ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

女のいない男たち / 村上春樹

女のいない男たち

 「女のいない男たち」といえばヘミングウェイの連作が有名ですが、村上春樹氏が同一の題名をつけて新作を発表しました。
 今回は短編集で、「ドライブ・マイ・カー」「イエスタデイ」「独立器官」「シェエラザード」「木野」「女のいない男たち」の6編が収録されています(表題作は書き下ろし)。

 今回、村上春樹氏にしては極めて珍しいことに、この単行本化に際して前書きを書いておられます。この六作品を書いた理由や一冊にまとめた経緯をメインに書いておられるのですが、最後に「ドライブ・マイ・カー」について北海道中頓別町を舞台としたタバコポイ捨て表現に抗議を受けたため別の名前に差し替えたこと、「エスタデイ」の歌詞の改作に関して著作権代理人から「示唆的要望」を受けこれも歌詞を大幅に削った旨の断りを入れておられます。おそらくはこの外的要因が村上氏に前書きを書かせたのでしょう。

 結構簡単に屈するのだな、とか思いつつ、早速六作品を読んでみました。全編何らかの理由で「女のいない男」になってしまった男性を主題としているのですが、正直なところ、あまり楽しめなかったです。やはり村上氏には長編、それも2、3冊にまたがるような重厚なもののほうがあっているのかな、と思いました。

 以下、寸評を書いてみます。題名の下にカッコつきで書いてあるのは、本の帯からの引用です。

1: ドライブ・マイ・カー

 「舞台俳優・家福は女性ドライバーみさきを雇う。死んだ妻はなぜあの男と関係しなくてはならなかったのか。彼は少しずつみさきに語り始めるのだった。」

 どこが面白いのか、正直なところさっぱり分かりませんでした。タバコのポイ捨て表現を問題にする前に、こんな低質な文章を村上春樹が書いて文芸春秋社に掲載をオファーした(前書き参照)、ということの方が私にはショックでした。

2: イエスタデイ

 「完璧な関西弁を使いこなす田園調布出身の同級生・木樽からもちかけられた、奇妙な「文化交流」とは。そして16年が過ぎた。」

 先ほども述べたように 歌詞の改作に関して著作権代理人から「示唆的要望」をうけたそうすが、当事者以外のものからすれば些事ですねえ。正直なところ、削られた部分も読んでみたかったです。

 まあそれよりなにより、中心人物で東京生まれ東京育ちでありながら完璧な関西弁をしゃべる中心人物木樽風にいえば

「肝心の話がマンネリ過ぎるんとちゃうんかい」

と「関西風」ツッコミを入れたくなる作品でした。

 些事といえば、主人公の出身地「芦屋」の紹介の仕方。芦屋というと金持ちに思われるのがいやだから「神戸の近く」と答えることにしている。。。「神戸」に住むものにとってはちょっと苛立つ表現でしたね。これが春樹氏の本心なのかと思うと「示唆的要望」をいれたくなりました。

3: 独立器官

 「友人の独身主義者・渡海医師が命の犠牲とともに初めて得たものとは何だったのか。」

  この小説の印象を本文の台詞から引用させてもらえば

「恋するあまり食べ物が喉を通らなくなり、それで実際に命を落とした人なんて世間にはまずいないということです。」

 に尽きます。あまりのリアリティのなさに愕然としました。

 それにしても、ずいぶん女性蔑視の内容ではないのかな?

4: シェエラザード

 「陸の孤島である「ハウス」に閉じ込められた羽原は、「連絡係」の女が情事のあとに語る、世にも魅惑的な話に翻弄される。」

 一見不条理文学的設定に見えて、一皮剥けば男の妄想そのまんまのシチュエーション。そしてシチュエーションの中で女性は女の妄想を延々と語る。それだけ。もうこのあたりまで読み進んで、春樹氏の短編の本質は妄想なのかと悲しくなってきました。開幕四連敗を喫したエース投手を見るようです。

5: 木野

 「妻に裏切られた木野は仕事を辞め、バーを始めた。そしてある時を境に、怪しい気配が店を包むのだった。」

 ようやくほっとしました。村上春樹氏はやはりこれくらいのボリュームがないと本領発揮できないようですね。彼が強調する「物語の力」を感じさせてくれる作品で、終盤主人公の心の深部にある本質を抉り出すあたりはさすがに鳥肌が立ちましたし、「神田(カミタ)」というキャラも立っています。独特の文章表現や台詞回し、所謂春樹節もここでは生き生きと躍動していますね。

 ジャズを語らせると右に出るものはいない春樹氏の薀蓄も満載です。オーディオファイルはトーレンスのプレーヤーとラックスマンのアンプとJBLの小型2ウェイの組み合わせに、にやりとするのではないでしょうか。

6: 女のいない男たち

 「ある夜半過ぎ、かつての恋人の夫から、悲報を告げる電話がかかってきた。」

 書き下ろしで、前書きで春樹氏が語っているように本の題名に合わせた短編集の締めのための「象徴的作品」です。小説と呼ぶのもためらわれるような、よく言えば前衛的な村上春樹箴言集、悪く言えば小説の態をなしていない散文のような作品でした。

 以上かなり厳しい評価となってしまいましたが、「木野」一本だけでも買って損はしなかったと思いますし、村上春樹氏にすれてしまい、過度な期待をかけすぎているのかもしれません。ブクレコを見ても評価は人さまざまですし、とりあえずハルキストは買って読みましょう。