんなことから一向宗門徒を小船で大坂は木津砦に届けることになるのですが、到着寸前で出会うのが泉州海賊の傑物にして怪物、真鍋七五三兵衛(まなべしめのひょうえ)、この物語の第二の主人公です。泉州真鍋家も海賊であるのですが、彼らの使う泉州弁がこの物語を生き生きとしたものにしています。母方の祖母が泉州出身であった私から見ても、和田竜の台詞の遣い回しは上手い。

 そして早速始まる本願寺対信長軍の集結した天王寺砦の戦い。真鍋家も天王寺側で参戦しており、七五三兵衛の人間離れした活躍も描かれますが、敵もさるもの。特に大坂本願寺側の強敵、冒頭でも書いた鈴木孫市率いる雑賀党の鉄砲の威力は驚異的で、天王寺側の大将原田直政は眉間を射抜かれ斃れてしまいます。

 このあたりの戦況の一進一退を活写しつつ上巻は幕を閉じます。上巻の後半、景は傍観者となってしまっていますが、後半では大阪湾で暴れまくるだろう、と期待して下巻に進みました。

 さて後半、一気に第一次木津川合戦に突入するかと思いきや、さにあらず。主人公、景の挫折がまず描かれます。戦に華やかさ勇ましさを求めていた自分の甘さ、青臭さから愚かな行動をとり、七五三兵衛をはじめとする泉州侍を激怒させ見放されてしまい、失意のうちに故郷へ帰り父の望んだ輿入れに同意して能島でおとなしく暮らし始めます。

 一方大坂本願寺への兵糧運搬を決めた毛利家と村上三軍はなかなか出陣しない。景の父、能島村上の総帥村上武吉が総大将格の小早川隆景の腹の中を見透かしており、連歌奉納を理由になかなか動かないためです。小早川隆景は、できれば信長に敵対したくないのです。

 しかし引き延ばしにも限界は来ます。ようやくのこと出陣し淡路島に陣を張り、木津川口を封鎖する泉州軍と対峙します。しかし、事ここに至っても話はなかなか進みません。隆景が、上杉謙信が動かない限り敵との交戦を認めずと指示しているからです。

 決められた期日、すなわち本願寺側の兵糧が尽きる時期が来ても結局謙信は動きませんでした。毛利側は撤退を決定します。

 このあたりまでのじりじりする展開には、今までの爽快な和田竜小説を楽しんできたファンにはおそらく賛否両論があるでしょう。しかし今回は1000P近くある大作で史実をかなり忠実にたどっています。実際巻末にある主な参考文献だけでも圧倒されるほどの数を作者は読み込んでいます。物語にリアリティを与え、海戦を荒唐無稽にしないためにもこの雌伏の章は必要であったと思います。

 さて、いよいよそこへ景。父のふと漏らした言葉に景の眠っていた闘志が覚醒します。父武吉は、はなからこの戦は無く本願寺側の兵糧が尽き大量の餓死者が出て陥ちると見切っていました。兄と弟の身の安全を案じる娘に父は心配無用無事に戻ってくると漏らしてしまうのです。
 これがただの不用意な失言であったのか、意図したものであったのかははっきりとはしません。しかし村上海賊の奥の奥の手「鬼手」となることだけは判っていました。
 このあたり父武吉を美化神格化しすぎている気もしますが、面白い時代小説にはこのような男が不可欠であることは間違いありません。

 そしていよいよ第一次木津川合戦。鬼神のごとき景の働き。それを触媒として覚醒し成長していくまじめすぎる兄元吉と臆病者の弟景親(かげちか)。政略結婚と割り切って景を娶るつもりであった毛利警固衆の総帥児玉就英(なりひで)が景を認めていく過程。来島村上、因島村上の古強者たち。
 対する泉州真鍋海賊の当主で一旦は景に惚れたものの、敵味方に分かれれば戦闘の鬼神となり景を絶体絶命にまで追い詰める真鍋七五三兵衛家督は譲ったものの息子に負けず劣らずの怪物道夢斎。生意気盛りの息子次郎。海戦は不得意でも武士の鑑といえる傑物沼間義晴。とらえどころの無い悪たれ兄弟たち。

 下巻後半、読み始めたらもう頁をめくる手を止められない怒涛の海戦が、これら魅力ある群像を中心に、展開されていきます。押しつ押されつ、血しぶきが飛び交い、双方の船が次々と陥落していく。海賊同士の戦いとはこれほどまでに凄絶なものか、と鳥肌が立ちながらも目は文章に釘付けとなり決着がつくまでやめられませんでした。

 クライマックスは満身創痍の景とターミネーターのごとき七五三兵衛の一騎打ち。最後は孫市の鉄砲にも助けられますが、景の執念と紙一重の幸運が生と死を分かちます。

 戦いが終わったあと、木津砦でのかつて景が運んだ一向宗門徒、特に口の達者な少年留吉との再会はエピローグとしては微笑ましいものがありますが、景にそれだけの体力が残っていたとは信じがたい戦いであっただけに少しリアリティに乏しい気もしました。

 それよりも本当の終章。敗戦の報を聞いた信長が「ならば鉄の船がいるな」とつぶやいて馬を返してからの、真のその後の史実のほうが胸を打ちます。

「 - 自家の存続。木津川合戦にかかわった者のほぼすべてが望んでやまなかったこの主題は、結局のところ、誰も果たせなかったといっても過言ではない。(中略)ただ、こうして個々人のその後を俯瞰すると、その多彩さに唖然とする。(中略)それでも、いずれの人物たちも、遁れがたい自らの性根を受け容れ、誰はばかることなく生きたように思えてならない。そして結果は様々あれど、思うさまに生きて、死んだのだ。
 景もまたそうだっただろうか。(中略)景のその後も分からない。だが、この女も、思うさまに生きたと思いたい。」

 いかに景と七五三兵衛の人物造形が現実離れしていようと、最後のこの文章に涙するためにこの長大な時代小説を読む価値は、絶対にある。と絶賛してレビューを終えたい、と思います。