ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

アンドレアス・グルスキー展@NMAO

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(会場展示ポスター、作品は「Kamiokande」)

 大阪中ノ島の国立国際美術館(NMAO)で開催されている「アンドレアス・グルスキー展」に家内と二人で行ってきました。いつもの美術館めぐりと違って写真の個展なのですが、私はFacebookで友人が絶賛していたので、家内は姿勢法の先生が誉めておられたとのことで、非常に興味をそそられていました。

 「写真」といえばある時は思い出を切り取るものであり、ある時は報道のきわめて有効な手段であり、ある時は趣味としての手段であり、と様々な側面を持っていますが、芸術的な創作のための手段でもあります。そのような試みは写真が誕生してまもない時代から既に始まっていました。たとえば以前オルセー美術館展で見たジョージ・シーリーの「ほたる」という写真など、とても印象に残っています。

 その頃から約一世紀、写真も映像技術も著しい発展を遂げました。いまや、公園でベンチに座って新聞を広げていたら、偵察衛星からその見出しは十分に読み取れる、という時代です。

 何でこんな話をだらだらしてきたかというと、アンドレアス・グルスキー氏の作品が現代写真の最先端をいくもので、衛星写真を利用したり、最新のデジタル処理技術なども駆使しながら、大型のプリント写真を芸術的境地まで昇華させ、高い評価を得ているからです。

 と、そのような前知識を一応は仕入れていたのですが、いやあ想像を超える、というか、写真の概念を超えている、と思える素晴らしい作品群に圧倒されました。さすが「史上最高額の写真家」と噂されるだけのことはあります。

『  ドイツの現代写真を代表する写真家、アンドレアス・グルスキー(1955年-)による日本初の個展を開催します。ドイツ写真の伝統から出発したグルスキーは、プリントの大型化をリードし、またデジタル化が進んだ現代社会に相応しい、すべてが等価に広がる独特の視覚世界を構築し、国際的な注目を集めてきました。

本展覧会には、1980年代の初期作品に始まり、《99セント》(1999年)、《ライン川Ⅱ》(1999年)、《シカゴ商品取引所Ⅲ》(1999年)、《F1ピットストップⅣ》(2007年)、《ピョンヤンⅠ》(2007年)、日本で撮影した《東京証券取引所》(1990年)や《カミオカンデ》(2007年)といった代表作から、最新作《カタール》(2012年)にいたるまで、グルスキー自身が厳選した約50点の作品が一堂に会します。衛星からの画像を基にした「オーシャン」シリーズ(2010年)や、川面を写す「バンコク」シリーズ(2011年)など、その作品は近年ますますコンセプチュアルな様相を強めています。同時に、まるで抽象絵画のような写真は、写真を使った画家とも言えるグルスキーが開拓した新たな境地を伝えています。

展示会場は、初期から今日までを回顧する年代順ではなく、独自の方法にしたがって構成されます。初期作品と新作、そして、大小さまざまな写真を並置する斬新な展示は、個々の写真を際立たせるとともに、展示室全体を一つの完璧な作品のようにも見せることでしょう。この比類のない展示により、グルスキーの写真世界の魅力を余すところなくご紹介します。 (公式HPより)  』

Andreasgursky

 彼の得意のジャンルのひとつとして「俯瞰図」があげられます。写真展のポスターにもなっている「カミオカンデ(2007)」はその代表です。均質な黄金色の光電子増倍管を平面的に並べた構図は無機質なパターン図のようですが、目を下に向けると、水面に浮かぶ二艘の船と船上の人影がそれを幻想的な光景に一瞬にして転換してしまう、見事な構成です。

 それにしてもこれだけ大きな(2.28Mx3.67M)写真で全ての領域でピントがびしっと決まっているのは驚くべきことです。その秘密を解き明かす解説が

パリ、モンパルナス(1993)」

というモンパルナスのアパルトマンを俯瞰した写真の説明にありました。横長の巨大画面のアパルトマンの一室一室が緻密に映し出されているのですが、これは二つの撮影ポイントから写された画像を組み合わせて一つの画面を作り出しデジタル処理することによって完成させたものだそうです。

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( 「パリ、フランス共産党本部」 絵葉書より )

 もちろんこれはごく初期の技術でそれからもデジタル技術は日進月歩ですからもっと高度な技術が最近では用いられているのでしょう。上の「パリ、フランス共産党本部(2003)」などは、近づいて目を皿のようにして見ても、何が映っているのか分からない。おそらくは大会議室の円形に配置された椅子なのだろうと思いますが、あまりにも形而上的な意匠で抽象画を見ているような感覚でした。

 更には、入り口付近に飾られていた黄金一色で染め上げられた「カタール(2012)」にも息を呑みました。写真の下のほうにベールに覆われた小さな人影が写っているのでその大きさを計り知ることができるのですが、異次元の空間のように感じました。 

 そして、その俯瞰図の行き着く先は、究極の俯瞰写真といえる「オーシャンI、II(2010)」「南極(2010)」でしょう。最早これらはグルスキーが自身で撮った写真でさえありません。高精度の衛星から撮られた画像を何ヶ月にもわたって丹念に加工したものです。

 広大で見事な青のグラデーションを描く大海、白という色彩をフルに活用した南極大陸、全て仮構の画像で有りながら見事なリアリズムを感じるこの不思議な感覚。いずれも長辺3メートルを超える巨大な大きさで観るものを圧倒します。

Bangkokvi
( 「Bangkok VI(2011)」 絵葉書より )

 一方で、身近な風景をコンセプチュアルな抽象的イメージに転換する作品群も多くありました。この「バンコクVI(2011)などは抽象絵画のようですが、よく見るとどぶ川に多数のごみや油が浮いていることがわかります。それを一筋の光と川面の色彩処理で絵画のように仕上げてしまっています。解説にあるように「具象と抽象、写真と絵画、現実と虚構のあいだでゆらぎつづける」ような画風(?)に惹かれるものが多々ありました。

F1pitstop
( 「 F1 Pitstop(2007) 絵葉書より )

 さらにもう一つ、グルスキーの得意分野が「群集」像。このF1のピットストップの絵葉書にはFIカーに群がるピットクルーや二Fのスタッフが多人数写りこんでいますが、これでさえ大きな写真の一部なのです。

 このような群像写真を彼が撮るようになったきっかけは「東京証券取引所(1990)」に描かれた証券取引所の場立ちの人々であったそうですので、古くから日本にも縁が深い方なんですね。

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( 「99セント (1999)」、絵葉書より )

 そのほかにも数々の面白い写真がありました。この「99セント (1999)」もその一枚です。日本で言う100円ショップの商品で埋め尽くされた陳列棚の構図は無機質な構図への志向とおびただしい商品の日常性が見事に融合されていて面白かったです。映画「ハート・ロッカー」でイラクからアメリカへ戻ってきて膨大な商品が並ぶショッピングセンターで精神の均衡を崩しそうになる主人公を思わず連想してしまいました。

 と、見所満載の写真展ですが、写真には一切の説明がありません。作品名すら掲示がないため、題名を知るにはいちいちリストを確認しなければいけないのですが、リスト掲載順と展示順は全く異なっています。作者の意思なのだそうですが、ちょっと戸惑いました。
 また白線より少しでも靴が前に踏み出すとセンサーが反応して鳴るので、あちこちでピンポンピンポン鳴りまくっていてうるさかったです。正直に言うと私はNMAOおよびそのスタッフにはあまりいい印象がないのですが、今回もその例外でなかったのが残念です。

 とは言うものの一見の価値はある写真展、というか写真展の概念を超えた美術展です。残念ながら残すところわずかなのですが、5月11日まで開催されているので、興味のある方はGWにでも是非どうぞ。